国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

音楽する身体間の相互作用を捉える――ミュージッキングの学際的研究

研究期間:2016.10-2020.3 代表者 野澤豊一

研究プロジェクト一覧

キーワード

音楽すること、身体、コミュニケーション

目的

音楽の人類学的研究は半世紀ほどの歴史をもつが、従来の研究の多くは、音楽の意味を音(テクスト)に求める「音楽学」寄りの研究と、音の文化的背景(コンテクスト)に音楽の存在意義を求める「人類学」寄りの研究とに分かれる傾向にあった。また、両者の学術的対話の困難さもこれまで指摘されてきた。
他方で近年では、人類学と音楽学とを架橋する研究者らが、人間の音楽的な営みを“音楽することmusicking”として理解することを提唱している。music の動名詞型にあたる「ミュージッキング」には、歌い・奏し・踊ることだけでなく、手拍子や聴取といった行為までも含まれる。これは、音楽的実践における身体性に着目することで、“音楽”という近代的かつ抽象的な概念を根本から再考するために提案された鍵概念である。
本研究は、記述・分析の対象を「音楽」から「ミュージッキング」へとずらし、パフォーマンスのさなかにある身体同士のやりとりを音楽的出来事に不可欠な一部分として語るための方法論を確立することを目的とする。

研究成果

3年半にわたる本共同研究会では計14回の研究会を開催した。事例として報告で取り上げられた地域は、東アジア(日本、中国、韓国)、東南アジア(インドネシア、カンボジア)、南アジア(インド)、アフリカ(ジンバブエ、エチオピア、カメルーン)、北米(米国)、南米(アルゼンチン)と多様だったが、そこで具体的に論じられたテーマは、身体、オラリティ、癒し、政治・運動、ダンス、映像、憑依、発表会、等々、さらに多岐にわたるものであった。本研究会に臨むにあたって代表者がもっていたそもそもの目論見は、一般に「音楽実践」と呼ばれる場面の焦点を、「音楽」というテクストではなく、「ミュージッキング」すなわちその場で繰り広げられる音と動きのやりとり(すなわち「身体間の相互作用」)にずらしていくと、どのような地平が拓かれるだろうか、ということであった。しかし、研究会の場でこのアイディアを投げかけて班員から返ってきた反応はそうした単純素朴な枠組みに収まるようなものではなかった。研究分野や対象によって、「ミュージッキング」という概念のとらえ方自体が多様であることが改めて明らかになったのである。他方で、多岐にわたる議論をまとめ上げる可能性のある概念も浮かび上がってきた。とりわけ重要だったのは、岡崎彰(東京外大AA研)がコメントとして繰り返し述べた「場のエージェンシー」および「(participationの訳語しての)融即」である。ミュージッキングが行われるときの「主体」がどこにあるのかと考えるとき、それを、演奏したり、踊ったり、それを眺めたりする個人だとするのは近代的な予断にすぎない。むしろ、ミュージッキングの場面や特定のフレーズに個人が引き込まれるような状況にこそ、音楽のパワーが潜んでいると考えることができる。少なくとも、「音楽」を対象化してきたこれまでの研究がなかなか迫ることのできなかった、しかしながら音楽人類学にとって極めて興味深い領域がそこに広がっていることは確かである。成果論集では、このダイナミズムを効果的に記述することを目指している。

2019年度

音楽すること musicking や踊ること dancing は、自他の融解や憑依現象を生み出しうる一方で、全体主義的な規律や高度に洗練されたマナーを個人に注入することもある。このふたつの関係が如何なるものなのかという問いは、「音楽music」や「舞踏dance」といった名詞的語りによっては真に明らかにすることはできない。本年度の目標のひとつは、音楽する身体がもつこの二つの極の具体的な様相を明らかにするための事例を発表することと、その二つの関係についての議論をさらに深めることである。
本年度は最終年度にあたるため、成果をまとめた論集の準備も行う。これまでの事例や議論をあらためて参照しなおしながら、音楽する・踊る身体を理論的に語るために必要な作業を行う。4回の研究会を予定している。

