国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

ストリートの人類学

共同研究 代表者 関根康正

研究プロジェクト一覧

目的

都市は近代のパラダイムが覆い尽くしたかに見える権力空間の中心地であるが、その足下に競争社会から脱落した者たちが吹き溜まる「第四世界」という近代システムがうまくすくい取れない「他性」を現出させている。奇妙なことにこうした逸脱に見える新現象には、前近代からの民俗知のパラダイムへの「先祖帰り」にも見える様相がある。

「産業化」は「都市化」とイコールではないと、<都市的なるもの>を求める「都市革命」をルフェーブルは希求した。近代化は産業化を高度に押し進めてきた。しかし都市化には成功していないのでないか。この未生の<都市的なるもの>の模索の場としてストリートは最適である。なぜなら、産業化的近代化を超え出る何かを現出させているからである。こうして、ストリートの人類学の探索は、マルク・オジェ的表現を借りれば「スーパーモダニティー」の人類学、「同時代世界の人類学」の試みの中核を打ち抜く仕事になるはずである。

*要約の著作権について:
ここに掲載する発表要約は、「進行中の仕事」であり、その著作権は発表者と要約者に属します。したがって、発表者と要約者の許可なしに引用(直接引用も内容的引用も含む)をすることは厳に禁じられます。なお、引用に関する問い合わせは、代表者関根までお願いします。
成果報告

ストリートの人類学は、脱ネオリベラリズムを標榜し、知らぬ間に自分が自分で首を絞めていくような自己監査文化(audit cultures)の檻の中に現実生活を閉じこめていく主流傾向に歯止めをかける意図を有している。この排他的な「高度均質化」に抗する道は、雑多なものの葛藤と共存によって生産されてきたローカル・ノレッジやストリート・ノレッジが果たしてきた役割を注視し、固有の現実に即したその場に固有の解決策の形で突き返す必要がある。ネオリベラリズムは、ドゥルーズの言う管理型権力の社会に対応する。そこでは、ホームとストリートの断絶は、格差の上下に配分されたコミュニティ分割という形に対応して深くなってきている。今日のストリートは、したがってこの分離した二つのコミュニティの無関係の関係をまさに反映している。その両者が、共在による影響関係はあるけれど、それぞれの世界でのサバイバルに、それぞれのやり方で対処している。この意味で、ローカルなものとストリートには共通点がある。どちらも主流権力から押し込まれた空間である。ローカルなものは、グローバル権力によって押し込まれ、ストリートはホーム権力によって押し込まれる。その意味でどちらもサバルタンの生きる縁辺空間となる可能性のある場所である。縁辺の場での生活は様々な主流の圧力のかかる受動的状況の中での抗争contestationであり、不安定で持続しにくいブリコルールの生活構築サバイバルが展開する。この縁辺・隙間は自立した空間ではない。主流空間のすぐ脇に寄生して張り付くように存在する場であり、主流社会の強い空間の意味づけを前提にした流用の所作が見いだせる場所ということである。ストリートな場所はしたがって、主流の流れをすでにエネルギーにしているし、それ無しには成り立たない。そういう縁辺・隙間なのである。勝利の力のネガのようにへばりつく敗北の位置を元手に生き延びる場所のことである。インドで言えば、幹線道路の中央の車道と端の歩道との両方があってはじめてストリートな場所は生成している。この抗争的な接点がなければ、道であってもここでの議論の対象としてのストリートな場所にはならない。現代日本であれば、歩道も殆ど主流の力で抑えられているから、インドの歩道に当たる接点的な流用空間が、公園や安いカフェに見えにくくずれ込むのである。

しかし、私たちの試みは、主流秩序からは無秩序として消去・排除の対象になった様相のなかに、不均質な雑多さを当然視するような「敗北したストリート」の生活世界にあったろう<都市的なるもの>、つまりセネット的な意味での「無秩序の活用」[セネット1975]に再び光を当ててみることにある。そのときは、主流秩序が取り込んだビオスの生が覆う世界においてもなおある穴ぼこや隙間にゾーエーの野生の生を掘りあて、そこからとって返して生活秩序を組み直すような境界的思考が求められるにちがいない。そこでは、活用と言えないような活用、streetwiseとも言えないstreetwiseまで射程に入れる必要があるに違いない。そのために、イデオロギー・レベルでの主流の価値意識・言語の単なる否定や反転ではなく、生活感覚や生活感情という身体性を基盤にした「全体的理解」に基づく根本的反省が必要に違いない。そこに、主流言語が自然化した形で実践されてしまう構造的差別つまり「三者関係の差別」を無効化するような視点転換を促してくれる、ストリートの本格的なエスノグラフィーが待たれる理由がある。

