国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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河西回廊・石窟寺紀行

(3)酒泉・文殊山石窟  2019年9月21日刊行

末森薫(国立民族学博物館機関研究員)


文殊山石窟の洞窟とチベット仏教寺院の旗=中国・甘粛省で2016年8月、筆者撮影

河西(かせい)四郡の東から三つ目にあたる酒泉(しゅせん)、その名を目にし、心おどる読者もいるであろう。前漢の武帝の命を受けた将軍・霍去病(かくきょへい))は、河西回廊一帯を支配していた匈奴(きょうど)を撃破することに成功した。その報せを受けた武帝から勝利の祝酒が送られてきたが、兵士全員にいきわたる量はなく、酒は泉に流し込まれた。すると、いくら飲んでも湧き続ける「酒の泉」ができたという。そんな泉があれば恩恵にあずかりたいところだが、現在公園となっている伝説の泉から、酒の香りは漂ってこない。

酒泉市の南約15キロ、嘉峪山(かよくさん)の山中に文殊山(もんじゅさん)石窟がある。北涼(397年~439年)の創建とされることが多いが、現存する早い時期の窟は北魏(439年~534年)につくられたとする見方が強まっている。文殊山石窟には、前山と後山に分かれて百を超える洞窟が開かれているが、扉を付け管理されているのは、壁画や塑像が残る一部の洞窟のみである。礫(れき)を多く含む地層につくられたからか、風化が激しく、野ざらしで放置される窟も多い。

文殊山石窟では宋代以降、仏教の他に、儒教、道教、チベット仏教なども信仰された。山々には70余りの古建築が建っている。仏教を信仰する場は、長い年月を経て、さまざまな宗教が共生する聖地へと変化していったのである。

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