国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

1950年代アメリカ海軍のグアム島における風下被ばく調査に関する研究 (2016-2018)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|基盤研究(C) 代表者 西佳代

研究プロジェクト一覧

目的・内容

非武装・平和主義を掲げて戦後を歩んできた日本では、軍事組織は特殊な社会集団として避けられてきた。しかし軍事組織も社会との相互作用のなかで存在する社会集団である。しかも、安全保障関連法の成立を機に、日本では軍事組織に対する国民の関心が高まっている。こうした政治状況に鑑みると、軍事組織と社会とのかかわりについて理解を深める必要がある。
そこで本研究は、第二次世界大戦後の核の時代、国民から存在意義を問われるようになったアメリカ海軍をとりあげ、軍事組織と社会のかかわりを考察する。
本研究の結果、アメリカ海軍は国民の生命の保護や健康の増進に貢献することで、国民に対する権威と正統性を獲得したことが明らかとなる。またアメリカ海軍が実施した、グアム島における風下被ばくにかんする調査の全貌が初めて明らかとなる。

活動内容

◆ 2017年4月より転入

2019年度活動報告

これまで収集した資・史料を整理する過程で、1946年のクロスロード作戦後、ワシントン大学の生物学者が長期に亘って行ったビキニ環礁における放射性物質追跡調査が、1952年のアメリカ、カナダ、日本の漁業交渉に影響を与えたことが明らかになった。これは海軍の水質調査とは直接関係なく、成果としては派生的である。しかし海軍と生物学者の共同研究の結果が、国内の漁業振興を推進するため、国際政治の枠組みを変更したという点で、軍事組織と社会の相互作用の一面を表していると言える。
そもそも1930年代半ばより、北太平洋上のサケ漁は日本とアメリカの間の懸案事項となっていたが、戦後は帰還兵の雇用創出の観点から、連邦政府は漁業を振興した。ワシントン大学の生物学者は、ビキニ調査をもとに物質代謝のメカニズムを明らかにし、後にサケの養殖技術の開発に成功するのであるが、1950年代初頭には、放射性物質を注入した池で稚魚を養殖し、国産サケの識別に成功していた。
放射能の性質を利用した養殖技術を背景に、アメリカは「母川国主義」を掲げ、日本人漁業者が北太平洋を回遊する「アメリカ産サケ」を捕獲するのを抑制しようとした。1952年4月28日、サンフラシスコ講和条約が発効して日本が独立を回復すると、アメリカとカナダはただちに「北太平洋の公海漁業にかんする国際条約」を日本と調印し(1952年5月9日)、北太平洋上の魚類資源を保存するため、三国は特定水域における特定資源の操業を自発的に抑制することで合意した。以後、アメリカのサケの水揚げ高は増加の一途をたどった。
魚類資源保存のために公海上の操業を抑制するという北太平洋条約の精神は、1982年国連海洋法で「排他的経済水域」として制度化された。人類はながらく海を公共の場として捉え、海洋の自由を享受してきたが、放射能にかんする知見は自国第一主義的な枠組みを誕生させたのであった。

2018年度活動報告

これまでのところ、アメリカ合衆国(以下「アメリカ」)政府の公文書により、冷戦期にアメリカとソヴィエト社会主義共和国連邦の間で核開発競争が始まると、アメリカ海軍が、核戦争に備えて放射能の除染技術を開発するとともにしきい値を設定することが、自らの果たすべき国家安全保障上の役割と定義したことを明らかにしてきた。具体的には、放射能汚染された飲料水の除染にかんする調査研究を推進したことを明らかにしてきた。
現在は、アメリカ海軍が1951年にグアム島に完成させたフェナ貯水池に着目し、同海軍の飲料水除染技術にかんする研究開発の実態を明らかにしようとしているところである。しかし、フェナ貯水池は最近まで海軍が所有していたことから、これまでのところアメリカ海軍がフェナ貯水池にかんしてどのような水質調査を行っていたのかについての歴史的な資史料を入手することは困難であった。そこで本年度は、アメリカ地質学調査所(U.S. Geological Survey)が1946年から1956年にかけて実施した「太平洋諸島地質図作成プログラム(Pacific Geologic Mapping Program)」の報告書を入手し、グアム島の水資源に関連する調査内容を明らかにした。同プログラムは、地質学者が水文学や陸水学の専門家とともに、太平洋諸島に基地を建設するうえで必要な情報を軍に提供する目的で実施したものであり、グアム島では1951年8月から1954年12月にかけて水文学を含む調査を実施している。同プログラムの報告書をつうじ、軍が島の水資源について持っていた関心事を伺うことができた。

2017年度活動報告

前年度では、1946年にマーシャル諸島で行った核実験「クロスロード作戦」をつうじ、海軍が核爆発による放射性降下物が自然環境を経由して人体に甚大な影響を及ぼす「風下被ばく」の実態に驚愕したことを明らかにした。ところで、この結果を受け、海軍は連邦政府における放射能防衛研究を推進する中心的機関として「放射能安全プログラム」を発足させた。そして1950年からは、核戦争に備えて放射能汚染水の浄化装置の開発に向けた研究を開始していた。これらに鑑みれば、太平洋における核実験のさなか、海軍は風下被ばくの可能性を認識しつつも、1951年にグアム島に貯水池であるフェナ湖を完成させたということになり、実際、内務省のアメリカ地質調査所も同年から島の水質調査を開始しているのである。なおアメリカ政府は1950年8月に島の管轄権を国防総省から内務省へ移管したものの、早くもその三ケ月後に海軍は「セキュリティ・クリアランス・プログラム」を実施して島への民間人の出入りを事実上禁止した。こうした状況は、この水質調査が極秘のうちに行われたことを示唆している。
本年度は、1950年代のアメリカ政府によるグアム島における風下被ばく調査の実態の解明に向けて、軍が実施した地質学研究に関する資料の収集に努めた。ただアメリカ地質調査所の報告書は入手できなかったため、アメリカ政府が1940年代後半からおよそ10年間かけてアメリカの施政下あった国連信託統治領で実施した「太平洋地質図作成プログラム」に注目した。
その結果、フェナ湖建設計画を立案した中心的地理学者の存在などは明らかになったものの、本土における浄化装置の開発プロジェクトとの関係を示す史・資料を明らかにすることはできていない。この点が来年度の調査の焦点であり、引き続きアメリカ地質調査所の報告書の入手に努めたい。