国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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ミュージアム

(12)負の記憶を伝えること  2015年9月24日刊行
竹沢尚一郎(国立民族学博物館教授)

死者の名を刻む黒い御影石が並んだベトナム戦争戦没者慰霊碑

ワシントンの南側にナショナルモールと呼ばれる広場がある。合衆国議事堂やリンカーン記念館など、アメリカを代表する施設が立ち並ぶ地区である。

その一画に、ベトナム戦争戦没者慰霊碑が建っている。死者の名前を刻んだ黒い御影(みかげ)石だけが、地面の下にえぐれるように立つこの施設は、戦争の残虐さを伝えるでも、兵士の英雄的な行動を再現するでもない。それ自体が巨大な墓であるかのように、死者の追悼を静かに求めている。

この施設の反対側にはホロコースト博物館がある。入館者の列がいつもできるほど、人気の施設である。中に入ると、戦争前のユダヤ人の生活を再現したコーナーがあるほかは、ナチスによる政権獲得の過程と、ナチスによるユダヤ人の虐殺のシーンが、映像資料によって克明に示されている。

施設の方向づけは、「私たちユダヤ人を、彼らがどのように破壊したか」の確認である。その意味でこの展示は、「彼ら」と対立させつつ、私という個人を集団へと取り込む働きをもっている。

現代という時代は戦争の記憶に満ちている。そして戦争とは、個人を集団の中に取り込むことで生じるものではないか。戦争を語りつつ、集団を強調しない展示はどうすれば可能か。それが、ミュージアムに問われているのだ。

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