私の定義での意味での縁辺を繋いでいくストリートは、戦術的努力と偶然とともに生起する共同性の渦という<場所place>を創出するだろう。しかし、それは本質化できるような条理的な場所ではなく、平滑化と条理化とのせめぎ合いの中に生まれる渦として存在するのである。

2007年度

研究成果とりまとめのため延長(1年間)

【館内研究員】 竹沢尚一郎
【館外研究員】 朝日由実子、阿部年晴、植村清加、小田亮、加藤政洋、木村自、国弘暁子、Kleinschmidt Harald、小馬徹、鈴木晋介、鈴木裕之、妹尾達彦、関根康正、棚橋訓、玉置育子、近森高明、Thomas P. Gill、内藤順子、野村雅一、松田素二、松本博之、丸山里美、森田良成、島村一平、山田香織
研究会
2007年6月30日(土)13:00~19:00(国立民族学博物館 第3セミナー室)
西垣有「モンゴル・ウランバートル市におけるトランスナショナルな場の生成」
  → サマリー(森田良成要約) [PDF]
田沼幸子「あの人たちには文化がない:革命キューバのストリート(calle)」
  → サマリー(森田良成要約) [PDF]
2007年7月1日(日)10:00~15:00(国立民族学博物館 第3セミナー室)
成果報告へ向けての総合討論
 
1)野村雅一「民博通信116号(特集:ストリートの人類学)へのコメント」
  → サマリー(内藤順子要約) [PDF]
2)全メンバー「執筆予定成果論文のタイトルと概要」
3)全体討論
2007年11月10日(土)9:00~19:00(国立民族学博物館 第2演習室)
松本博之「報告書刊行に向けての総括コメント:『二つの海の道―実践と表象』」
関根康正「報告書とりまとめの方向性:もくじ案の説明を中心に」
全員「総括討論1:前回の総括討論を引き継いで」
   「総括討論2:報告書寄稿論文をめぐって」
研究成果

ゲストスピーカーとして西垣には社会主義と経済自由化とが交差する場所でトランスナショナル・フローとしてのストリート性がローカルな場にもたらす社会変化を検討してもらい、田沼には物理的なストリートにこだわった「ストリートに出る」ことの意味を吟味してもらった。これがストリートをめぐる議論の幅を代表しており、さらに松本には総括的に二つのストリート性の両レベルを繋げる議論、すなわち抗争場spaces of contestationとしてのストリートを明らかにしてもらった。こうした総括に向けた仕上げの発表と民博通信での「ストリートの人類学」の特集を、手がかりに三部構成の報告書が構想された。Ⅰ部:第1部 ストリートという臨床の場の方法を問う、Ⅱ部:第2部 <差延>という遅れを生きる人間の拡大鏡としてのストリート、Ⅲ部:トランスナショナリズムの中の「ローカリティ」の動態。

2006年度

本年度は、最終年度であるから、昨年度に引き続き海外に広く眼を向けて、さまざまな都市ストリートに生きる人々の姿(オセアニア、中国、モンゴル、東南アジア)を考察するが、それとともに、研究のまとめに入っていきたい。世界各地から報告されたストリートの状況を踏まえその概念の整理を試みるが、その際にグローバリゼーションやトランスナショナリズムの潮流とストリートでの局所的現象との連関を考察の視野に入れていく。そのためのゲストスピーカーなども招請する予定である。

