国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

贈与論再考 ――「贈与」・「交換」・「分配」に関する学際的比較研究

研究期間:2012.10-2015.3 代表者 岸上伸啓

研究プロジェクト一覧

キーワード

贈与、交換、分配

目的

個人間や集団間のモノや食料などのやり取りを説明する人類学理論にモースの贈与論がある。この贈与論は後に、互酬性(reciprocity)に着目したレヴィ=ストロースによって社会的交換論へと展開を見た。また、贈与論を批判的に検討したワイナーやゴドリエは「贈与できないモノ」の概念を提起した。これらの流れとは別にマリノフスキーはクラ交易によって当事者間に連帯が生み出され、社会が統合されるという一種の交換論をモース以前に提起していた。狩猟採集社会を研究する人類学者は、食料のやり取りを分配(sharing)や再分配(redistribution)、交換(exchange)などの概念で記述し、説明しようと試みてきた。さらに上記の概念に関連する説明モデルとして、サーリンズモデルなどが存在している。
本研究の目的は、アメリカやオセアニア、アジア、アフリカなど世界各地における贈与や交換、分配の民族誌事例を学際的に比較検討することによって、贈与や交換、分配などの概念と説明モデルの内容や有効性を検証することである。また、グローバル化が進む市場経済の浸透によって、各社会の贈与・交換・分配慣行がどのように変化してきたかについても検討を加えたい。

研究成果

(1)モースは、贈与とは一見、一方向的なモノの流れであるが、実質的には、贈る義務、受け取る義務、戻す義務ならなるモノの流れ(交換)であると考えた。彼は、贈与の事例として西大西洋のクラや北アメリカ北西海岸のポトラッチ儀礼を比較検討し、人類社会に普遍的な全体的社会現象であると主張した。北米、中米、オセアニア、日本を含むユーラシア、アフリカにおける現代の贈与や交換、分配の事例でモースの主張を検証した結果、モースの主張を支持する事例もあったが、そうでない事例も多く見られた。
(2)民族誌では、世界各地のモノのやりとりについてさまざまな概念によって記述されたり、特徴付けが行われている。同じような現象を異なる概念で記述している場合や異なる現象を同じ概念で記述している場合が認められる。記述概念や分析概念として「贈与」や「分配」、「交換」、「再分配」の定義を再検討し、それらの概念の内容の異同を明確に示す必要がある。
(2)霊長類のモノの移譲と人類のそれを比較した結果、両者の間に大きな質的な違いが認められ、食物を含めモノを贈ることや交換することは、人類社会にきわめて特徴的な社会現象もしくは社会的行為であることが確認された。すなわち、人間とはモノを与えることができる動物であり、それが社会関係や人類社会の形成基盤となっている。
(3)人類社会ではモノの(一方向的な)贈与や分配、交換、再分配の形態や内容について民族的・文化的・地域的・歴史的多様性が認められる一方で、それらの実践は、当事者間や集団間の社会関係の創出や維持、喪失と深く関わっており、モースが全体的社会現象と呼んだ複数の効果・機能とも結びついている事例があることが確認された。
(4)モースの「贈与論」には問題点や限界が認められるが、それは現代社会における臓器移植、各国政府や国際開発機関、開発NGOによる国際協力活動、個人やNGOなどによる災害支援活動などを社会現象として理解し、考えるうえで援用できる可能性を持っていることが確認された。

2014年度

2014年度には3回の共同研究会を開催し、ユーラシア地域における贈与・交換・分配・再分配・移譲の民族誌事例を学際的に検討する。また、社会学や心理学、経済学など社会科学における贈与・交換について検討を加える。最後に、贈与と交換に関する全体の総括となる共同研究会を一般公開で行う。
第1回「ユーラシア地域における贈与・交換・分配」では、日本とモンゴル、カザフスタンにおける贈与・交換・分配について比較検討する。
第2回「社会諸科学における贈与・交換・分配」では、社会学、心理学、行動経済学における贈与・交換に関する研究について検討を加える。
第3回「贈与・交換・分配に関する学際的検討」では、贈与・交換・分配の概念や理論、モデルの有効性について学際的に検討を加える。

