国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。
english site

文化遺産の人類学―グローバル・システムにおけるコミュニティとマテリアリティ

研究期間:2013.4-2016.3 / 研究領域:マテリアリティの人間学 代表者 飯田卓

研究プロジェクト一覧

研究の目的


文化遺産は、モダニティの進行とともにたち現われてきた概念である。多くの文化遺産は、過去との結びつきにその価値を置くため、モダニティとは無関係に思えるかもしれない。しかし、過去との結びつきを価値あるものと認識するためには、たゆまぬ変化を常態とするモダニティが進行していなければならないし、文化遺産を客体化しつつ歴史に照らして評価する科学的精神も必要である。じっさい、文化遺産という概念が市民権を得ていくうえでは、20世紀のナショナリズムや多文化主義をふまえた文化行政が大きな原動力となった。
本研究では、そうした不易と流行のせめぎ合いのただなかにあるものとして文化遺産をとらえる。そして、過去との結びつきを断とうとするモダニティの圧力が高まり、記憶が共同体のなかで無条件には存続しえなくなったいま、文化遺産を伝えようとする人びとがどのような物質的基盤をよりどころに過去との結びつきを保っているかを実証的かつ理論的に示す。また、過去との結びつきを模索する人たちの動きが合流し、文化遺産を支えるコミュニティがたち現われるプロセスを論ずる。
ここでいう文化遺産は、それを伝えようとする人たちが定義しようとするものだから、文化行政が定める文化遺産とはかぎらない。しかし、本研究であつかう文化遺産に共通性がないわけではない。関係者が文化遺産を定義し、その価値を幅広い層に訴えかけるうえで、過去から伝えられたモノや記録を活用する点である。このように、モノを資源としてグローバル・システムに働きかける人びとに着目することで、過去につながるモノをめぐって現在にコミュニティがたち現われるプロセスを議論する。

研究の内容

本研究は、さまざまな地域の専門家が集まるという民博の利点を生かし、各地域における文化遺産の現状をメンバーや関係者に報告してもらいつつ、地域的な文脈にとらわれないかたちで文化遺産が置かれた状況を考察する。これは、2005年から2008年にかけて民博が日本学術振興会から委託を受けて実施したアジア・アフリカ学術基盤形成事業「アフリカにおける文化遺産の危機と継承──記憶の保存と歴史の創出」(日本側コーディネーター:吉田憲司)において採用した議論の進めかたである。本研究では、対象地域をアフリカにかぎらず、民博館員の活動地域全体に広げることであたらしい展開をはかる。
本研究のメンバーを組織するうえでは、関連する研究プロジェクトを進めている民博館員からの協力を得た。たとえば、2010年から始まった人間文化研究機構の連携研究「映像による芸能の民族誌の人間文化資源的活用」(代表:福岡正太)では、九州地域の伝統芸能を映像記録することがコミュニティの「遺産」継承活動にとってどのような意味をもつかが議論されてきた。2010年から始まった共同研究「中国における民族文化の資源化とポリティクス――南部地域を中心とした人類学・歴史学的研究」(代表:塚田誠之)や、2012年から始まった機関研究「中国における家族・民族・国家のディスコース」(代表:韓敏)においても、中国における民族文化がグローバル化との関わりのなかで意味づけられ、継承の対象として見なおされるプロセスが議論されている。さらに、2012年から始まった「災害復興における在来知――無形文化の再生と継承の記憶」(代表:橋本裕之)においても、コミュニティの破損・離散という状況のなかで文化遺産を継承していく方途が模索されている。
展示の分野でも、コミュニティにおける文化遺産の継承をあつかった展示が近年は増えている。本研究のメンバーに関わるものだけをあげても、「深奥的中国――少数民族の暮らしと工芸」(2008年秋特別展)、「自然のこえ 命のかたち――カナダ先住民の生みだす美」(2009年秋特別展)、「歴史と文化を救う――阪神淡路大震災からはじまった被災文化財の支援」(2010年秋企画展)、「千島・樺太・北海道 アイヌのくらし」(2011年度秋特別展)、「記憶をつなぐ――津波災害と文化遺産」(2012年夏企画展)、「マダガスカル 霧の森のくらし」(2013年春特別展)などがある。さらには、毎年11月の年中行事となっているカムイノミのように、さまざまなコミュニティとの交流をとおして遺産継承の一端をじっさいに担うという活動もある。
このように近年並行しておこなわれている複数のプロジェクトを束ね、地域的な文脈を超えて議論を進めていくのが本研究のねらいである。本研究によって明らかになる世界的な動きを視野に入れることで、個々のプロジェクトの実りも、より大きなものとなりえよう。
ただし申請者らは、対象地域を広げさえすれば成果が得られると考えているわけではない。地域的な文脈を超えて議論を共有するため、本研究では、過去から伝えられたモノまたはその記録(展示を含む)を資源としつつ人びとがコミュニティを立ち上げ、政治や経済などのグローバルな制度と関わるプロセスを集中的に論じていくこととした。具体的には、コミュニティが1. 文化行政とどのように関わるか、2. 観光誘致や商品化などとどのように関わるか、3. 外部との交渉が限定された紛争や災害といった事態にどのように対処するか、4. コミュニティ内部の結束をどのように高めているか、といった問題を比較検討する。このことにより、民博研究者が個別に進めていた複数のプロジェクトの統合をはかり、高次元での研究成果を生みだすことが期待できる。