【館内研究員】 木村自、竹沢尚一郎
【館外研究員】 朝日由実子、阿部年晴、植村清加、小田亮、加藤政洋、国弘暁子、Kleinschmidt Harald、小馬徹、島村一平、鈴木晋介、鈴木裕之、妹尾達彦、棚橋訓、玉置育子、近森高明、Tom P. Gill、内藤順子、野村雅一、松田素二、松本博之、丸山里美、森田良成、島村一平、山田香織
研究会
2006年6月24日(土)13:00~(第3セミナー室)
北島敬三「ストリート写真」
  → サマリー(森田良成要約) [PDF]
棚橋訓「島世界と<ストリートの人類学>-ポリネシアの場合」
  → サマリー(森田良成要約) [PDF]
2006年6月25日(日)10:00~(第3セミナー室)
近森高明「遊歩者論・再考」
  → 発表原稿(近森高明) [PDF]
  → 質疑討論要約(朝日由実子) [PDF]
関根康正「<ストリートの人類学>という構想」
  → 発表原稿(関根康正) [PDF]
  → 質疑討論要約(朝日由実子) [PDF]
2006年10月28日(土)13:30~(第3セミナー室)
妹尾達彦「北京の小さな橋-街角のグローバル・ヒストリー」
  → サマリー(植村清加要約、妹尾達彦加筆)
  → その1-1 [PDF]  → その1-2 [PDF]
  → その2 [PDF]
  → その3-1 [PDF]  → その3-2 [PDF]
  → その4 [PDF]
島村一平「ハイカルチャー化するサブカルチャー?とストリート文化:モンゴルのロック・ヒップホップの事例から」
  → サマリー(植村清加要約) [PDF]
2006年12月23日(土)13:00~(第3セミナー室)
池谷和信「ストリートチルドレンと映像人類学」
上杉富之「脱アイデンティティ?:トランスナショナリズムとクイア理論の共時性をめぐって」
  → サマリー(国弘暁子要約) [PDF]
朝日由実子「布の生産・消費から見るストリート:カンボジアにおける絹織物生産村落の事例より」
  → サマリー(国弘暁子要約) [PDF]
2007年2月23日(金)13:00~(第6セミナー室)
南博文「ストリートからみる都市の無意識」
  → サマリー(内藤順子要約) [PDF]
山田香織「秩序(Ordnung)の下にあるストリート―ドイツ・ミュンヘンの事例」
  → サマリー(磯田和秀要約) [PDF]
研究成果

1)ストリートは変化しているというか、ストリートという場は、それぞれに変化する空間と人間の関わりのあり方を反映して変化を表出している。写真家北島はソ連邦の解体という1991年を境目にしてストリートの変質を指摘する。近森はベンヤミンのストリートの遊歩者概念を解明して、表層と深層が往還する都市の迷宮性という陶酔経験を明るみだした。直接的に心理学者南の都市の無意識をめぐる発表と重なりながら、北島の最先端の仕事と交差する可能性が見えてきて、議論のキーポイントになることがわかった。

2)多様な地域の報告から、それぞれの地域での「ストリート」を浮かび上がらせてくれた。ストリートは空間スケールの大小、ストリートの意味の具象と抽象などの軸で分類できる、いろいろの場所に立ち上がる現象である。棚橋はポリネシアの島社会からビーチをクローズアップし、島村はモンゴルの微妙なサブカルチャーのあり方から非ストリート的様相のストリートを見いだした。妹尾は北京のミクロな結節空間としての小さな橋から壮大な中国史の辿ったグローバリゼーションが実践された交通路としてのストリートを提示し、ストリート概念のカバーする時間・空間的広がりを確保してくれた。池谷はアフリカのナイロビのストリート、朝日はカンボジアの村空間のストリート、山田はドイツのミュンヘンのストリートを、それぞれに活写し、比較資料を提示してくれた。そこに浮かび上がったのは秩序の境界としてのストリート性である。