【館内研究員】 川瀬慈、寺田吉孝、福岡正太
【館外研究員】 青木深、井手口彰典、岡崎彰、梶丸岳、大門碧、武田俊輔、谷口文和、西島千尋、野澤豊一、伏木香織、増野亜子、松平勇二、矢野原佑史、輪島裕介
研究会
2019年5月12日(日)13:30~18:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
福岡正太(国立民族学博物館)「ミュージッキングとしての映像記録作成――フォーラム型情報ミュージアム『徳之島の唄と踊り』」
竹村嘉晃(シンガポール国立大学/国立民族学博物館)「インド芸能から考える舞踊民族誌の視角(仮)」
全員・成果の取りまとめにむけて
2019年7月6日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
井上淳生(北海道地域農業研究所)「音楽と格闘する踊り手――社交ダンスを素材に動きと音楽の関係を描く」
全員・成果の取りまとめにむけて
2020年2月22日(土)9:30~18:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
全員・成果論集の原稿読み合わせ
研究成果

2019年度は3回の共同研究会を実施した。最終年度ということもあり、口頭発表の数をこれまでよりも少なくして、成果発表のための話し合いに多くの時間を割いた。発表では、2018年度までに議論を尽くしきれなかった「映像」と「ダンス」に関わる報告を、3名の研究者(うち2名がゲストスピーカー)が行った。それぞれの内容は、人々の音楽実践を映像として記録したり現地の人々と共有する営み自体をミュージッキングとして記述する可能性について、舞踊研究におけるテクスト主義とコンテクスト主義の限界、現代日本の社交ダンス実践者における「音楽」と「ダンス」の分離状況について、というものである。成果発表のための準備としては、まず代表者である野澤が論集全体の方針を共同研究のメンバーに伝えたうえで(5月12日)、各人の担当するチャプターの案を集めた(7月6日)。それをふまえて各人が草稿を持ち寄り、相互にコメント・批判を行った(2月22日)。

2018年度

これまでの1年半にわたる発表および討論は、班員らに多くのインスピレーションを与えた一方で、パフォーマンスの動態を一般的な概念により把握することの根本的な難しさも教えてくれた。そのなかから浮上してきたいくつかの概念に「エージェンシー」や「場」などがある。また、ミュージッキングのマルチモーダル(多様式)性や音が喚起するマルチセンサー性についても根本的な討論が行われた。今後はこれらのキーワードを念頭に入れながら、引き続き、ミュージッキングに独自な人間を参与に巻き込む力の解明を目指す。平成30年度の会合は4回程度を予定している。「音楽と癒し」、「音楽と政治・運動」、「ダンス」という、これまでに取り上げてこなかった重要テーマについての民族誌的な事例を、特別講師を交えて発表・討論を重ねる。

【館内研究員】 川瀬慈、寺田吉孝、福岡正太
【館外研究員】 青木深、井手口彰典、岡崎彰、梶丸岳、大門碧、武田俊輔、谷口文和、西島千尋、伏木香織、増野亜子、松平勇二、矢野原佑史、輪島裕介
研究会
2018年11月18日(日)13:00~18:00(国立民族学博物館 特別研究室[4046号室])
野澤豊一(富山大学)趣旨説明
西島千尋(日本福祉大学)「ミュージック・ケアで癒されているのは誰か(仮)」
浮ヶ谷幸代(相模女子大学)「生を刻む みる・きく・たたく・かわす――北海道浦河ひがし町診療所の『音楽の時間』から(仮)」
細馬宏通(滋賀県立大学)「音の相互行為を捉えなおす――神戸『音遊びの会』の演奏を手掛かりに(仮)」
全員・総合討論
2018年12月22日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
野澤豊一(富山大学)趣旨説明
井手口彰典(立教大学)「ミュージッキングはゴーストライトの(悪)夢を見るか?――佐村河内事件が示唆するもの(仮)」
宮入恭平(立教大学)「学校教育に組み込まれたパフォーマンス――部活動から醸成される発表会的心性(仮)」
全員・総合討論
2019年1月12日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
野澤豊一(富山大学)趣旨説明
寺田吉孝(国立民族学博物館)「太鼓と周縁化されたコミュニティ(仮)」
毛利嘉孝(東京藝術大学)「サイケデリック・マルクス主義からアシッド・コービニズム/コミュニズムへ(仮)」
小田マサノリ(東京外国語大学)「人類学から遠くはなれて~『音楽と政治』のフィールドから(2003年~2016年)――ケニア、東京、北海道、沖縄、ニューヨーク、首相官邸、そして、YouTube(仮)」
全員・総合討論
2019年2月23日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
野澤豊一(富山大学)「趣旨説明」
岡崎彰(東京外国語大学)「ダンスと夢――能動でも受動でもなく、文化でも自然でもなく、そして精神でも肉体でもなく(仮)」
武田優子(沖縄国際大学)「ミロンガにおけるタンゴ実践とその背景(仮)」
輪島裕介(大阪大学)「ダンスと振り付けの間:70年代以降の日本の大衆音楽史から考える(仮)」
全員・総合討論
研究成果

