国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

映像の共有人類学-映像をわかちあうための方法と理論-

共同研究 代表者 村尾静二

研究プロジェクト一覧

キーワード

映像人類学、映画、共有

目的

現在、世界は映像に覆われ、辺境の民族から我々の生活空間まであらゆるものが映像の対象とされるようになった。人類学においても、研究から教育、成果の公表に至るまで、映像が積極的に活用される。学会における映像発表の急増はそれを端的に示している。一方、このような状況が、映像に関する共通理解がないままに進行しているのもまた事実である。なかでも、研究者と調査地の人々は映像をいかに共有しうるのか、映像制作にまつわる倫理とは何かという問題は、いま本格的に議論すべき課題である。

映像人類学の確立において中心的役割を担ったジャン・ルーシュ(1917-2004)は、人類学者と調査地の人々が、映像を観る経験を通して研究成果を共有するなかに、人類学における映像の可能性を求めた。その試みは、共有人類学(shared anthropology)といわれる。

本研究は、この共有の視点に着想を得ている。ただし、共有は「観る」ことだけを意味しない。映像制作とは(1)Pre-Production「立案」(2)Production「調査地での交渉」「撮影と折衝」(3)Post-Production「編集」「調査地での試写」「成果の公表」「保存」からなる複合的な活動である。本研究の目的は、この映像制作の各過程を対象とし、人類学映像をささえる倫理と権利、受容と共有の方法についての多角的な議論へと発展させ、映像人類学の可能性を拓くことにある。

研究成果

文化人類学における映像活用の多様なあり方を「共有」をキーワードにして再検討することを課題とした。現在、文化人類学では、映像機器の簡易化により、映像人類学をなのるまでもなく、フィールドワークの映像による記録とその分析、そして映像作品の制作まで、映像は広く活用されるようになった。ただ、現時点においてそれらは個人の研究用途に限られていることが多い。

このような問題を背景として、本共同研究では、映像活用が個人化する以前、映像制作には研究者だけでなく現地の人々もまた様々なかたちで関与していたことを思い返し、(1)過去の人類学映像におけるそのような共同制作の側面を再検討し、(2)現在の映像活用を共有の視点からとらえなおすなかで、文化人類学における映像活用が進むべき方向について検討した。

(1)映像人類学の確立において中心的役割を果たしたジャン・ルーシュをはじめとして、共有を意識して映像制作を試みた文化人類学者、映像制作者を対象に、その制作過程およびそれは視覚的表出となり映像にどのようにあらわれているのか考察した。彼らに共通するのは調査地の人々をただの撮影対象とはとらえず、かれらの自然に対する深い洞察や鋭い感性に驚き、それを映像化するために、かれらにも主体的に映像制作に加わってもらうなかで、共同で映像制作を進めているということであった。

(2)「共有」とは「わかちあう」こと。その対象は研究成果だけでなく、それを作りだすプロセスをわかちあうことも重要である。その意味において、研究者と調査地の人々はともに映像制作の主体であり、それは個人による映像活用が可能になった現在もかわるものではない。そして、そのような考え方こそ、文化人類学と映像の新しい関係を築いていくうえで重要になると思われる。

共同研究メンバーのなかでは、すでに共有にもとづく映像活用の試み(調査地の伝統知識を映像記録し、共同で編纂して現地社会で活用してもらう試みや、映像制作の立案から撮影、上映までを現地の人々と共同で実施する試み)が始まっている。これらをモデルケースにして、文化人類学における映像活用の可能性について、これからも問い続けていきたい。

2012年度

これまで共同研究会では、人類学映像を共有という視点から捉えなおし、多角的に議論してきた。なかでも、人類学者(制作者)は調査地の人々といかに関わり合うなかで映像を制作しているのか、あるいは、人類学者による映像制作は調査地の人々にはどのように映っているのか、といった問題は、複数の事例を取り上げ、検討してきた。 本年度は、人類学者と調査地の人々が様々な関係を築くなかで制作する映像を、一般の視聴者はいかに受容しうるのかといった映像の解釈にまつわる問題を取り上げる。人類学映像は学術的意図に基づく科学映像としての側面をもつために、人類学者の意図が誤解されることなく視聴者に伝わるよう制作される。しかし、一方で、映像とは制作者の意図を越えて多様に解釈されるものである。人類学映像を第三者が共有することの問題点と可能性について考察する。次に、各メンバーがそれぞれの役割分担にしたがって、これまでの議論を整理し、共同研究としての研究成果をまとめる。

