国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

手話言語と音声言語の比較に基づく新しい言語観の創生

研究期間:2013.4-2016.3 / 研究領域:マテリアリティの人間学 代表者 菊澤律子

研究プロジェクト一覧

研究の目的

本プロジェクトは、言語と、言語を担うヒトとの関係を、手話言語と音声言語の比較を通じてとらえ直すことを目的とする。

言語は、客観的に観察可能であり記述の対象となるという点で、ヒトからは独立した存在であり、人間が用いるツールのひとつととらえることができる。人間の言語には、手話言語と音声言語というふたつの形態があり、コード化という面で共通性を持つ一方、伝達のために用いるのが音なのかビジュアル情報なのかという「モダリティ」の面で異なっている。言語学は、長く、音声言語を対象とした研究成果に依ってきており、手話言語の記述研究への関心が高まってきた当初は、その音声言語との共通性について論じられることが多かった。本プロジェクトでは、そこから一歩すすみ、モダリティの違いに起因する「違い」を論じることで、人間の言語をよりよく理解しようと試みる。

手話言語と音声言語の違いを見ることは、さまざまな面で、言語学における基本概念の見直しにつながる可能性がある。たとえば、時間軸に沿って一本の情報が流れ続けるとされる「言語の線条性」は言語の基本的な特徴とされてきた。手話では、時間軸に沿う、という点では共通しているものの、同時に並行して二系統・複数の形態素の表現が可能である。同時並行する情報を、手話話者はどのようにコードとして認識し、理解しているのだろうか? モダリティの違いに焦点をあてることで、言語というツールを人間がどのように認識し使っているのか、を新たに認識し、これからヒトはどのように言語と付き合ってゆくのか、本研究により、単にその記述のための方法論にとどまるのではなく、言語教育や社会体制などといったより広い文脈においても考察することができるようになることが期待される。

 

研究の内容

本研究は、手話言語と音声言語の言語学的特徴の違いを念頭においた記述方法の検討を軸としてすすめると同時に、各年度において以下の特別テーマを設定し、より広い文脈で言語の記述、および記述される言語の本質について検討する。

一年目は、「身体表現と言語」を観察することにより、人間の言語理解に関する認知的側面について考える。音声言語話者の言語の理解に視覚情報が関わっていることは、日常的には「電話での伝達の難しさ」という形で認識されており、科学的にはマガーク効果などにも観察される。また、身体表現をつかって、ことばでは表わせないメッセージを伝えることは、意識・無意識に行われている。一方、手話話者にも感情表現でしばしば発声がみられることを考えると、「(発)声」は、必ずしも聞こえることだけを目的とする行為ではなさそうだ。これらの点について、認知科学系を中心とした専門家を迎え、検討する。

二年目は、「言語の聞き取り・読み取りの限界」を観察する。音声言語話者は、流れる音のすべてをプロセスして言語を理解しているわけではない。たとえば、分断された録音を聞いても、よく知っている情報に関するものであれば聞き取ることができることはよく知られている。それでは、手話話者の読み取りの限界はどこにあるのだろうか?このことは究極的には、人間の情報プロセス能力の理解につながり、手話言語データの匿名化の可能性や同時通訳の通訳法など、実用面にも結び付く可能性のある課題である。工業技術系を中心とした専門家を迎え、検討をすすめる。

三年目は、「言語間コミュニケーション」について考える。最初の二年間で観察した、音声と身体表現、言語の理解能力等から、外国語によるコミュニケーションや言語習得を考えたとき、何が見えてくるのか。ツールとしてのことばに向き合う新しいあり方を考えることで、第一、第二言語教育のあり方にとどまらず、グローバル時代におけるヒトと言語の関係、翻訳機時代のヒトと言語の関係に対する新しい見方を拓くことを目標とする。

以上の検討をすすめるために国際研究集会を開催する。また、手話言語学は新しい研究分野であり、研究者数が少なく、専攻できる場も限られていることを鑑み、研究集会は、若手研究者や大学院生、一般にも関心を持ってもらえるよう、ワークショップ(手話言語学に対する入門的アプローチ)とシンポジウム(専門的内容)の組み合わせとする。