平成30年度は4回の共同研究会を実施した。「音楽と癒し」をテーマにした研究会(11月18日)では、いわゆる音楽療法およびその周辺にある事例について3名(うちゲスト講師が2名)が報告し、セラピー的な性格をもつ音楽実践に多様性があるいっぽうで、参与者がミュージッキングに動機づけられる動態に共通する側面があることも確認した。「パフォーマンスの周辺」をテーマにした研究会(12月22日)では、2名(うちゲスト講師が1名)が、「天才作曲家」という言説や発表会という社会的仕掛けが、パフォーマンスの外側で人々をミュージッキングに動機づける事例について報告した。「音楽と政治・運動」をテーマにした研究会(1月12日)では3名(うちゲスト講師が2名)が、デモ、マイノリティ、アンダーグラウンドシーンの事例から、パフォーマンスへの参与が前意識ともいうべきレベルで個人に働きかける実情を報告した。「ダンス」をテーマにした研究会(2月23日)では3名(うちゲスト講師が1名)が、日本、南米、アフリカ、東南アジアの事例をもとに、ダンス(的身体)に内在する規律訓練的側面や融即的状況について報告した。

2017年度

平成29年度は、4回の会合を実施する予定である。これまでの発表と討論から、"音楽することmusicking"という概念に、当初設定していた「身体間の相互作用」よりも幅広い意味をもたせることが必要ではないかという課題が見えてきた。この点を明確にするためにも、引き続き、多様な地域(アフリカ、東南アジア、東アジア、南アジアなど)におけるミュージッキングの民族誌的な事例に基づく研究発表を行う。いずれの回でも、その場に居合わせた身体同士のダイナミックな交流が音によって媒介されていることの意義を見極めるための、理論的な枠組みを構築することを意識しながら、討論を重ねる。また本年度からは、民族誌的な事例以外にも、過去のミュージッキングにおける身体や、メディアによって媒介された音楽の「聴取」といったテーマについての発表も実施していく。

【館内研究員】 川瀬慈、寺田吉孝、福岡正太
【館外研究員】 青木深、井手口彰典、岡崎彰、梶丸岳、大門碧、武田俊輔、谷口文和、西島千尋、伏木香織、増野亜子、松平勇二、矢野原佑史、輪島裕介
研究会
2017年4月1日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
野澤豊一(富山大学)「趣旨説明――フィールドでパフォーマーになること」(仮)
松平勇二(国立民族学博物館)「ジンバブエのンビラ音楽における全員参加の効果」(仮)
増野亜子(東京藝術大学)「バリでガムラン・パフォーマーになること――フィールドの内と外で」(仮)
谷正人(神戸大学)「指から感じ理解すること――楽器間で異なる身体感覚の研究にむけて」(仮)
全員・総合討論
2017年4月2日(日)9:30~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
大門碧(京都大学)「舞台裏から体感するウガンダ首都のショー・パフォーマンス」(仮)
矢野原佑史(京都大学)「カメルーンの若者たちと共創するヒップホップ」(仮)
伏木香織(大正大学)「『巻き込まれる』――フィールドで儀礼の執行者の一部となること」(仮)
神野知恵(東京藝術大学)「韓国の農楽研究における演奏実践の重要性――リズムの聴き取り、再現、分析、可視化のプロセス」(仮)
総合討論
2017年9月30日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
野澤豊一(富山大学)「趣旨説明」
谷口文和(京都精華大学)「電子音響技術に媒介されたミュージシャンシップの形成」(仮)
井手口彰典(立教大学)「初音ミク[で/と/を]音楽する――偶像(アイドル)と人形(フィギュア)の狭間で」(仮)
全員・総合討論
2018年1月20日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
野澤豊一(富山大学)「趣旨説明」
長尾洋子(和光大学)「おわら風の盆の古層――『群れる』身体性の再構築はいかにして可能か(仮)
青木深(東京女子大学)「〈うたう/きく〉ことの記録と記憶――『支那の夜』と1940-60年代の環太平洋(仮)
全員・総合討論
2018年1月27日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第4セミナー室)
野澤豊一(富山大学)「オラリティを捉え返す――ミュージッキングと語りの間から(趣旨説明)」
飯倉義之(國學院大學)「こえとことば、からだとことば――語りと身体性」
野澤豊一(富山大学)「『信じている』と語り歌うこと――黒人ペンテコステ派キリスト教におけるオラリティと信仰」
梶丸岳(京都大学)「なぜ(わざわざ)歌を交わすのか――掛け合う歌のオラリティ」
増野亜子(東京藝術大学)「歌うことと話すこと――バリの歌芝居アルジャにおける声の様式性」
全員・総合討論
研究成果

