国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

小山修三教授・森田恒之教授 退官記念講演会

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2002年3月27日開催

小山修三教授 退官記念講演会

人と生きる森 小山修三

講演風景 ご紹介にあずかりました小山でございます。民博には25年余勤めていました。初めて民博に来たことを思い出します。民博にきて驚いたのは、イケイケの時代というか、日本の民族学の中心になる、いや、世界の中心になるという気概とエネルギーにみちた時代だったことです。もうものすごい鞭の入れられ方で、こちらもつい調子に乗って走ってまいりました。

 この間、数えてみると、実にたくさんの調査地に行き、調査地に行く途中で中継地で休み、自主的に旅行をしておりました。ただ、それを地図に落としてみますと、大した旅行家じゃなくて、例えば梅棹さんとか石毛さんとか吉本さんとかと比べると、ほんの限られたとこしか行ってないというのも実感いたします。わたしは大旅行家タイプじゃなくて、書斎にこもって勉強するというタイプの人なんだなあと思っております。(笑)

 2年前に部長をやめたとき、この多様というか混乱を極めた調査歴に脈絡がつくのかどうか、何かまとめる方法はないかと考えました。一番いいのが自然、または環境で束ねてみることだという結論に達したわけです。なぜそうなのか。

 アボリジニ社会に代表されるのですが、エスニック社会に入るというのはものすごくしんどいもんなんです。すっと入っていけない。どうしてかというと、一つは言葉の問題がある。英語でもいいのですが、現地ではギジンガリも話さなきゃならない。それを覚えるのには時間がかかります。言葉というバリアです。

 それから、文化の摩擦があります。こちらが当然と思ってやることにも、それはここでは許されない、だめだといわれる。どうにも動けない時間があるわけです。

 もう一つは、エスニック社会対する人類学者の責任問題があります。わたしたちは、フィールドでは人間関係について微に入り細にうがっていろんなことを聞き出す。それを発表する。それで、現地には何も返さない。それならもう来てほしくないと言われます。だから、フィールドに入っていこうとすると、少しの間、ぽかんとしたような空白の状態になります。そのときに何をするかというと、仕方がないから景色を眺めているわけです。

 ところが、景色というのがこれがまた曲者で、アーネムランドのコパンガの村の近所の景観でも、沼、林、草原というふうにこまかくわかれて出てくる。そう一様には読めないというようなことがあります。

 オーストラリアの大自然は、ウィルダネス(Wilderness)という言葉を使うんですけれども、手つかずの自然だといわれている。ところがずっと見ていると、実は人手の入っていない自然のままの森はほとんどない。すべて、文化的な景観であることがわかってまいります。そうなると、民族学者として、森をはじめとする景観について興味がわいてくるのです。

 森という言葉は定義が難しいのですが、ここでは草でもなんでも植物がまとまって生えていたら森ということにしましょう。わたしが森に興味を持ったきっかけは、アボリジニがユーカリの林に入っていったときに、どんどん火をつけていくことでした。これを日本でもしやれば、警察ざたになる。白人などは、あいつらはパイロマニア(火つけ魔)だ、幼稚におもしろがってるんだと言う。しかし、調べていっていくとそうじゃない。森に火を放ちながら自然をコントロールしているんだという研究がここ20年ほど非常に盛んになってきています。いわゆる生態的多様性(biopersity)です。

 つぎはドイツです。去年と一昨年、MCCのファンドでボン大学に交換教授として行きました。ドイツ語が話せないから、また自然を見始める。ただ、ドイツの森は美しいんです。和辻哲郎が名著『風土』に、ドイツの林の木は真っすぐに整然と生えていて、蚊まで真っすぐ飛んでいくと言ってます。和辻さんはドイツを尊敬するあまり大誤解したんでしょうね。私もドイツの森を歩きました。

 こうやって森についてだんだんまとまりが出てまいりました。森と環境の関係を考えることは、京都議定書に代表される今日の問題を考えることでもあります。

 ただ問題は、私には植物の基礎教養が全く欠けている。小さいとき、メンコの相撲取りの顔を見たら、これは双葉山だとか羽黒山だとか、すっと名前をあてた頭のいい少年だったそうです(笑)。ところがそういう感性の鋭いとき、植物についての刷り込みがないんです。だからひどい。この間なんか、大きな木があるので、植木屋さんにあの立派な木は何の木ですかと言ったら、これはヒマラヤ杉でっせという白けた答えが返ってきました。

 もう一つ、植物の基礎学問が全く欠けていること。植物名は、国によって名前が違う。そうなるとむちゃくちゃなんです。英語で勉強し、日本語で勉強し、ドイツ語で見ると、もう全然つながってこない。これはオークだろう、オークじゃないナラだとか、ナラというのはなんていったっけな、忘れましたけど。だから、ケルカスだとかピシアだとか、ラテン語で言えばいい。ところがラテン語を学んでいない。これはまた将来の課題として、ちゃんと発音できるようになりたいと思っております。