【館内研究員】 飯田卓、久保正敏
【館外研究員】 大村敬一、大森康宏、木村裕樹、坂尻昌平、清水郁郎、中村真里絵、南出和余、宮坂敬造、箭内匡
研究会
2012年7月7日(土)13:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
南出和余「「子ども」と映像―映像による個人の記録と社会の記憶」
村尾静二「映像の共有人類学-方法と理論」
大森康宏「ジャン・ルーシュと民族誌映画教育」
2012年7月8日(日)10:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
清水郁郎「映像による返礼-フィールドでの映像上映をとおした空間共有の可能性」
中村真里絵「技術映像がつたえるもの-焼き物つくりの事例から」
飯田卓「テレビによる共有人類学」
木村裕樹「消えゆく文化の記録-渋沢敬三の記録映画が問いかけるもの」
総合討論
2013年1月27日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 第5セミナー室)
事務連絡等
全体討論「研究成果原稿の読み合わせ」
2013年1月28日(月)10:00~15:00(国立民族学博物館 第5セミナー室)
全体討論「研究成果原稿の読み合わせ」
研究成果

これまで共同研究会では、人類学映像を共有という視点から捉えなおし、多角的に議論してきた。なかでも、人類学者(制作者)は調査地の人々といかに関わり合うなかで映像を制作しているのか、あるいは、人類学者による映像制作は調査地の人々にはどのように映っているのか、といった問題は、複数の事例を取り上げ、検討してきた。
本年度は、各メンバーがこれまで共同研究を通して考察してきたテーマを順番に発表し、議論した。「共有」を共通のテーマとして、民族誌映画の歴史と現状、映像人類学と教育、民族誌映画の制作過程、撮影地において現地の人々と映像を共有することの諸問題、映像人類学による技術・身体知識の研究方法、写真の活用、文化人類学とマスメディア、映像の保存と活用(アーカイブズ)、など、その内容は多岐にわたる。
現在、各メンバーはこれらの内容を論文にまとめており、完成次第、公表する予定である。

2011年度

前半は、Post-Production「調査地での試写」「成果の公表」「保存」の各過程を共有の視点から再検討する。これまで、これらの各過程は、制作者と調査地の人々とのあいだ、あるいは、制作者と研究者とのあいだでなされるものとして個別に論じられてきた。本研究では、制作者、調査地の人々、研究者の三者が共有する行為として、これらの各過程を捉え直す。

後半は、映像の解釈、映像制作の各過程に関するそれまでの議論を総合的に捉えることにより、共有の視点に一貫性を与え、そこから生まれる人類学における映像制作の新たな可能性について議論する。そして、研究成果をとりまとめるための準備を始める。

【館内研究員】 飯田卓、久保正敏
【館外研究員】 五十嵐理奈、大村敬一、大森康宏、木村裕樹、坂尻昌平、清水郁郎、中村真里絵、南出和余、宮坂敬造、箭内匡
研究会
2011年6月5日(日)9:00~17:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
映像資料の解釈と理解:『極北のナヌーク』(ロバート・フラハティ1922)をめぐって
岸上伸啓「イヌイット民族誌としてのフラハティ制作映像をめぐる諸問題:1920年代と2000年代のイヌクジュアク周辺」
村尾静二「ロバート・フラハティの映画にみられる映像人類学的課題-1.『極北のナヌーク』(1922)を事例として」
木村裕樹「技術の記録とその「共有」-渋沢フィルムを起点として」
全体討論
2011年11月5日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
2011年11月6日(日)9:30~15:00(国立民族学博物館 第3演習室)
《11月5日》
大村敬一「マクロス・システム」(イヌイトの知識・オープン・エンサイクロペディア・システム):「世界」を共有するための民族誌システムの試み
全体討論「次年度の研究成果のまとめに向けての準備」
《11月6日》
研究資料の上映と考察
グレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミードの民族誌映画(民博所蔵作品)
宮坂敬造「グレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミードの映像記録の問題」
2011年12月4日(日)9:30~16:00(国立民族学博物館 第4演習室)
南出和余「民族誌映像を教育に活用するための諸問題」
全体討論「研究成果の公表準備」
2012年3月18日(日)10:00~19:00(東京大学 駒場キャンパス14号館407)
事務連絡等
村尾静二「平成23年度、共同研究会の総括」
全体討論「研究成果のまとめに向けての準備-著書」
全体討論「研究成果のまとめに向けての準備-シンポジウム」
研究成果

