国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

石毛直道館長・栗田靖之教授・杉田繁治教授 退官記念講演会

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2002年3月19日開催

石毛直道館長 退官記念講演会

経歴ご紹介 熊倉功夫

講演風景 石毛直道館長が本年3月でいよいよ退官されることになりました。その石毛先生は、昭和38年に京都大学史学科を卒業され、そして昭和40年に京都大学人文科学研究所に助手として採用されております。ここでは梅棹先生のもとで、助手としてのお仕事をなさったわけでありますが、私的なことを申しますと、ちょうど私が人文科学研究所に助手として採用されたときに、入れ代わりといいますか、ちょうどすれ違いで甲南大学のほうに石毛先生は出られまして、人文研では私は直接おつき合いすることはなかったのですけれども、そのころしばしば研究会に見える様子をそばから見ておりまして、まことにさっそうとしていて、若手研究者ではありますが威風堂々たるところがございました。

甲南大学の助教授を経まして、昭和49年に民族学博物館に助教授として採用されました。昭和61年に教授に昇進され、平成元年、総合研究大学院大学が設置されるにつきまして、併任教授になっておられます。平成3年に第2研究部長に併任されまして、その後各研究部の部長を経られました後、平成9年4月に国立民族学博物館の館長に任命されまして、今日まで6年間の館長職にあったわけでございます。

その間、大学共同利用機関の評議員、あるいは運営審議会の委員等々の大変たくさんの役職を兼ねられております。また、政府の委員会の委員もお務めになるなど、大変多忙な6年間を最後に過ごされたわけでございます。

業績につきましては、きょうは皆さんのお手元に「石毛直道著作目録」という大変ぶ厚い目録が届いておるかと思いますが、これを見ますと、約2300のタイトルが挙げられております。著書に関しましては、ちょっと数えておりませんけれども、優に50冊を超える著作がございます。非常にたくさんのお仕事をしてこられたということがわかります。そのお仕事の内容につきまして、少し申しあげたいと思います。

石毛先生は考古学の卒業生でありますので、最初のお仕事は、「日本稲作の系譜」という、日本の稲作の伝播経路を論じた論文でありますが、これの中で揚子江河口付近から日本に直接渡ってくる稲作伝播の経路につきまして、石のナイフの形状を軸に非常に明快な議論を展開して、いまだにその論文は評価されているところでございます。

そしてその後京大の人文研助手時代には、アフリカ研究に転じまして、タンザニア、リビアでの現地調査を行っております。こうした8つの社会における民族誌的な調査結果をもとにいたしまして、住居空間の比較研究を行いましたのが、「住居空間の人類学」という昭和48年に出版された書物でございます。これに対しましては渋沢賞が授けられております。

その後、数多くの調査がありますがなかでも民博にこられましてからはハルマヘラの調査隊を組織し、その民族誌をまとめられております。

また、昭和53年には「環境と文化」という論文集を編集し、その中で環境観についての一つのモデルを提示いたしました。これは画期的な理論として、その後その方面に大きな影響を与えた論文でございます。

こうした様々の分野について石毛先生は仕事をしてこられましたけれども、なかんずく食文化につきましては、前人未踏の大きな業績を挙げてこられました。そもそも「食文化」という言葉自体がそれほど一般的な言葉ではなかったのです。近年、ようやく定着したわけでありますが、そもそも石毛先生が食文化ということを提唱され、その研究会をいろんな形で組織され、あるいは成果を発表してこられた結果でございまして、まさに日本における食文化研究のパイオニアの役割を果たされてまいりました。

食文化の研究は、業績目録をご覧いただきましても大変たくさんございます。その根底には、人間は料理をする動物である、人間は共食をする動物であるという二つの命題から出発いたしまして、食生活の物質的側面、つまり食品加工を含めました食材等々の物質的な側面と、精神的側面、ことに食事行動という、物心二つの側面を統合的に把握するという視点を貫いて、現地調査に基づく比較研究を重視してまいりました。

その成果が「食事の文明論」をはじめ、たくさんの書物になっておりますし、また、海外調査としては、ロスアンジェルスの日本料理店の調査を小山修三名誉教授とともに進められたり、あるいはケネス・ラドル教授とともに魚醤の研究を進められ、平成2年には「魚醤とナレズシの研究」で東京農業大学から農学博士の学位を授与されています。

さらにめん類の研究、あるいは酒の研究等々、たくさんの食文化に関する研究がございますし、味の素食の文化センターにおいて、20年にわたる食文化フォーラムの組織者として努力され、20冊に及ぶその成果の書物には、すべて編者となっておられます。

そうした業績に対しまして、海外からも注目され、英文で石毛先生の日本食文化史の書物が出版されておりますし、学会での講演も数多く、韓国食文化学会、中国飲食文化学会等々の学会の理事等を務めていらっしゃいます。

このように石毛先生の学問的業績はあらためて繰り返すことでもございませんが、大変大きなものがございますが。しかし最後の6年間におきましては、民族学博物館の館長として大きな学問的犠牲を強いられた、ともいえましょう。石毛先生の学問的な実り豊かであるべき6年間を、民博の運営のために努力されたわけでございますが、その仕事ぶりをそばで見てまいりまして、本当に頭の下がるような誠意ある館長ぶりでございました。

石毛先生は大変誠実な方でございます。これはどなたもおそらく異口同音認めるところだろうと思います。先生は、恥ずかしがり屋でございますから、あまりそういうところはお見せになりませんけれども、徹底して誠実にどなたともおつき合いしていこうというご人格には、私は本当に尊敬の念を持っております。

研究者間のおつきあいではもちろんでございますけれども、研究者以外の市民の皆様方、ことに産業界、実業界などの異業種の方々の石毛先生に対する信頼と申しますか、心の寄せ方というものには大変なものがあります。すばらしい魅力を皆さんが感じられて、石毛先生のお仕事をなにか助けてあげたい、あるいはそこから教えてもらいたいという方々が、社会の中にたくさんいるということを、私はこの11年間、つくづく感じてまいりました。

そうした石毛さんの普段は、まことに天真爛漫でございます。さっきも申しましたが、大変シャイな方でございますので、あまり自分のことをおっしゃることはないんでありますが、一口アルコールが入りまして、やがてたくさん入りまして、だんだんに天真爛漫になりますと、ただただ笑い、かつ興じ、座談の妙を尽くしまして、人々を飽きさせない、たくまずして周りの人々を明るく、楽しませもてなしてくださるというところがございます。

そういう一つの行事として、毎年開催してこられました石毛さんの花見会が、これまた館内、館外のたくさんの方を喜ばせてこられた名物行事でした。こういうところに本当の石毛さんらしいところがうかがえるように思います。

いろいろな楽しみも犠牲にしながら、独立法人化という大きな組織の変更を射程に入れて機構改革をすすめるという、館長としての重責を担われたわけでございます。そこには言い知れぬ、人には語りえぬご苦労がたくさんおありだったと思うんであります。しかし、泣き言一つ言わず、ほとんど毎日のように出張やら会議の出席やらされながら、ときどきけがをされるというようなことはおありだったようでありますけれども、本当に病気をせずにここまでこられた、これはまことに強靱な石毛先生の精神と体力の賜物であったろうかと思います。そういう先生のお仕事が、これからの民博の将来に大きな礎を残されました。あらためて、深い感謝の念をささげたいと存じます。

民博での最後のお仕事が「食べるお仕事」という講演です。これもまことに石毛先生らしいタイトルでございますが、最後までご静聴のほどお願いいたしまして、私のごあいさつといたしたいと思います。どうも失礼いたしました。