2015年度成果
◇ 今年度の研究実施状況

2015年10月13日に国際フォーラム「文化遺産レジームを考える――レギーナ・ベンディクス教授を迎えて」を国立民族学博物館第4セミナー室で開催し(主催:国立民族学博物館、共催:日本民俗学会第67回年会実行委員会、科学研究費補助金(基盤研究A)「東アジア〈日常学としての民俗学〉の構築に向けて」(代表:岩本通弥))、2016年3月11日~13日に国際シンポジウム「無形文化遺産の継承における「オーセンティックな変更・変容」」を国立民族学博物館第4セミナー室で開催した。後者はとりわけ、3年間にわたって継続した機関研究プロジェクト全体を総括することが開催目的のひとつだった。また、後者の国際シンポジウムに合わせて3月14日~16日に奈良での研究集会をおこない、シンポジウムの趣旨をより広い文脈において訴えかけるための議論をおこない、成果刊行にむけての準備を進めた。

◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)

10月の国際フォーラムにおいては、ヨーロッパのヘリテイジ・スタディーズ(遺産研究)の第一人者を招いて議論をおこなった。文化遺産に関わる現象を、社会文化的ないし法的なマクロな文脈において調査研究することの重要性が確認されたのと同時に、本研究プロジェクトがめざすミクロな調査研究や、日本のローカルな文脈に即した調査研究の重要性も確認された。
翌年3月の国際シンポジウムは、上記の確認点をふまえてミクロな文脈およびローカルな文脈において各研究者が研究発表をおこない、なおかつ別個の研究としてではなく「文化遺産の人類学」というひとつの研究潮流としてまとめるよう試みた。こうした個別民族誌的研究の一般化は、機関研究全体をとおして開かれたフォーラム・シンポジウム・研究集会を一貫させる総括的な作業として、期間終了の直前にぜひともおこなう必要があった。結果は、当初意図した以上の成果を収めたといってよい。
まずミクロないしローカルな視点をとることの重要性は、ユネスコが世界遺産・無形文化遺産に関わるプロジェクトにおいてある種のローカリズムを奨励していること、日本の文化財行政もそのことを意識して制度設計を見直す余地があることから、相対主義的アプローチとして文化人類学の分野から論じていく意義が大きい。現象の解釈においてはミクロかつローカルな文脈を無視できないものの、解釈することの意義はグローバルな背景をふまえてはじめて可能なのである。
また、さまざまな文化現象を「文化遺産」としてまとめあげる視点は、前年度までの議論で明らかになったとおり、19世紀から20世紀にかけてのナショナリズムの高揚によってはじめて生まれたものである。こうした事実は、「文化遺産」という視角がかなりの一般性を持つことを示しているが、文化遺産の担い手自身がそれを文化遺産とみなさない事例においては、有効性をもたないことが当初危惧されていた。しかし今回のシンポジウムでは、ほとんどすべての文化現象が外からのまなざしを受けつつ変貌していることをふまえ、むしろ積極的に文化遺産として考えるべきだという見かたが提示された。
機関研究の副題にある「コミュニティ」は、閉鎖的な担い手集団を想起させる危険があるものの、そうではなく外部に開かれたゆるやかな集団とみなすことにより、「伝承のレスポンシビリティ(応答性、責任)」という複雑な問題にむしろ解決の糸口を開くことが示唆された。これは、意匠のコピーライト(知的所有権)の問題にも連なっている。多くの事例においては、個人や会社が権利を有する著作物と同じように文化の知的所有権を厳密なかたちで主張することには、限界があるからだ。つまり、文化の担い手は、文化を広めようとするいっぽうで、政治的権威や大資本企業に悪用されることを警戒しなければならない。この二極のバランスをとるためには、文化を独占するのでなくシェア(共有)しながら運用していく態度が重要だと指摘された。シンポジウムで検討できた事例はかぎられているが、それ以外の多くの事例において文化遺産に関わるコミュニティが立ちあがる背景として、こうしたシェアしようとする意思が働いていると推測された。
シンポジウムのテーマとなっているチェンジ(変化または変更・変容)に関しては、とりわけ非アカデミックな場において、文化遺産の継承にとっては否定的なものと捉えられがちだった。しかし無形文化遺産においては、同一とみなされることがらの反復によってものごとが伝承されており、毎回の実践が否応なく微妙な差異をはらむ。このため、さまざまな時代的状況に応じて細部を変更していくことは別の点で同一性を保つためにむしろ重要であり、そうした変更にもかかわらず反復のすべてを同一とみなす担い手自身の視点を理解することが研究者や行政実務者にとっても重要だと指摘された。こうした視点の転換は、ミクロないしローカルな視点を謳いあげる相対主義的アプローチを構成するもうひとつの重要な主張である。

◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)

河合洋尚・飯田卓(編)『中国地域の文化遺産――人類学の視点から』国立民族学博物館調査報告、2016年3月。

2014年度成果
◇ 今年度の研究実施状況

前年度にひき続いて1回の研究打ち合わせをおこない、前年度から数えて2回にわたる打ち合わせの成果を国際シンポジウム、国際ワークショップ、公開フォーラムのかたちで公開した。以下、5月17日の分科会と6月27日の公開研究会をのぞいては、すべて民博を会場として開催した。

◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)

2014年度は一般公開むけの企画を集中的におこなったため、文化遺産がもつ学術的な問題性を広く周知できたと考えている。とくに公開フォーラム「和食は誰のものか?」では、身近なユネスコ無形文化遺産のもつ課題を提示し、公開研究会「文化遺産管理における住民参加」と国際フォーラム「紛争地の文化遺産と博物館」では、文化援助や紛争解決といった問題に周辺住民がどのように関わるかを紹介した。また、国際フォーラム「中国地域の文化遺産」では、日本と同じ東アジア地域に属する台湾や、日本や台湾と文化行政の文脈を同じくしながらも文化大革命を経験した中華人民共和国においてどのような文化運動が展開しているのか、国家制度的な枠組みを参照しながら議論していくことの意義を紹介した。
学術的な成果としては、文化遺産の問題を歴史学や美術史としての問題だけでなく、現在に生きる人々の生活実践の問題として捉えることの意義を多くの文化人類学者と共有し、ネットワークを形成できたことが大きな成果である(公開フォーラム「文化遺産の人類学」国際フォーラム「中国地域の文化遺産」)。このことは、最終年度の2015年度にむけて、重要な布石となった。2015年度の最終シンポジウムは、2014年度に固めたネットワークをふまえて実施していく予定である。また、文化遺産を制度的に認定されたものにかぎるのではなく、現代社会において文化的実践がもつ意味を明らかにするヒューリスティックな(課題解決というより課題発見のための)概念として用いることの有効性も確認された。
上述したような一般的課題における文化遺産概念の有効性のほか、公開フォーラム「和食は誰のものか?」では、聴衆全体にとって身近な「和食」を無形文化遺産と位置づける場合の課題が、学術的にも、行政的にも、また生活と文化との関わりを考えるうえでも、解決すべきものとして残されていることが明らかになった。このことは、2015年度(最終年度)に無形文化遺産をテーマにシンポジウムを開催するうえで、論点整理の意義をもつ。また、学会分科会「遺産は人びとを橋渡す」、国際フォーラム「紛争地の文化遺産と博物館」、公開研究会「文化遺産管理における住民参加」では、それぞれ、復興災害や紛争解決、文化援助といった異なった文脈において文化遺産の問題が関わる局面を具体的な事例から明らかにすることができた。3つの問題に共通して指摘できるのは、担い手のいない「文化遺産」の担い手コミュニティを再構築していく過程で、多面的機能をもつ社会関係を構築できる可能性である。この目標を実現していくうえでは、偏狭なナショナリズムに陥らない方策を見きわめる必要があるが、目標そのものは、21世紀の文化が目ざすべきもっとも重要なもののひとつとして提起されうる。

◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)