本年度は、文化人類学における映像制作の各過程のなかでもポスト・プロダクション(Post-Production)を対象として、そこにみられる「共有」の諸問題について議論した。具体的には、「編集」「調査地での試写」「成果の公表」「保存」であるが、そのなかでも特に、人類学者がフィールドワークを通して得た記録映像を調査地の人々と共有し、両者がそれを活用できるようにするために、まず研究者は何をすべきかについて話し合うことができた。近年、文化人類学では、研究者は研究成果を調査地の人々にいかに還元することができるのか、議論が重ねられており、そこには多くの共通する問題があることを再認識することができた。この問題に関しては、継続して考察を進めていきたい。

続いて、映像制作における「共有」の課題を歴史的視点から理解するために、初期の民族誌映画、ドキュメンタリー映画を題材にとり、考察を進めた。「共有」の課題の基本にあるのは、撮る側と撮られる側のあいだに築かれやすい非対称な関係を相対化し、両者が映像制作に参加できる方法、その成果を活用できる方法を問うことにある。この意味において、「共有」の視点は、映画史の初期から、いくつかの映像作品において、重要な論点として模索されていたことを確認することができた。

2010年度

初年度は、人類学映像の視聴と解釈をかさねることにより、「観る」リテラシーについて共通理解を得ることから始めた。本年度もそれを継続することにより、映像の共有人類学に関する既存の議論を整理する。それと並行して、映像制作の各過程を共有の視点から捉えなおす研究会を開始する。具体的には、映像制作のなかでも、Pre-Production「立案」、Production「調査地での交渉」「撮影と折衝」、Post-Production「編集」までの各過程を共有という視点から捉えなおす研究会を開催する。人類学者と調査地の人々はどのような関わり合いのなかで映像制作を試みてきたのか、メンバーが順次発表する。その際、各過程において生じる倫理的問題についても議論し、映像制作を共有することの意味について共通理解を得る。

また、必要に応じて、人類学と関連のある映画作品の制作者を特別講師に招いて研究会を開催し、制作過程について討論する。

【館内研究員】 飯田卓、久保正敏
【館外研究員】 五十嵐理奈、大森康宏、木村裕樹、坂尻昌平、清水郁郎、中村真里絵、南出和余、箭内匡
研究会
2010年7月10日(土)13:00~20:00(国立民族学博物館 大演習室)
2010年7月11日(日)10:00~15:30(国立民族学博物館 大演習室)
坂尻昌平「映画理論序説-映像人類学研究のための映画理論の基礎(1)編集」
坂尻昌平「視聴覚的多様体の生成と共有-フランスの映画作家ジャック・タチの映像人類学的思考」
小河原あや「映画における共有とその創造性-ジャン・ルーシュ『人間ピラミッド』の美学的考察」
2010年10月23日(土)12:00~18:30(国立民族学博物館 第4セミナー室)
2010年10月24日(日)10:00~15:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
2010年10月25日(月)10:00~15:00(国立民族学博物館 第2演習室)
全員参加 映像資料の解釈と討論
坂井信三「グリオール学派の民族学と映像資料」
大森康宏「ジャン・ルーシュの映画制作術-『シギ』(1981)を事例として」
中村真里絵「民族誌映像の制作過程からみる「共有」-タイの土器製作の映像を題材に」
村尾静二「共同研究会の研究成果について」
全員参加 民博所蔵の映像資料に関する調査
2010年12月19日(日)10:00~18:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
坂尻昌平「映画理論序説-映像人類学研究のための映画理論の基礎(2)」
映像のフレーム/音のフレーム
久保正敏「共有にむけた映像アーカイブズの課題」
村尾静二「本年度共同研究会の総括-映像の共有という概念の理論的考察を中心として」
全体討論
2011年2月20日(日)10:00~19:00(東京大学駒場校舎)
宮坂敬造「異文化を写す映像の共有・出会い状況のエスノセミオティクス-- 映像人類学の原風景における<共有>と<交錯>」
清水郁郎「しあわせとはなにか:北タイ山地における生の肌理(きめ)を知るための映像制作」
三浦淳子「『空とコムローイ』~タイ、コンティップ村の子どもたち』を通してみる作家と対象の人々との関係性について」
研究成果

