国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

北アメリカ地域における先住民生存捕鯨と先住権(2009-2013)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|基盤研究(B) 代表者 岸上伸啓

研究プロジェクト一覧

目的・内容

米国やカナダでは先住民の「伝統的な生業」(狩猟漁撈)活動の継続は先住権のひとつと考えられており、アラスカ・イヌピアックやカナダ・イヌイットにはホッキョククジラを捕獲し、利用する権利がそれぞれの国家によって承認されている。本研究の目的は、現代の先住民生存捕鯨が、いかなる政治的、経済的、社会的、環境的条件のもとでどのように実施され、それが捕鯨コミュイニティの維持や変化にいかに関与しているかを、北アメリカ先住民の事例を通して解明することである。さらに、それらの捕鯨を分析することによって、先住権が具現化された実態とはどのようなものであるかを解明する。

活動内容

2013年度活動報告

本年度は、北アメリカ北西海岸先住民、カナダ・イヌイット、グリーンランド・イヌイットの捕鯨について、アラスカ先住民イヌピアットの捕鯨と比較しながら、その実態と先住権に焦点をあてながら、現地調査を行った。
北アメリカ北西海岸先住民のヌーチャヌルスとマカーの捕鯨の現状と先住権との関係について調査した。前者は歴史的に捕鯨を行ってきたことが知られているが、ランドクレームで捕鯨を先住権として主張しておらず、捕鯨再開はきわめて困難な状況にある。後者はかつて米国を相手に締結した条約によって捕鯨の権利は守られているが、国内法との抵触や環境NGOによる訴訟によって捕鯨ができない状況にある。
捕獲枠の拡大を求めたグリーンランドのイヌイットの捕鯨は、2012年7月に開催された第64回国際捕鯨委員会総会において否決された。同自治政府は、捕鯨をイヌイットの権利として考え、クジラ資源を自らの手で管理し、捕鯨を継続する道を選んだ。国際捕鯨委員会から脱会しているカナダは、イヌイットの捕鯨を先住民の権利として認め、ヌナヴート準州で3頭とヌナヴィクで1頭の年間捕獲枠を付与している。
先住民生存捕鯨は、国家によって承認されていても実施できない状況が出現しつつある。この背景には、世界各地で繰り広げられているクジラをめぐる動物愛護運動や環境保護運動が、クジラを「神聖なる海獣」とみなし、それぞれの運動を強力に推進し、世論に大きな影響を及ぼしていることがあると考えられる。このため、1970年年代以降、世界各地において人類とクジラの関係は大きく変わりつつあり、国家や国際社会によって承認されている先住民生存捕鯨の存続にも悪影響を及ぼしつつあることが判明した。これまでの成果を基に国際シンポジウム「北太平洋沿岸諸先住民族文化の比較研究-先住権と海洋資源の利用を中心に-」を国立民族学博物館において開催した。

2012年度活動報告

平成24年度はカナダにおけるイヌイットの捕鯨の現状についてオタワの漁業海洋省において2012年5月20日から5月27日まで調査を実施するとともに、米国アラスカ州バロー村で捕鯨祭ナルカックおよび鯨肉の村外への流通に関する参与調査および聞き取り調査を2012年6月25日から7月4日まで実施した。また、米国とカナダの先住権や先住民運動に関する文献調査を実施した。さらに、アラスカ先住民とカナダ・イヌイットの捕鯨の法的な根拠や問題点について先住権や先住民運動との関係から調査を行なうとともに、北海道道立北方民族博物館において環北太平洋地域の北方先住民による捕鯨やイルカなど小型鯨類の捕獲に関する情報を収集した。
カナダでは先住権の一部としてイヌイットによる捕鯨が、約50年間の中断を経て1990年代に復活し、実施されているが、狩猟・解体・分配の技術の継承が不十分であるという問題や巨額の経費を必要とするという問題があり、ヌナヴト準州以外では捕鯨は休止状態にあることが判明した。一方、アラスカでは気候変動の悪影響を受けながらも沿岸部のイヌピアットは捕鯨を実施し、捕鯨祭などを通じて鯨肉などの村全体での共食や分配が実践されており、彼らのアイデンティティの基盤であり続けている。
本年度は、これまで国内外の調査で収集してきたアラスカ先住民の捕鯨に関する資料や情報を分析し、その成果を中間報告として英文報告書を作成し調査地に還元するとともに、民博のホームページで公開した。また、成果の一部を3本の学術論文として出版し、2012年9月開催の日本カナダ学会や同年11月開催の日本文化人類学会一般公開シンポジウムなどで口頭報告を行なった。さらに現代の捕鯨民イヌピアットの民族誌を作成するための準備を進めた。