3)関根と上杉は、ストリートとトランスナショナリズムの両概念をポストモダンの現代において同時並行的に検討する必要があることを総括的に検討し提案した。

2005年度

【館内研究員】 池谷和信、野村雅一
【館外研究員】 朝日由実子、阿部年晴、小田亮、加藤政洋、国弘暁子、Kleinschmidt Harald、小馬徹、鈴木晋介、鈴木裕之、妹尾達彦、棚橋訓、玉置育子、Tom P. Gill、内藤順子、松田素二、松本博之、森田良成、島村一平、山田香織
研究会
2005年6月18日(土)13:30~(第6セミナー室)
小馬徹「グローバル化の中の都市混合言語、シェン語:ストリート文化とケニアの国民統合」
  → 発表レジメ(小馬徹) [PDF]
阿部年晴「『後背地』という観点:人類史の一つの見方」
  → 発表原稿(阿部年晴) [PDF]
2005年10月22日(土)13:30~(第3演習室)
ハラルド・クラインシュミット"The Street as a Changing Social Arena in Medieval Europe"
  → サマリー(西垣有要約) [PDF]
竹沢尚一郎「ストリート/コミュニティ/ローカリティー:博多の事例から考える」
  → サマリー(西垣有要約) [PDF]
2006年1月14日(土)13:30~(第2演習室)
松田素二「都市暴動の世界 ― ストリートにおける暴力と規範」
  → サマリー(國弘暁子要約) [PDF]
内藤順子「Pasaje:チリ・サンチャゴの貧困空間」
  → サマリー(國弘暁子要約) [PDF]
2006年2月17日(金)13:30~(第3セミナー室) / 18日(土)10:00~(第5演習室)
トム・ギル「ストリート文化/シェルター文化」
  → 発表原稿(トム・ギル) [PDF]
丸山里美「ストリートにおける抵抗の実践? ─ 女性ホームレスの社会的世界」
  → 発表原稿(丸山里美) [PDF]
森田良成「『怠け者』とストリート:東インドネシア・クパンの廃品回収人」
  → 発表原稿(森田良成) [PDF]
  → 質疑応答部分(山田香織担当) [PDF]
国弘暁子「ストリートに生きるヒジュラの実践知:インド、グジャラート州の事例から」
  → サマリー(山田香織要約) [PDF]
研究成果

ストリートとコミュニティとの関係が解き明かされるべき重要な課題であることが、今年度の研究会を重ねることで明瞭になった。その課題は、サブカルチャーの生成の場であるストリートとメインカルチャーに支持されたコミュニティーとの対比として把握した上で、その相互関係を動的にとらえることと解題できる。表面的には、コミュニティーは秩序、経済的安定、ホームに結びつけられ、それに対立するものとして、暴力、貧困、ホームレスの顕在化する場所としてストリートが立ち現れると考えられている向きがある。しかし、都市ストリートを発生場にする混合言語と政治統合の関係、社会的空間としてのストリートのコミュニティ的役割、アフリカや南アメリカでの暴力や貧困の再検討、ストリート的な場所を生活の中心におくマージナルな人々の内側からの実態分析、などなどの個々の発表から、両者が入り組んで相互に規定しあっている関係が浮かび上がってきた。ストリート概念の検討には、一見反対のコミュニティ概念からの検討も不可欠であることが確認された。

共同研究会に関連した公表実績
  • 関根康正 2005「<文化人類学から宗教を見る>報告3:グローバリゼーションと『庶民ヒンドゥー教』の現在」『宗教と社会』第11号pp.229-254
  • 関根康正 2006"Contemporary Popular Remaking of Hindu Traditional Knowledge: Beyond Globalisation and the Invention of Packaged Knowledge ", in Christian Daniels ed. Remaking Traditional Knowledge: Knowledge as a Resource, Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa, Tokyo University of Foreign Studies, pp.163-193
  • 関根康正 2006(3月19日)発表「『ストリートの人類学』という構想」大阪市立大学大学院文学研究科COE国際シンポジウム<都市文化理論の構築に向けて>第二部「都市文化創造のための基礎研究:多元的考察と資源化」第二セッション(大阪市立大学大学院文学研究科・都市文化研究センターにて)
  • 鈴木裕之 2005年7月、「マス・コミュニケーション過程に侵入するストリート文化:アビジャン・レゲエはいかにして誕生したか?」単著、『三田社会学』(第10号 pp29-45)
  • 鈴木裕之 2005年7月、「アフリカで生成する新しい都市音楽」単著、『神奈川大学評論』(第51号 pp62-68)
  • 鈴木裕之 2005年、「政治を映すレゲエ:アルファ・ブロンディはいかに政治を歌ったか」単著、『アフリカ・レポート』(No.51 pp38-42)、アジア経済研究所
  • 竹沢尚一郎「国民国家の2つのモデルー移民の統合/排除の観点から」(国際シンポジウム「ユーラシアと日本」における研究発表、2006年3月18日、於国立民族学博物館)
  • 内藤順子 2006年3月5日「貧困空間から問う<概念> <研究> <専門知>」日本学術振興会人文・社会科学振興プロジェクト研究事業・若手の会第一回研究会(日本学術振興会四谷オフィスにて)