2013年度に開催した国際シンポジウムでの報告と議論をもとに、”Heritage Practices in Africa”と題する論文集を編集中である。この原稿は2014年度内にすべて集まる予定で、集まった原稿の書きかえなどの作業を2015年度にかけておこなう予定である(形態はSESを予定)。
IUAESの分科会として開催した国際フォーラムの結果も、原稿が集まりつつある。ただしこれは1冊の論文集とするには分量が不足しているので、2015年度に開催する国際シンポジウムの成果とあわせて出版する予定である(形態はSESを予定)。
公開フォーラム「文化遺産の人類学」でなされた報告は、同名の2巻本に収録するべく、出版社と連携しながら編集を進めている。この2冊本のなかには、国際フォーラム「中国地域の文化遺産」でなされた報告の一部や、レギュラーメンバーが継続的に議論してきた内容をふまえた論文も収録し、30章から成る予定である(形態は外部出版を予定)。
さらに、国際フォーラム「中国地域の文化遺産」で発表されたすべての報告は、SERの形態で総合討論を含めたプロシーディングズを刊行すべく準備が進んでいる。

2013年度成果
◇ 今年度の研究実施状況

複数回の研究打ち合わせをおこない、その成果を国際シンポジウム、国際ワークショップ、公開フォーラムのかたちで公開した。

また、機関研究の枠とは別に開催した国際ワークショップ「伝統知、記憶、情報、イメージの再収集と共有――民族誌資料を用いた協働カタログ制作の課題と展望」(伊藤敦規が企画、民博が主催)において議論をおこなった。ここでは、館内メンバーのうち3名(伊藤、野林、福岡)が報告をおこない、他の若干名と館外メンバー3名(宮田、俵木、小川)が討論に参加した。そして、一種の文化遺産である博物館の資料を核として、コミュニティを活性化する方策や条件について議論した。これにより、公開フォーラム企画者が提案するあたらしい博物館運営のありかたが、多くの文化遺産が直面するのと同様な実務的問題を生む可能性があることも明らかになった。

◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)

まず、年度最初の国際シンポジウム「文化遺産はコミュニティをかたどるか?」では、コミュニティと文化遺産の相互規定的発展を確認し、研究期間全体の課題を明確化した。文化遺産の表現(祭事や民芸品、写真、映画、展示など)は、その担い手を再生産するはたらきをもち、担い手はあらたな表現にたずさわる。しかしその表現のありかたは、コミュニティの構成や価値観とともにたえず変化していくものであり、担い手どうしのあいだでもしばしば論争を呼ぶ。こうしたプロセスには、グローバルな政治経済や、「伝統」擁護者もはたらきかける。文化遺産は、プロダクツというよりプロセスであるというのが、シンポジウム参加者の合意点となった。
この議論の延長を見こんで1ヶ月後に開催した国際ワークショップ「武器をアートに」では、モザンビークの内戦後に回収された武器をもとに現代美術的な表現をおこなうという活動について議論した。議論のなかでは、プロジェクトを通じて制作された作品が、アートと社会との関係を根源から見直すことを促す力を備えていることが指摘された。この力は、活動の継続によって文化遺産として定着していく可能性があるいっぽう、平和の定着にむけた実効力はかならずしもじゅうぶんといえず、現代アートという枠を越えてより広範な担い手を集めるには至っていない。制作スキルを備えた者にくわえて、それ以外の担い手が今後どのように参与していくかが注目されることとなった。
以上の議論をふまえて、年度終盤では、コミュニティとの関係をより強く意識しながらテーマ選択をすることになった。このため、公開フォーラム「負の文化遺産の保存と展示をめぐって」では、戦争や自然災害によって多くの人びとが負の記憶を抱えているなかでそれを伝える運動がどのように展開していけるかを議論した。広島の原爆ドームが残された背景としては、広島が軍都から平和記念都市に脱皮をはたす時間が経過するまで放置され、建築物としての損傷も受けなかったことがあげられる。これに対して、当事者が冷静に歴史をふり返るほどにじゅうぶん時機が熟していない東日本大震災の遺構の場合は、早急に手続きを済ませようとする行政の圧力のなかで、精神的なトラウマを抱えた被災者をじゅうぶんに配慮して記憶を継承していくべきことが確認された。
次年度以降は、文化遺産の範囲がかならずしも明瞭でない無形遺産の継承や、担い手のいない埋蔵文化遺産の継承、戦争や災害によってコミュニティが離散し文化遺産も破壊されたケースなどについて、集中的な議論をおこなう。

◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)

国際シンポジウムと国際ワークショップの成果は、2014年度中のSES刊行を目標として、現在準備中である。公開フォーラムの成果は、2014年5月に開催する国際人類学民族科学連合の国際学会分科会の成果とあわせて、2015年度中にSESにて刊行する予定である。