  1. 国際研究集会の開催
    言語の記述に関する課題に加え、上で述べたような、言語に関するさまざまな側面をテーマとするセッションから構成する。これにより、最新の学術成果を国内で提供すると同時に、今後、研究が必要とされている分野を明らかにする。手話言語の記述・記録・保存に関する言語学における基礎知識を身につけるための国際ワークショップおよびセミナーの開催により、若手研究者や関心をもつ研究者一般に手話言語学についての基礎と実践を学ぶ場を提供する。また、これらを一般公開で行うことで、ろう者を含む一般社会の成員に手話言語学の存在とその性質を理解してもらい、当該分野の将来的な普及につなげる。
  2. 学際的研究対象としての手話
    1)において、教育学、文化人類学、脳科学や認知研究、工学(ビジュアルデータの機械認識等)等、関連分野の専門家を積極的に招へいし、言語の記述をより広い文脈でとらえるための視点を拓く。

2014年度成果
◇ 今年度の研究実施状況

みんぱく手話言語学フェスタ2014を以下の要領で開催した。
(1)時 期:2014年10月4・5日
(2)場 所:大阪・国立民族学博物館
(3)対象者:国内外の大学生、大学院生、および研究者(一般公開)
(4)内 容:「言語の記述・記録・保存と通モード言語類型論
手話言語学の研究成果を国内で紹介すると同時に、音声言語学の専門家とのディスカッションの場を持つことで、言語分析についての新しいアプローチの可能性を模索することを目的として、国際シンポジウム「言語の記述・記録・保存と通モード言語類型論」を開催した。言語研究におけるさまざまな分野をカバーし、ディスカッションのきっかけとするため、オムニバス形式の講演会方式をとった。手話言語学における最新の研究トピックの各発表に対し、音声言語学における研究成果をマッチングで報告してもらった後、講演者の間での公開ディスカッションの時間を設けることにより、各トピックにおける共通課題とモード(コミュニケーションの形態)の違いにもとづく相違点を明らかにする手がかりとすることができた。2日目の午後は、研究者のみのディスカッションタイムを設け、講演内容を掘り下げた。

◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)

一年目は、手話言語学研究者と音声言語の研究者との接点をなかなか見いだせずにいたが、2014年度のシンポジウムにおいては、手話言語の研究者と音声言語の研究者の間でテーマを合わせた発表を3組含めることができた。具体的には、アスペクト、方向動詞、調音器官と音韻論、というそれぞれの分野で、たとえば、調音器官についていえば、具体的な調音メカニズムの類似点と違い、音韻論についていえば人間の認知と弁別、アスペクトや方向動詞については、チャンネルにより何が表現できて何が表現しにくいのか等、対比するにあたり具体的な項目が話題となった。講演者の組それぞれの間での公開討論の場では、このような、チャンネルの異なる二種類の言語(視覚言語と聴覚言語)間の違いや共通点について議論を進めることで、研究の進め方についても手がかりが少し見えてきたと感じている。2014年度には手話言語のみについてのみの発表となったテーマについても、映像等での記録を利用し、次年度は対応する音声言語学の発表を招待するなどして、成果を広げてゆくことができればと考えている。

◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)
  • 講演等はすべて映像収録し、とくに大切と考えられるものについては、ろう者やろうの研究者への情報保障を考慮し、インターネット上で情報保障(字幕付き・手話通訳)付き映像資料として以下のサイトに掲載している。
    http://www.minpaku.ac.jp/sokendai/ssll/index.html
    (総合研究大学院大学学融合推進センタープロジェクト「手話言語学を世界へつなぐ―メディア発信と e-learning 開発に向けて―(研究代表者:菊澤律子)」ウェブサイト)
  • 2014年分の映像については、現在、文字起こしおよび翻訳待ち状態となっており、他映像配信アプリを利用して順次、上記ウェブサイトに掲載する。
  • なお、シンポジウム当日は、すべての講演内容とディスカッションをインターネット上で配信しており、さらに配信した映像については、民博内で閲覧してもらえるよう、DVDの形に収録している。

2013年度成果
◇ 今年度の研究実施状況
  1. みんぱく手話言語学フェスタ2013の開催
    言語の構造における基礎的な特徴のひとつである「語順」について、手話言語と音声言語を同時に観察することで、その概念が言語学においてもつ意味について再評価することを目的とし、一連の研究成果公開集会を主催した。語順は、音声言語においては線状性を前提とした自然な概念であるが、手話言語の記述においては、そう単純ではない。各種ワークショップやシンポジウムなど、大学院生、若手研究者、一般参加者(特に手話話者)及び語順研究の専門家という異なるグループを対象とした異なるアプローチを準備し、それぞれの視点から、手話言語および音声言語における「語順」という概念の見直しに取り組み、その成果を共有した。シンポジウムの講演者には身体表現と語順に関する専門家を含むことで、ひろい意味での「語順」という考え方について考察をはじめるきっかけとできた。
    具体的には以下の通り。
    1. 国際ワークショップ1(9月27日)
      「語順」をテーマに、手話言語および音声言語話者を迎えて、模擬フィールドワークを行った。
    2. 国際ワークショップ2(9月27日)
      さまざまな手話言語の数のしくみについて、ディスカッションを行った。
    3. 国際ワークショップ3(9月28日)
      手話言語と音声言語に関する言語地図の作成および手話言語の現状把握のために言語研究者としてできることについて、議論した。
    4. 国際シンポジウム(9月29日)
      語順と身体表現をテーマに、世界で活躍する研究者による音声言語と手話言語を対照させての講演を伺い、最後にパネルディスカッションを行った。