本年度は、初年度に続き、共同研究の起案になっているジャン・ルーシュの民族誌映画、及び、メンバーの映像制作経験を題材として、民族誌映画の制作過程にみられる共有の問題について理解を深めることができた。また、民族誌映画を制作過程から捉えるだけではなく、たとえば、ジャン・ルーシュの民族誌映画を、フランス民族学という広い文脈のなかで捉えなおすことにより、映像とそこに映しだされるイメージを構成する思想(イデオロギー)とのかかわりについても知見を得ることができた。

また、継続的に行っている「観る」リテラシーの考察に関しては、本年度は映画学の視点の導入し、また、ドキュメンタリー映画作家と対話することにより、民族誌映画という人類学テクストを映画というより広い文脈のなかで捉えることができた。映像を取り巻く環境は常に進化の過程にあるが、映像を構成する理論の多くはこれまでに映画学のなかで体系化されたものである。その意味において、映画学の視点を共同研究に取り込むことは、民族誌映画を多角的に理解するうえでとても有意義であった。

2009年度

初年度は、人類学映像の視聴と解釈をかさねることにより、「観る」リテラシーについて共通理解を得る。具体的には、ジャン・ルーシュ等の映像作品(民博が所蔵する作品を含む)とその解釈について、上映に基づく研究会をおこない、映像の共有人類学に関する既存の議論を整理する。

【館内研究員】 飯田卓、久保正敏
【館外研究員】 五十嵐理奈、大森康宏、木村裕樹、坂尻昌平、清水郁郎、中村真里絵、南出和余、箭内匡
研究会
2009年11月22日(日)13:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
村尾静二「趣旨説明」
村尾静二「映像人類学の新たな課題‐方法論から認識論へ」
大森康宏「ジャン・ルーシュ民族誌映画の上映と解説」
2010年1月9日(土)14:00~19:00(国立民族学博物館 第1演習室)
2010年1月10日(日)10:00~15:00(国立民族学博物館 第1演習室)
村尾静二「インドネシアの事例報告と『老いの時空』の上映」
南出和余「バングラデシュの事例報告と『暮らしのなかの老い』の上映」
清水郁郎「タイの事例報告と『しずかな生活』の上映」
映像資料(民族誌映画)の解釈と理解
『Siberia through Siberians Eyes』(Asen Balikci, 51min, 1992)
2010年2月27日(土)14:00~19:00(国立民族学博物館 第1演習室)
2010年2月28日(日)10:00~15:00(国立民族学博物館 第1演習室)
■2月27日
飯田卓「映像のコンテキストをいかに共有するか?」
箭内匡「言葉・イメージ・倫理-人類学のなかの「映像の共有人類学」-」
■2月28日 映像資料(民族誌映画)の解釈と理解
箭内匡「ブラジルの「村の中のビデオ」(Video nas aldeias)運動をめぐって」
研究成果

本年度は、各メンバーの専門性と共同研究会での役割について相互に確認し、理解し合うことにより、まず共同研究会としての体制を整えることを目的とした。この目的は達成でき、次年度以降、各メンバーの専門性を活かした共同研究会を開催していくための基盤を築くことができた。

また、研究計画で掲げた「みる」リテラシーの習得について成果を得ることができた。「みる」とは「注視する」「批評する」「解釈する」「分析する」「記憶する」「(他の映像と)比較する」「編集する」などを含む複合的な活動でもあり、これらは日常生活における映像体験だけで習得できるものではない。また、一般的に、人類学的映像制作では、人類学者と調査地の人々は、撮る側/撮られる側といった非対称な関係をとりやすい。共同研究会では、このような非対称な関係を様々な方法で克服しようと試みている映像作品を視聴し、各メンバーの専門性を背景として多角的な議論を重ねることにより、映像制作にもフィードバックできる実用的な知見を数多く得ることができた。この意味において、「みる」ことと「つくる」ことは同義であり、この研究成果もまた、次年度以降の共同研究会の基礎を成すものである。