 しかし、そういうものをのりこえて、とにかく自然を見てみようということを無謀にもやりはじめたわけです。こういうドロナワ式のやり方は、実はアボリジニの研究にもつながっているのです。あまり準備をしないで、なるべく中立な状態で現地に行って、問題を見つけながらやっていこうというわたしの方法です。そうやっているうちに、だんだん森のこともわかってくる感じがしています。この方法は今さら変えられるものでもありますまい。私の民族学的な調査方法の一つだからです。

 森について、今からスライドで説明していきましょう。

スライド写真 オーストラリアというのは平坦な大陸です。これはアーネムランドなんですけども、見渡す限りの平たさ、植生は島みたいに点々とある。これはマングローブ林、これが草原、向こうの方にユーカリの林が見えます。8月頃、飛行機でとぶと、点々と煙が上がっているのが見えます。これは私が1980年に撮った写真です。

 

 ここは雨期になると水浸しになります。だけど、乾期には森がぼんぼん燃えている。日本人は、「一度火つけたらどこで止まるかわからんやないか」と言うけど、火というのはちゃんと止まるものなんです。これには本当にショックを受けました。

スライド写真  アボリジニに火について聞くと、コールド・ファイアとホット・ファイアの2つの種類があると言うんです。コールド・ファイアは、林床に低い火がずっと広がっていく。だから、木をほとんど傷めないで林床の草を焼いていく。なぜかというと、リターというんですが、下草とか枯れ草とか枝が、非常に少ない、あるいはないからです。それは彼らが毎年火をつけて、リターを少なくしているからです。ただ、植物もしぶとくて、ユーカリなんか多少の火がかかっても平気です。リグノチューバーとか地下組織を発達させたり、火にかからないと発芽しない植物まである。

 だから、彼らは好き勝手につけてるんじゃなくて、コントロールした状態で火をつけているわけです。最近は、シドニーの大火だとかメルボルンの大火だとか、都市の森林火災のニュースを聞きますけれども、それは実は白人が森に火をつけさせなからです。落雷とか、たばこの火で火がつくと、たまりにたまったリターが発火する。これを爆弾と呼んでいますが、ユーカリの油分のある葉がドーンと燃え上がって、樹冠までやられて森はだめになる。

スライド写真  これがホット・ファイアです。アボリジニ領の外では火つけが禁じられてますから、リターがたまって高温になって燃える。そうすると森が全部やられてしまう。アボリジニは、ああいうのは行儀が悪い、森の扱い方を知らないんだと言うわけです。

スライド写真  もう一つ、別の火の使い方のタイプがあります。これは氾濫源の多年草のある草原です。乾期がすすむと、草原の水たまりはどんどん水が減ってくる。するとファイアドライブといって馬蹄形に火をつけ、獲物をおいたてる。無数の鳥がわーっと飛び立つところをしとめます。

スライド写真  ファイアドライブというのは一種のポトラッチに似ているというのに気がつきました。村が共同して、みんながとってきた獲物を集めて、大宴会をして食べ、楽しむのです。

スライド写真  次に移りましょう。これはカナダのスタイン川、フレーザー川の支流です。カナダの森はアボリジニと扱い方がまったく違う。彼らは基本的に森に入らない。森は神聖な場所なんです。これはニンスティンツという遺跡です。クイーンシャーロット諸島の南端にあるアンソニー島という小さい島なんですけれども、19世紀末にはそこに 300人ぐらいの人がいた大集落があった。だけど、背後の森に入っていくと、食べるものは何もない。彼らは、金でも女でも食べ物でも全部海の方から来るんだと考えているのです。森は生産の場所ではなく、精神の場所で、入るのはシャーマンとか、通過儀礼の若者だけと言うのです。

スライド写真  これが集落のすぐ後ろの森です。見まわすと、苔、シダぐらいで、食えるものは何もない。奥へ行こうとすると、怖い怖い、行くな行くなというような感じなのです。彼らは海に対してはものすごく積極的に動くんだけど、森に対しては放置する。植物質の食べ物は集落か人間が攪乱した伐採跡とか、波打ち際のラインとかだけにしかない。木を切るときも、なるべく集落の近くのものを使う。森に立ち入らない。これはアボリジニが火を使って自然をどんどん変えていくのと対照的です。

スライド写真  だから、森へ連れて行ってくれというと、太鼓をたたいてお祈りして、品物をささげる。そうしないと入ることができないのです。

スライド写真  ようやくドイツの森です。きれいでしょう。すっと真っすぐ立ったブナ。これは早春の森ですけれども、ドイツ人はぶらぶら歩いている。実によく歩いている。町はがらんとしてるのに、山の中のほうが多いぐらいです。

