国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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河西回廊・石窟寺紀行

(1)武威・天梯山石窟  2019年9月7日刊行

末森薫(国立民族学博物館機関研究員)


防水壁から望む天悌山石窟の大仏たち=中国・甘粛省で2016年8月、筆者撮影

中国の北西部、甘粛省(かんしゅくしょう)と青海省(せいかいしょう)の間を走る祁連(きれん)山脈の北側には、東西に伸びる平地が続いている。中国大陸の北部を流れる黄河の上流より西に伸びることから「河西回廊(かせいかいろう)」と呼ばれる。『漢書』「西域伝」の冒頭には、前漢の武帝が河西回廊一帯を占拠していた匈奴(きょうど)を撃退し、回廊沿いに武威(ぶい)、張掖(ちょうえき)、酒泉(しゅせん)、敦煌(とんこう)の四つの拠点(河西四郡)を設置したことが記されている。回廊沿いに築かれたオアシス都市を経由し、東から西へ、西から東へ、人びとや物資、文化が行き交ってきた。インドで誕生した仏教も、河西回廊を通って中国に伝えられた。回廊沿いには仏塔や石窟など仏教に関連する数多くの史跡が残されている。

武威の中心部から南東45キロに位置する天梯山(てんていざん)石窟には、南北朝や唐に造られた19の窟の中に、塑像や壁画が残されていた。しかし、1959年に黄羊河ダムが建設された際、浸水する危険性から42体の塑像、300平方メートルに及ぶ壁画が取り外され、移送された。現地には、防水壁に囲われた大仏と各2体の菩薩、弟子、力士の像だけが佇んでいる。2013年、現地に戻すことを前提に、武威の西夏博物館で取り外された一部の塑像・壁画の保存修復が始まった。窟の中に再び戻れるかは分からないが、天悌山の地に帰る日は近いかもしれない。

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