国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

身体性を基盤とした他者との共存の可能性を探求する-ケニアの自転車競技選手を事例に(2018-2020)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究 代表者 萩原卓也

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究の目的は、ケニアの自転車競技選手を事例に、たがいに葛藤や嫉妬を抱えつつも共存している集団の在り方を探究することをとおして、社会集団の生成とその持続性を論じる研究に一石を投じることである。他者との共存を論じる際に、何かを共有、または何かに同調することによって共同性が立ち上がることを指摘することも重要であるが、むしろ問うべきは、差異や葛藤を抱えながらもたがいに共存することを可能にするその在り方である。本研究では、人と人の相互関係だけでなく、環境を接点として生じる自転車競技選手の身体性、すなわち「身構え」が、競技選手が他者と共存しようとする際に重要な役割を担っている可能性に注目する。スポーツ選手の身体的な経験をモノや周囲の環境との接点において捉えなおす、つまり生態学的な視角で捉えなおすことで、身体性を基盤とした共存の在り方について探究する。

活動内容

◆ 2020年3月31日転出

2020年度活動計画

最終年度である2020年度は、文献研究の成果とフィールドワークで収集されたデータを照らし合わせながら整理・分析し、得られた研究成果を積極的に国際・国内学会を通して発信していく。合計3年間の研究全体を総括し、身体性を基盤とした他者との共存/並存の可能性を探究する。
夏季に短期間の現地調査を予定している。調査にあたっては、調査地の情勢などを事前にチェックして、慎重におこなう。2019年度の調査で不十分であった選手/元選手のライフヒストリーを重点的に収集する。ケニアにおいて自転車競技選手として生きるとはどういうことかを、彼らの人生の中にあらためて位置づけることを試みる。COVID-19の影響によりケニアへの渡航が困難であれば、渡航時期を後半にずらして現地調査を実施するか、渡航をあきらめオンラインのツールを活用しながらインタビューを試みる。COVID-19の感染拡大の中で、アスリートもあらたな生活の形を問われ、それぞれが工夫し実践している。このような状況下におけるアスリートの身体との向き合い方、および関係性の構築の仕方も視野に入れつつ、最終年度の研究を展開させていきたい。
期待される研究成果に関して、「ケニアにおけるアスリートの競技後の生計戦略と人脈の活用」については『アフリカ研究』等へ、「他者との共存/並存を可能にする身構え」については『スポーツ人類学』等の雑誌に対し論文を投稿する。

2019年度活動報告

本研究の目的は、ケニアの自転車競技選手を対象に、たがいに葛藤や嫉妬を抱えつつも共存している集団の在り方を探究することを通して、社会集団の生成とその持続性を論じる研究に一石を投じることである。
2年度目は、引き続き文献研究を継続すると同時に、当初の予定通り8月から9月にかけてケニアでの現地フィールド調査を実施した。今回の調査は、これまでの現役選手を対象とした調査とは異なり、成績不振などを理由に競技団体から離れざるをえなかった元競技選手を対象にした。彼らの現在の生活状況を把握し、さらに競技選手であった過去が現在に対して与える効果について聞き取り調査を実施した。そのなかで、彼らは現役選手との距離を保ちつつ、また自身が選手時代に培った人脈を巧みに頼りながら、競技以外の仕事で生計を成り立たせていた。その現状から、現役と引退選手の共存というよりも、並存という分析の方向性が導き出された。これは、セカンド・キャリアという言葉で単純に位置づけられてしまいがちなアスリートの競技後の生活を、現役選手や引退選手どうしの関係から再考する事例にも成り得る。
2019年度は、これまでの文献研究とフィールド調査の成果を、以下3つの異なる層に対して発表した。(1)6月には、新設された国際ファッション専門職大学にて、全身を投入して身体で考えるフィールドワークの意義を新入生に対し話す機会を得た。(2)7月には、スポーツ人類学会が定期的に主催している「スポ人サロン」というセミナーにおいて、研究の進展が期待されるアフリカのスポーツ事情について研究者と共有する機会をもった。(3)8月には、調査地ケニアでのシンポジウム(日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター主催)で発表した。ケニヤッタ大学の現地研究者を含む参加者と「よりよいスポーツの在り方」について議論を深めることができた。

2018年度活動報告

本研究の目的は、ケニアの自転車競技選手を事例に、たがいに葛藤や嫉妬を抱えつつも共存している集団の在り方を探究することをとおして、社会集団の生成とその持続性を論じる研究に一石を投じることである。他者との共存を論じる際に、何かを共有、または何かに同調することによって共同性が立ち上がることを指摘することも重要であるが、むしろ問うべきは、差異や葛藤を抱えながらもたがいに共存することを可能にするその在り方である。スポーツ選手の身体的な経験をモノや周囲の環境との接点において捉えなおすことで、身体性を基盤とした共存の可能性について考察する。
初年度は、おもに文献研究を理論研究と事例研究に分けて実施した。具体的に、理論研究では、アフォーダンスに代表される生態学的視点にまつわる諸概念や「身体化された心」の研究群を精読することで、スポーツ選手の実践をモノや周囲の環境との関係において捉え直すことができた。事例研究では、障害や病いをもった「思い通りにならない身体」と、周囲の環境との相互作用を扱った研究を精読した。そのなかで、周囲の環境との関係に埋め込まれた身体の直接経験こそが、思考・認識・知覚の基礎になっているとする立場を批判的に検証することができた。
また、申請書にも記したように、本研究は自身のこれまでのフィールドワークの延長線上に位置づけられる。本年度の研究をとおして、これまでに収集していたデータの分析を複眼的に深めることができた。さらに、それらの成果を幅広い層に発信することができた。具体的には、①萩原卓也、2019、「「わかる」への凸凹な道のり―どうしようもない身体を抱えて走って」『ラウンド・アバウト-フィールドワークという交差点』神本秀爾・岡本圭史編、pp.27-38.②萩原卓也、2019、「 痛みが開く、わたしが開く」同上、pp.39-50.があげられる。