国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

立川武蔵教授・熊倉功夫教授・田邉繁治教授 退職記念講演会

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2004年2月18日開催

立川武蔵 退職記念講演会

経歴ご紹介 長野泰彦

講演風景 それでは、最初の講演者であります、立川武蔵教授に関するご紹介を申し上げます。
立川先生は、1964年に名古屋大学の文学部哲学科インド哲学専攻を卒業なさいまして、その後、名古屋大学大学院、ハーバード大学大学院に学ばれました。

1970年に名古屋大学文学部講師として帰国されました。私の記憶では、初めて立川さんを見たのはこのときだったと思います。そのころはもっとかわいい顔をしていまして、かつイガグリ頭でした。クリクリだったのですね。

その後、民博には92年に着任されておりますが、その前10年間は客員教官として、私どもの共同研究の運営に尽力されました。純然と研究という点から言えば、ひょっとすると、専任時代より併任時代のほうがハッピーだったかもしれません。

立川と言いますと、ただちにマンダラに結びつくわけでありますが、おそらくこれはご本人にとっては迷惑なことかもしれません。立川さんの研究というのは、非常に範囲が広いわけですけれども、一番の本筋は「仏教の空思想の研究」であります。その後「ヒンドゥーの実在論」に転じ、これがハーバード大学における学位論文の基礎になっております。その後「チベット密教の教理とマンダラの研究」、さらに「ヒンドゥー教の儀礼と図像の研究」へと拡がり、もう一回「日本仏教の研究」に戻ってまいりまして、最近ではそれらを統合した「宗教行為の構造に関する総合的な把握」というふうに、研究が進展してきているのではないかと考えています。

立川さんの成果の発表の仕方としてユニークなのは、専門的な著述を発表すると同時に、一般の人にもわかりやすい形で、平易に解説するということを常に心がけておられたということではないかと思います。

業績は、先ほど申しましたように、6つの分野に関して非常に多岐にわたっておりまして、その数も膨大であります。しかしながら、私が感心するのは、印哲の出身者にしては非常に稀有なことだと思いますけれど、文献学的な研究と宗教が行われている場、つまりフィールド、の観察が、常に車の両輪として動いてきたという点であります。

もう一つは、これも珍しいことだと思いますけれど、物質文化に対する興味というのが常にあったということで、単に文献を精査するだけではなくて、場から生じるところのモノを等しく重視してきたことであります。

先ほど業績の分類の一番最初に申しました「空思想の研究」。これはやはりご本人がスタートとなさっただけありまして、結局またそこへ戻ってきているという感じがします。もともと立川さんは、こういう温厚な顔をなさっていますけれど、高校のころから宗教に対して意識の高い闘士でありました。浄土系の宗門学校、東海中学、東海高校のご出身ですが、そこの校庭に立っては、「いまの日本の仏教のあり方はけしからん」という意味のアジ演説をしょっちゅうやっていたのだそうであります。

結局、日本の実際の仏教のあり方というものについての批判的な目と、哲学的に「空」というのは一体何であるかという問いとが常に平行して動いてきた点は、立川さんの学問のあり方を特徴づけていると思います。最近の著作がつとに「思想性」を帯びてきているのもこのことと関連があります。実現するには紆余曲折がありそうですが、長年の夢だった「仏教神学研究所」というのを創設して、より高い思想性を目指してくださることを願っております。

4月以降は愛知学院大学で再び教鞭をお取りになることになっておりますが、今後のご健康とご活躍をお祈りしております。