2011年度活動報告

平成23年度は、海外調査を3回、実施した。2011年6月15日~6月28日および2011年11月19日~11月27日には、米国アラスカ州バロー村においてイヌピアックによるナルカタック祭および感謝祭の祝宴に関する聞き取り調査と参与観察を行なった。また、2011年8月20日~9月4日にはカナダケベック州モントリオール地区においてヌナヴィク・イヌイットのホッキョククジラ猟の復活に関する情報を収集した。また、これまでのデータを分析し、論文「米国アラスカ州バロー村のイヌピアットによるホッキョククジラ肉の分配と流通について」を『国立民族学博物館研究報告』(2012年、36(2):147-179)から出版した。本年度の成果は下記の通りである。(1)ナルカタック祭は、その年の春季捕鯨に成功した捕鯨キャプテンとその捕鯨組によって主催される。2011年の春季捕鯨では7頭のクジラが水揚げされ、2回の祭りが開催された。これらの祭りの祝宴において春季に捕獲したクジラの肉や脂皮の約20%~30%が提供され、共食されていることが判明した。ナルカタックは祭、文化的に価値の高い鯨肉や脂皮を村全体で分かち合う機会であり、イヌピアット民族としてのアイデンティティを確認する場であることを検証することができた。(2)秋季捕鯨に成功したキャプテンは、鯨肉、脂皮、尾びれを、キリスト教の感謝祭の祝宴に提供する。寄贈された鯨肉や脂皮などは、教会に出席した全家族に平等に配布されており、村人全体に鯨肉などを提供する場になっている。感謝祭の共食と祝宴後の伝統舞踊会は、イヌピアットや村人としてのアイデンティティの創出と維持に大きな役割を果たしていることが判明した。(3)カナダのヌナヴィク地域では、2008年と2009年に捕鯨が実施され、肉や脂皮はヌナヴィクの全イヌイットコミュニティに分配された。経費や解体技術の問題があり、毎年、捕鯨は実施されていないが、先住民権やイヌイット・アイデンティティの確立に深く関わっていることが判明した。

2010年度活動報告

平成22年度には、海外調査を4回、実施した。2010年4月29日~5月9日、2010年8月17日~9月3日、および2011年1月12日~1月24日には、米国アラスカ州バロー村においてイヌピアットの春季捕鯨および獲物の分配の参与観察や、クジラの解体と分配、流通に関して聞き取り調査を実施した。2010年9月16日~9月25日には米国およびカナダにおいて捕鯨文化研究の動向に関する調査を実施した。また、捕鯨文化に関する既存文献をレビューし、論文「捕鯨に関する文化人類学的研究における最近の動向について」を『国立民族学博物館研究報告』(2011年、35(3):399-470)から出版した。本年度は、次の点が明らかになった。(1)イヌピアットの獲物の分配やその後の祝宴のやり方には、捕鯨グループごとに微細な差異が存在することが判明した。若い世代の捕鯨者ほど、獲物をより平等に分配する傾向が認められる。 (2)イヌピアットの間では捕鯨グループを組織し、捕鯨を実施するためには、ボートキャプテンとともにその妻が重要な役割を果たしている。(3)イヌピアットが捕鯨を実施するためには、1グループあたり1年あたり150万円から350万円の経費が必要であるが、肉の販売が禁止されているので、賃金労働や各種配当金などを投入する必要がある。(4)カナダは、国際捕鯨委員会には加盟していないため、独自にクジラ資源の管理を行っている。同国のイヌイット社会では3地域で年間1頭ずつのホッキョククジラの捕獲が先住権のひとつとして認められているが、経費がかさむため、ヌナヴト準州以外では定期的に実施されていない。(5)近年、捕鯨文化に関する文化人類学的研究は、先住民生存捕鯨に関する研究以外ではほとんど行われていない。日本人の文化人類学者による研究が地域的にほぼ全世界を網羅し、数量的に多く、世界の研究をリードしている。海外の文化人類学者による調査は実践的・応用的な志向が強いのに対し、日本の調査は基礎的な志向が強い傾向が認められる。

2009年度活動報告

平成21年度は、アメリカ合衆国アラスカ州バローにおいて2009年6月と2010年2月から3月にかけての2度にわたって現地調査を実施し、アラスカ先住民イヌピアットによる先住民生存捕鯨に関する基礎的な情報を収集した。特に、今回の調査では、捕獲されたクジラの肉と皮脂の分配のやり方、春季捕鯨後に実施されるアプガウティ祭りおよび春季狩猟の準備全般に関する情報を参与観察とインタビューに基づいて収集した。また、日本鯨類研究所において先住民生存捕鯨に関する国際捕鯨委員会関係のデータを収集した。これらのデータをもとに、国際条約・協定や国家政策、環境NGOの活動、石油・天然ガスの資源開発、海運・観光活動、地球の温暖化など環境の変化が、アラスカ州バロー村におけるイヌピアットによる捕鯨活動にどのような影響を及ぼしているかについてアクター・ネットワークの視点から分析した。その結果、きわめて不安定な政治経済および自然環境のもとで先住民生存捕鯨が実施されていることが判明した。
さらに、捕鯨に関する文献のデータベースの作成に着手し、既存の文献のレビューを開始した。暫定的ではあるが、捕鯨の研究に関しては、海事史や捕鯨史を中心に膨大な蓄積があるが、現在の先住民生存捕鯨についてはほとんど研究が行われていないことが判明した。さらに、現在のアラスカの先住民生存捕鯨は、先住民の権利としてというよりも、文化的な必要性と栄養学的な必要性から国家によって承認され、実施されていることが判明した。言い換えれば、アラスカにおける先住民の法的な根拠は、1972年の「海獣類保護法」の例外条項であり、1971年の「アラスカ先住民土地請求処理法」(ANCSA)ではないことが明確になった。