国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

日本手話と台湾手話の歴史変化の解明:歴史社会言語学の方法論の確立に向けて(2016-2018)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|挑戦的萌芽研究 代表者 相良啓子

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究の目的は、手話言語学の分野において未着手の歴史社会言語学の方法論を導き出すことである。日本手話(Japanese Sign Language: JSL)と台湾手話(Taiwan Sign Language: TSL)の史的変遷の解明に取り組み、具体的な分析を通して手話言語においても科学的な比較研究が可能であることを示す。手話の音韻的特徴の記述法は確立しておらず、歴史言語学の比較方法をそのまま当てはめることができない。系統関係が明らかで分岐後の時間が短いJSL とTSL に対象を絞り、手話の音韻の専門家、音声言語の歴史言語学の専門家とともに、手法を検討しつつ、調査及び分析を行う。これにより、手話言語の歴史研究を可能にするための記述方法(ノーテーション)を確立するとともに、JSL とTSLに見られる発達経緯の特定と一般化を行い、他の手話言語の比較研究への応用につなげることを目標とする。

活動内容

2018年度実施計画

① 収集されたデータの総合的なまとめと分析
二度に渡る台湾の現地調査から得られたデータを総合的にまとめ、各地域で変化や変化の方向性が特定できた語彙についての記述を確定する。「10」、「100」、「1000」の変種が、台北、台南、関東地方、近畿地方においてどのように分布しているのかについて、地域差、年齢差、性差などの間に有意差が見られるかどうか、データを質的に分析すると同時に統計分析を行う。さらに、パラダイムとしての数体系の変化とそれに伴う音韻・形態変化のパターンを類型論的に分析し、TSLとJSL 全体に起こった数の体系の流れと、それに関与した言語学的特徴を明らかにする。また、これらの変化の過程の一般化を行い、言語変化理論の中の位置づけについて考察し、様々な手法を用いながら、手話言語学における歴史社会言語学の方法論について導き出す。

② 次の研究に向けて韓国への現地調査
JSL とTSL の分析の結果明らかとなった特定の語彙の発達経緯や一般化の内容の妥当性の検証、また方法論の応用と汎用性を確認するため、JSL およびTSL との関連性が指摘されている韓国手話の関連表現を調べる。手話言語学研究が進んでいるナザレ大学のChang-Jin-sok 教授、手話言語学研究者のKang-Suk Byun 氏、Sung-Eun Hongs 氏と連携を取るとともに、韓国手話との関連性が指摘されている北海道の手話との歴史的な背景についても調査を行う。

2017年度活動報告

本年度は、『歴史言語学』第6号に「日本手話と台湾手話の語彙における変化をさぐる」をテーマとした論文が採択された。主に数の表現を中心として、音韻及び形態論的側面から変化の特徴について論じた。
6月にイギリスに訪問し、手話言語学の専門家らと歴史言語学研究について議論を行った。また、8月にサンアントニオで開催された第23回国際歴史言語学会で、研究分担者の菊澤と共に「Paradigm Leveling in Japanese Sign Language (JSL) and Related Languages」について発表した。日本手話と台湾手話、そして韓国手話の比較を通して、パラダイム全体が変化した例、部分的に変化した例があること、部分的に変化した箇所は言語が異なっても共通した変化がみられ、音を表出する手形の構音上の制約による変化のあり方であることを述べた。分担研究者の原とは、手話言語の記述法や音韻的分析のあり方について、議論を重ねた。
台湾手話と日本手話との関係性を明らかにするためには、国内での地域変種をさらに詳しく調査していく必要性があるため、大阪の手話と関連がある北海道や、古くからの手話が使用されている山口への語彙調査を行った。また、台湾へ2度目のフィールドワークで、日本統治時代に教育を受けた経験のある手話話者に対するインタビュー調査を実施した。そこでは、古くから使用されている表現を引き出すことができた。
12月9日から10日にかけて大阪で開催された「歴史言語学会」では、「日本手話、台湾手話、韓国手話の数の表現の構成とその変化:「10」「100」「1000」に着目して」のテーマで研究発表を行った。
これらのフィールド調査や国内外での中間報告等を通して、歴史変遷の解明に向けて必要なデータや論文構想が整ってきたため、最終年は更なる分析を進め、歴史変化の解明についての研究報告をまとめていく。

2016年度活動報告

平成28年度は、日本手話と台湾手話の史的研究に必要な資料収集及び、国内と台湾で、フィールドワークを行った。松永(1937)の『聾唖会』の中で書かれた「聾唖手まね事典」(5回シリーズ)には、手話表現の説明文と、イラストによる手型が書かれてあり、これによりその当時に使用されていた手話を知ることができた。また、約80年前の表現と現在使用されている表現を比較することにより、言語学的観点から手話表現の変化をたどることができた。また、研究分担者の菊澤、国立リハビリテーションセンターの手話通訳学科の担当者とともに、センターに収納されている過去の手話データの保存と研究資料としての運用について、検討中である。
フィールドワークは、東京、台北、台南でそれぞれ20名ずつ、大阪では15名の情報提供者からデータを収集し、20代から80代までの幅広い年齢層からのデータが得られた。これらのデータの中で、特に数の表現においては、現在日本の多くのろう者が使用していない表現が、80才以上のろう者から確認され、また、その表現は聾唖会に掲載されているデータとも一致するため、資料と収集データの両方から実在した表現形であることが確認できた。
得られたデータと文献を通して分析を進めているところであるが、現時点での中間報告として、12月3日~4日にかけて東京で開催された第42回日本手話学会において発表を行った。数詞、色彩、親族表現を対象とし、日本手話と台湾手話の言語変化のパターンには、融合、消失、同化などがあることが確認された。記述法については、音韻の専門家である原、歴史言語学の専門家である菊澤と共に進めているところである。
同時に、台湾においては、日本で古くから使用されている表現がそのまま変化せず使用されている語彙が多いという印象を受けた。今後はこの点について実証的な研究を進めていく。