【館内研究員】 丹羽典生、藤本透子
【館外研究員】 井上敏昭、小川さやか、小田亮、風戸真理、近藤宏、佐川徹、立川陽仁、友野典男、中川理、中倉智徳、仁平典宏、比嘉夏子、深田淳太郎、丸山淳子、溝口大助、山極寿一、山口睦、渡辺公三 
研究会
2014年7月6日(土)13:00~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「総論」
藤本透子(国立民族学博物館外来研究員)「イスラーム復興のなかの贈与交換-カザフスタンの事例から」
風戸真理(北星学園大短期大学部)「モンゴル牧畜における労働交換-雇用と贈与のあいだで」
山口睦(亜細亜大)「災害支援と贈与-婦人会活動と慰問袋を中心に」
全員「成果出版についての意見交換」
2014年11月8日(土)13:00~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「これまでの研究会の成果について」
近藤宏(国立民族学博物館)「パナマ東部先住民エンペラにおける不信と道徳」(仮題)
中倉智徳(日本学術振興会特別研究員、大阪府立大学)「贈与論における発明の位置-モースとタルド」
全員「成果本の出版計画について」
2015年1月31日(土)13:00~17:30(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「成果刊行について」
中川理(立教大学)「『反-市場』としての贈与――フランスの青果市場の事例(仮)」
仁平典宏(東京大学)「近現代日本における『ボランティア』言説の構造と東日本大震災の位置――〈贈与のパラドックス〉に着目して」
総括(全員)
研究成果

2014年度は、ユーラシア地域、中米、ヨーロッパにおける贈与交換に関する事例の検討および社会科学から見た贈与論の検討を行った。本年度の成果は次の通りである。
(1)贈与交換の事例
カザフ人には、相互に贈与が行われるスイクルとイスラームに基づく贈与の2種類があり、カザフ社会における贈与や交換、分配の体系はイスラームの教義のみからでは理解できないことが藤本によって指摘された。グローバル化が贈与交換に影響を及ぼしている事例として、モンゴルのゲルは親から子にのみ受け継がれるものであったが、自由経済の拡大するに従い非家族間で金銭によって移譲されるようになったことが風戸によって報告された。近藤はパナマ東部の先住民エンベラを事例として毒の無いモノを分け与えることは、信頼できない他者との生活において良いことを生み出す手段となっていると指摘した。これらの事例は、贈与交換と社会関係が不可分の関係にあることを示している。
(2)モースの「贈与論」の社会科学研究での応用的展開
災害支援と贈与について婦人会活動と慰問袋を事例として検討した山口は、災害支援としての贈り物は、非日常・日常時の贈与行為として贈与研究と災害研究が重なり合う研究領域であることを指摘した。中倉は、発明と贈与との関係についてモースとタルドの研究を比較検討し、発明やイノベーションを贈与論の視点から理解する可能性を提示した。また、中川はフランスの青果市場を事例として、社会に埋め込まれた市場という視点から贈与(反市場)/市場の構図を見直す必要性を指摘した。さらに、仁平はボランティアの言説分析によって贈与にはパラドックスが付随していることを指摘した。これらの研究は、「贈与」を現代的現象の解明に援用できる可能性を示している。

2013年度

2013年度には5回の共同研究会を開催し、霊長類社会、オセアニア、ユーラシア、アフリカなどの地域における贈与・交換・分配・再分配・移譲の民族誌事例を学際的に比較検討する。また、事例を用いて理論やモデル、概念を検討する。
第1回「霊長類社会における分配行動」では、オランウータンとチンパンジー、ゴリラの専門家に霊長類の分配行動について報告してもらい、人類の分配行動と比較する。
第2回「オセアニア地域における贈与・交換・分配」では、ニューギニアとトンガ、フィジーにおける贈与・交換・分配について比較検討する。
第3回「ユーラシア地域における贈与・交換・分配」では、日本とモンゴル、カザフスタンにおける贈与・交換・分配について比較検討する。
第4回「アフリカ地域における贈与・交換・分配」では、アフリカの狩猟採集民、農耕民、牧畜民の贈与・交換・分配について比較検討する。
第5回「贈与・交換・分配に関する理論的検討」では、既存の概念や理論、モデルの有効性に検討を加える。

【館内研究員】 小林繁樹、丹羽典生、藤本透子
【館外研究員】 井上敏昭、小川さやか、小田亮、風戸真理、佐川徹、立川陽仁、友野典男、中川理、中倉智徳、仁平典宏、比嘉夏子、深田淳太郎、丸山淳子、溝口大助、山極寿一、山口睦、渡辺公三
研究会
2013年7月6日(土)13:00~18:40(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「趣旨説明」
丹羽典生(国立民族学博物館)「ヴァス論再考:母方交叉イトコ婚からみた社会的秩序の誕生」
深田淳太郎(一橋大学)「『買う』儀礼と『売らない』嫁と『強欲』な老人-パプアニューギニア、トーライ社会におけるモノのやり取りをめぐる言葉と態度」
比嘉夏子(日本学術振興会・国立民族学博物館)「首長制とキリスト教の繋がり:トンガ王国における贈与実践の検討」
総合討論(全員)
2013年9月29日(日)13:00~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「趣旨説明」
佐川徹(京都大学)「東アフリカ牧畜社会における『敵』との友人関係と贈与」
小川さやか(立命館大学)「インフォーマル経済のダイナミズム-非正規品の流通・消費にみるシェアの論理」
丸山淳子(津田塾大学)「誰と分け合うのか-サンの食物分配にみられる変化と連続性」
総合討論
2013年10月27日(日)13:00~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「趣旨説明」
山極寿一(京都大学)「人間以外の霊長類における所有、贈与、分配、交換」
中村美知夫(京都大学)「チンパンジーにおける『贈与』・『交換』・『分配』」
岩田有史(中部学院大学)「ガボン、ムカラバ=ドゥドゥ国立公園にて観察されたゴリラの「食物落とし行動」についての報告」
田島知之(京都大学)「オランウータンにおける食物分配:目にみえないベギングに着目して」
全員「総合討論」
研究成果