平成29年度は4回(のべ5日間)の共同研究会を実施した。4月1・2日の研究会では、調査地で実演者としての経験をもつ研究者7名(ゲストスピーカーが2名)が「フィールドでパフォーマーになること」を主テーマに発表した。討論ではお主に、演奏することの身体性や、音楽を上演するための技術と場を作り出すことの技能の異同について意見が交わされた。9月30日は、メディアに媒介された音楽を前提とするミュージッキングについて班員2名が発表し、作品を入念に作り出すことをmusickingという概念にどう結び付けるかが話し合われた。1月20日は、過去の音楽的経験にmusickingというキーワードで如何にアプローチできるかということを考えるために、2名(ゲストスピーカーが1名)が発表した。1月27日は、musickingと語りというパフォーマンス行為を題材に、「オラリティ」概念を再考する公開シンポジウムを行った。4名(うちゲストスピーカーが1名)の発表を受けて、オーラルなパフォーマンスをどう記述すべきかということなどについて意見が交わされた。

2016年度

初年度(平成28年度)は3回の会合を実施し、理論と実践の両面から討論を開始する。理論面では、人類学、音楽学、民俗学、コミュニケーション理論等の学説史を検討し、ミュージッキングという概念をそのなかに位置づける。また実践面では、(構成員のなかに調査地で実際にパフォーマーの側に立つ、調査対象と共に作品を制作するなどした経験をもつものが多いことを活かして)ミュージッキングの場を「当事者」として体験することに関する討論を行う。以上より、本研究会における「ミュージッキング」の輪郭を明確化し、各人が発表の方向性を考えるきっかけとする。

【館内研究員】 川瀬慈
【館外研究員】 青木深、井手口彰典、岡崎彰、梶丸岳、大門碧、武田俊輔、谷口文和、西島千尋、伏木香織、増野亜子、松平勇二、矢野原佑史、輪島裕介
研究会
2016年10月15日(土)14:00~18:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
野澤豊一(富山大学)「趣旨説明 音楽する身体間の相互作用を捉える」
全員 メンバー自己紹介および今後の計画についての打ち合わせ
2016年10月16日(日)10:30~17:00(国立民族学博物館 第6セミナー室)
武田俊輔(滋賀県立大学) 「『民謡』生成の『場』を読む思考――柳田國男の民謡論」
梶丸岳(京都市立芸術大学)「掛唄大会という場――民謡のエスノメソドロジー」
全員 総合討論
2016年12月17日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第7セミナー室)
野澤豊一(富山大学)「サウンドによるseamlessnessと感情の共有――米国黒人ペンテコステ派キリスト教会のミュージッキング」
川瀬慈(国立民族学博物館)「『精霊の馬』上映――ザール憑依儀礼の映像記録・表現をめぐって」
全員・総合討論
研究成果

初年度(平成28年度)は2回(のべ3日間)の共同研究会を実施した。初回では研究代表者の野澤が趣旨説明を行い、本研究会のねらいや問題意識、今後の方針について述べた。つづいて、出席したメンバー全員の調査地域や研究テーマを紹介し合い、各々が本研究会にどのように貢献するかを話し合った。その後の研究会の発表内容は次の通りである。理論面では、野澤がmusickingやparticipatory musicという概念と本研究とのかかわりを報告し、武田は柳田國男が民謡の歌われる場をダイナミックな相互行為が起こる場として把握する必要性を説いていたことを報告した。事例研究では、梶丸が秋田県横手市の金澤八幡宮で行われている掛唄大会や直会の場における歌唱による相互行為について、野澤が米国の黒人キリスト教会における音とトランスダンスのかかわりについて、川瀬がエチオピアにおけるザール憑依儀礼の動態を映像作品の上映によって、それぞれ報告した。なお、当初予定していた「ミュージッキングの場を当事者として経験すること」をテーマにした発表および討論は、主要な発表者が長期の海外滞在中であったため、次年度に開催することにした。