国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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鉄路叙景

(4)南北縦断 100年の夢 『毎日新聞(夕刊)』掲載 2012年11月22日刊行
久保正敏(国立民族学博物館教授)

北部準州の旧北線廃線跡。シロアリ対策で枕木は鉄製=堀江保範さん撮影、国立民族学博物館所蔵

オーストラリアでは、19世紀中ごろから各自治州で鉄道建設が始まる。独自性の強い各州で軌間(レールの幅)は、JR在来線と同じ狭軌、新幹線同様の標準軌、もっと広い広軌などバラバラだった。1901年成立の連邦政府は、以後、全国の鉄道連携に苦慮する。同国の鉄道史は、この苦労話の連続だ。

最も開発が遅れた大陸中央部では、アジアと結ぶ電信線、次いで輸送路建設の夢が19世紀中ごろから語られ、南北それぞれの側から大陸縦断鉄道建設が始まった。この建設に伴う労働者流入は、人口構成や周囲の先住民社会にも大きな変化をもたらした。だが、洪水被害や枕木を食うシロアリ被害に悩んだうえ十分な需要も得られず、世界恐慌もあり部分開業にとどまった。

戦中は日本軍の攻撃に対する北部防衛のための大量の人員・物資輸送、戦後は鉱山開発に伴う輸送、と南北輸送需要は急増した。が、縦断道路建設を優先したため、76年にダーウィン・バーダム間の北線は廃線となる。

しかし、その2年後に連邦から一定の自治権を得た北部準州は、さまざまな資金を集めて鉄路再開を進め、04年、ついに100年越しの夢である南北縦断鉄道が標準軌でつながった。同鉄道は、今やアジア交易の担い手と目されている。

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