    この他に関連事業として、5.通訳者交流会(9月30日)、6.機関研究関連みんぱく映画会(9月29日)を主催した。

  2. 国際セミナー「暮らしの中の言語学「ことばの機能障害と言語学」」の開催(東京・日本財団ホール)
    2004年7月、聴覚障害者で手話話者である大矢貴美江さんが交通事故で重傷を負い、利き手の変形および機能障害を負った。現在の法律では、言語に関する障害等級認定基準は音声言語のみが対象となっており、手話言語について詳細を定めたものがない。裁判所の判定では「意思疎通が可能かどうか、手話能力がどの程度失われているのかを中心に個別的に判断するのが相当」とされ、大矢さんの事例については「意思疎通ができており、著しい障害とまで認めることができない」との判断となった。もし、手話言語に関する障害等級認定基準が整備されていたら、大矢さんの手話の障害はどのように認定されていたのだろうか? 本セミナーでは、障害者等級認定基準に取り上げられている音声言語のひとつひとつの特徴が手話言語においては何に相当するのか、言語学的に考察し、日常生活における出来事が言語学の知識とどう結びついてくるのかという視点を通じて手話言語と音声言語の本質的な類似性と違いについて考察した。
◇ 研究成果の概要(研究目的の達成)

ワークショップおよびシンポジウムでは「語順」をテーマに、手話言語学に関する講演を基調とし、それに対して音声言語学の専門家がコメントする形で議論を進めることで、伝達様式の異なる2つの言語を対象にしたときに何が共通して、何が異なっているのか、少しずつポイントが明らかになってきた。例えば、情報構造に関する議論において、時間軸に沿った情報発信が1本であると認識されてきた音声言語においても、超音節要素(プロソディー)による情報伝達が主要言語におけるNMM(手の動き以外の言語表現)にあたるものであり、実は同時に複数の情報が発信されていると考えるべきである、という指摘や、手話の語順に関する分析にあたって、何をもって主語とし述語とするのか、という音声言語と共通の問題点が指摘されるなど、今後の伝達様式の異なる言語間の類型論的研究(Cross-modal Typology)に繋げうる具体的な論点を明らかにすることができた。
セミナーにおいては、言語障害という具体的な事例を言語学的に分析することで、手話言語と音声言語の対象を試みた。言語聴覚学や法律学の専門家、また海外からの参加者を交えてディスカッションを進めることで、コミュニケーションに関与する要素の共通点や違い、また社会におけるその捉え方等、幅広い視点から、伝達様式の異なる言語について検討することができた。ワークショップ・シンポジウムでの成果に加えて、 「ことば」を少し大きな文脈で捉えると言う方向性についても、今後、継続して行きたいと考えている。

◇ 機関研究に関連した成果の公表実績(出版、公開シンポジウム、学会分科会、電子媒体など)
  1. ワークショップ、シンポジウムについては、インターネット配信(オリジナル言語(英語、国際手話、日本手話)に加え、アメリカ手話、日本手話通訳付き)を行った。
  2. ワークショップ、シンポジウムおよびセミナーは、いずれも一般公開で行った。
  3. 紙媒体での報告書、および、ウェブ配信用映像データについては、現在編集中である。
    1. シンポジウムについては、英語字幕を付きでウェブ掲載のため、編集中。(3月末完成予定。)
    2. 1.のなかから数本を選択し、日本語字幕および日本手話付きで掲載する。(来年度。)
    3. セミナーについては、すべてに日本語字幕、日本手話通訳をつけてウェブに掲載予定。(3月末完成予定。)
    4. また、シンポジウムおよびセミに―のいずれについても講演起稿データを紙媒体で出版できるよう、準備を進めている。(最終年度末)

※1.~3.については、総研大プロジェクト経費による。