スライド写真  これはシュバルツバルトです。自然そのものの絵と思うでしょう。ところがこれは全部人工林、植えられたものなんです。ドイツ人は、森と葛藤をくりかえす森と人間とのあつれきの歴史を、少なくともローマ時代から送ってきています。とくに近代化にあたって、炭鉱や鉄を掘りまわって自然を壊しました。しかし、歴史の教訓から、放置するのではなく人工的なものに変えていくことを怠らなかった。だから、ドイツの林業が発達したのです。

スライド写真  ドイツの美しい丘の陰には、こういうものすごい煙を出している石炭工場がかくれている。これはルール・ライン工業地帯の端っこ、ケルン市に近いところなんですけれども、景観としてはなるべく見えないようにしている。ある地点に行くとぼーんと出てきて、ドイツ人の陰惨さというか、食えないところがわかるわけです。

スライド写真  これはその近くのインデン炭鉱で、面積約5,000ヘクタール、向こうが見えないぐらいです。こういう機械2台で露天掘りしている。ここには、民族学的にも大きな問題があり、採掘の時ここにあった村をどけ、終わった後また入れるということをやっていますが、それについてはまた別の機会にしましょう。

スライド写真  これはインデン炭鉱で掘りおわった跡を埋めて風景をつくり直しているところです。まず湖をつくって、まわりを植林して公園にする。薄っぺらな森と陰口をたたかれているんですが、「いや80年後に来てくれ。そうしたら立派な森と湖になっている」と当事者はいばって言う。ドイツは工業化を進めて土地を荒らすもんだから、日本人よりかえって神経質に森を修復する努力を必死になってやっております。今の林業もモミとかトウヒばかり植えていたのを、これじゃだめだというので、ゲルマンの森に返そうとブナやナラを植えているわけです。

スライド写真  最後に日本について。奈良の風景というのは歴史を刻んだすごいものです。これは若草山ですが、毎年山焼きして、火をかけて草地をつくってる。こんな大都市のすぐ近くでこれだけの面積に火かけて草地をわざわざつくり出しているというのが一つ。その背後にあるのが春日山、そしてこれは御蓋山です。これは極相の照葉樹、完全とは言いませんけども、林手つかずの自然林です。なかは真っ暗。そして頂上のところのぎざぎざしているのはモミとかマツの針葉樹が常緑樹に追い立てられて稜線に並んでいることで自然林とわかります。

 まわりの尾根は里山で、二次林になっているため、ぎざぎざしてない。もっとこっちの方に行くと、宅地造成とか道路、斧で切りつけたような山の荒らし方をしています。この一枚で歴代の奈良の人びとのゆかしさと現世利益の追求ぶりがよくわかる感動的な風景だと思います。

スライド写真  里山の多くは、今、手入れをしていないので、足を踏み込めない状態になっています。最近、山火事が頻々とおこっていますが、わたしは将来を思うと怖くて仕方ない。これほどリターをためると、火がついたときにどんな被害が及ぶか、はたしてそれを知っているのかと心配になるのです。

 結論を申しのべますと、森と人間というのは対立しながら共存するという歴史的な過程を経てきました。人間は森と共存せざるを得ない。そこでなにが起こったのか、とくに近代化の中で木を伐り過ぎる、または森を荒らすことが論議されています。今の社会は、その行く末がわからずに迷っているようです。1959年、国連地球観測年に出席した科学者は「森が危ない」と言ったけど、あまり信用されなかった。その後ようやく「沈黙の春」で代表されるような環境に対する意識が高まります。1972年のストックホルムの会議で、ここで守らねば地球は壊れるぞと言い出した。これに対してヨーロッパは実行を重んじるところで、1994年になるとヘルシンキプロセス、その二、三年後にモントリオールプロセスでアメリカ、それからタラボットプロセスというので南アメリカというふうに、具体的な手を打ち始めている。ところが日本は、なんとなく迷っていてあまり腰が座ってないんじゃないという気がいたします。

 ただ、不思議なことに、日本人が今放置している自然林というのが、ドイツ人がストックホルムやヘルシンキプロセスなんかでやっている、ゲルマンの森に返そうというのと同じ現象をおこしていることです。これは幸というべきか、不幸というべきか。そういう中で、今、私たちも森の未来というのを考えていくべきではないかと思います。

 短時間のうちに話をまとめなければなりませんでしたので、詳しくは5月に刊行予定の『森と生きる』(山川出版社)をご覧ください。

 私の話はこれで終わります。(拍手)


『森と生きる』表紙 『 森と生きる 対立と共存のかたち

 小山修三 著

 2002年5月20日発行

 山川出版社