本年度は、共同研究会を3回開催した。
第1回目は「オセアニアにおける贈与・分配・交換」をテーマとし、ポリネシアにおけるヴァス慣行(エゴと母方オジとの交換)、ニューギニア・トーライ社会におけるタブ(貝貨)の利用、トンガ王国におけるキリスト教教会への献金が紹介され、検討が加えられた。これらの地域における贈与・交換は変化をしつつあるものの、モノや財貨・貨幣が移動し続けることの重要性、人びとの人間観や社会関係との関係が指摘された。
第2回目は「アフリカにおける贈与・分配・交換」をテーマとして、東アフリカ牧畜社会ダサネッチによる「敵」への歓待と贈与、タンザイニアのインフォーマル経済における非正規品の流通と消費、カラハリ・サンの定住地における分配について紹介され、検討された。これらの地域では、やり取り上の臨機応変さや曖昧さ(曖昧にしておくこと)が重要であることが指摘された。
第3回目は「霊長類の食物分配行動」をテーマとして、人類以外の霊長類の食物分配行動の総論、チンパンジーとゴリラ、オランウータンの食物分配行動が紹介され、検討された。とくに自発的な分配(利他行動)には、たかい共感能力や認知能力が必要である点が指摘された。
本年度の共同研究によって、人類社会内の贈与・分配・交換の多様性、人類とそれ以外の霊長類の食物分配行動の相違や共通性がより明確に理解された。

2012年度

2012年度には、研究代表者による問題提起と問題点を共有するための研究会を実施した後、人類学でこれまで提起されてきた贈与論、交換論、クラ論、分配論を検討する。
第1回「総論と問題提起」 2012年10月7日開催予定
第2回「モースの贈与論とレヴィ=ストロースの交換論、マリノウスキーのクラ論、狩猟採集民研究における分配論」 2013年1月頃開催予定

【館内研究員】 小川さやか、小林繁樹、丹羽典生、藤本透子
【館外研究員】 井上敏昭、小田亮、風戸真理、佐川徹、立川陽仁、友野典男、中川理、中倉智徳、仁平典宏、比嘉夏子、深田淳太郎、丸山淳子、溝口大助、山極寿一、山口(加藤)睦、渡辺公三 
研究会
2012年10月7日(日)13:30~18:00(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「趣旨説明と問題提起」
全員「検討および各自の研究紹介」
全員「今後の予定の検討」
2013年1月20日(日)13:30~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「問題提起」
小林繁樹(国立民族学博物館)「贈物交換活動と地域社会」
深田淳太郎(一橋大学)「コメント」
溝口大助(九州大学)「贈与論と供犠論 - 「聖なるもの」と「霊的なもの」を手がかりに」
渡辺公三(立命館大学)「コメント」
全体討論
2013年3月3日(日)13:30~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
岸上伸啓(国立民族学博物館)「問題提起」
立川陽仁(三重大学)「クワクワカワクゥのポトラッチと贈与・分配」
井上敏昭(城西国際大学)「グィッチン社会における分配・相互扶助・贈与-資本主義国内に包含された狩猟社会における意義について」
全員「次年度の研究計画の検討」
研究成果

第1回目の研究会では岸上がモースに端を発する贈与論の系譜を概略しつつ、クラ研究、ポトラッチ研究、狩猟採集社会に関する分配研究について概略的な全体像を提示し、分配・交換・再分配・贈与などの概念を再検討するための問題の共有化を図った。
第2回目の研究会ではクラ研究とモースの贈与論をテーマとした。小林がクラの概要とシアン諸島の贈物交換について報告し、検討を加えた。溝口はモースの贈与論を供犠論との関係から論じ、レヴィによるモースへの学問的影響の可能性について指摘した。小林は、クラや贈物交換は社会的活動である点を強調するとともに、マリノフスキーのクラ研究をワイナ―の女財の研究を紹介しながら批判した。
第3回目の研究会ではクワクワカワクゥのポトラッチとグィッチンのポトラッチを検討した。立川は、ある時期、社会的序列を決定するために競争的なポトラッチが行われたが、ポトラッチ自体は一方的な贈与である点を指摘した。一方、井上は現在のポトラッチがきわめて先住民社会の内的な社会性や対外的な政治性と結びついている点を強調した。