2004年度

【館内研究員】 島村一平(研究機関研究員)、棚橋訓(客員)、野村雅一
【館外研究員】 朝日由実子、阿部年晴、小田亮、加藤政洋、国弘暁子、小馬徹、鈴木晋介、妹尾達彦、玉置育子、Tom P. Gill、内藤順子、Kleinschmidt Harald、松田素二、松本博之、森田良成、山田香織
研究会
2004年10月16日(土)13:30~(大演習室)
関根康正「研究会の趣旨説明」
  → サマリー(朝日由実子要約) [PDF]
野村雅一「ストリート・カルチャーをめぐって」
  → サマリー(朝日由実子要約) [PDF]
2004年12月23日(木)13:30~(第4演習室)
加藤政洋「ストリートをめぐる地理学の系譜と現在」
  → サマリー(鈴木晋介要約) [PDF]
小田亮「空間としてのストリート、場所としてのストリート」
  → 発表原稿(小田亮) [PDF]
2005年3月6日(日)13:30~(第3セミナー室)
玉置育子「ストリートと化粧文化」
  → サマリー(内藤順子要約) [PDF]
鈴木裕之「ショウ・ビジネスに侵入するストリート文化:アビジャン・レゲエはいかにして誕生したか」
  → サマリー(内藤順子要約) [PDF]
研究成果

初年度は開始が10月なので、前述のように3回の研究会(10月、12月、3月)を行った。初回10月は代表の関根より、本研究の趣旨説明として、「都市的なるもの」の考察すなわちサブカルチャーやヘテロトピアの議論を引き継ぐ空間としてストリートが取り上げられることが述べられ、副代表の野村によるストリートカルチャーの整理と問題提起がなされた。両者の議論から、歴史的具体物としてのストリート概念と現代社会理解のためのメタファーとしてのストリート概念とがあり得ること(たとえば、万博のような場は両方の意味を担うものと見なせる)、現代社会でおきている「ホーム化」と「ストリート化」とのねじれた関係が明らかにされた。また、近代は表立つストリートが増殖した時代であったが、その故にその影の空間も育てたではないか。そういう言及しにくい場所をこの研究では問題にしていく。第二回は、加藤、小田が発表。加藤は地理学の立場からストリート研究の変遷をその中心がシカゴからロサンジェルスへと移動したとしてポストモダン地理学の空間論的転回の現在までを整理し、街路を考えるのか、街路で考えるのかという方法的問題が示された。西欧近代の都市計画に深く関わるストリートの発展はその系譜学によって、非西洋世界の道の有り様を逆照射する可能性が開かれる。小田はストリートを論ずることと共同体論の最前線との接点を探った。ストリートの二つの見方を示した後に、ストリートの有する可能性として匿名性と模倣にかかわる女性的エクリチュールの実践がもたらす溶解的連帯・共感への注目が提示された。第3回は、玉置と特別講師の鈴木裕之の発表。玉置は化粧メイクという境界的行為に注目し、他者の視線を浴びるストリートは「戦う土俵」となって数値化できないものが競われている微妙な場所になっているという。鈴木は、西アフリカの大都市のストリートに金稼ぎの場、生活の場をみいだすストリートボーイの実態から、とくにそこに産まれるストリート音楽と新たな言語使用がいかにメジャーな音楽シーンとの関わりをもつかを記述した。初回の論点である「ストリート化」と「ホーム化」の実践例にもなっている。初年度であったが、理論的に事例的に豊かな土台づくりができた。

共同研究会に関連した公表実績

代表者の関根は高輪プリンスホテルで行われた国際宗教史宗教学世界大会(IAHR)で、関連トピックで下記の発表を行った。

Yasumasa Sekine 2005 'Sacralisation of the urban footpath, with special reference to footpath temples in Chennai city, South India' in the Panel on 'Religion, the sacred and spaces of contestation, segregation and difference' organized by Kim Knott (in IAHR Congress, Tokyo, 23-31 March 2005)