国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

中東およびヨーロッパにおける驚異譚の比較文学的研究(2010-2014)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|基盤研究(B) 代表者 山中由里子

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究が対象とする「驚異譚」とは、ラテン語でmirabilia、アラビア語・ペルシア語でajāʾibと呼ばれる、辺境・異界・太古の怪異な事物や生き物についての言説である。未知の世界の摩訶不思議を語るこのようなエピソードは、東西の歴史書、博物誌・地誌、物語、旅行記・見聞記などに登場するが、これらの多くは古代世界から中世・近世の中東およびヨーロッパに継承され、様々な文化圏で共有されてきた。本研究で明らかにしようとする問題点は、次の三つの主要な軸にまとめることができる。
1.ジャンルの枠組とモチーフの分類:
驚異譚を比較研究することによって、実際にその言説の語り手(あるいは編纂者)によってどのように定義され、位置づけられてきたかを明らかにする。複数の文化圏に共通する主なモチーフや逸話を関連作品から抽出し、「異民族の驚異」、「異境の驚異」、「太古の驚異」といった分類を試みる。
2.知識の伝播と世界観の変遷:
権力の移行、人間の移動、書物・視覚イメージの普及など、知識の伝播や未踏の地の発見を促した歴史的文脈を把握した上で、博物学・人文地理学の発展の流れを明らかにする。さらに、世界地図や挿絵・装飾などの視覚的表象にも注目し、中東とヨーロッパにおける世界観の変遷と相互の影響関係を辿る。
3.宗教・言語・文化的な特異性と超域的な包括性:
上記1. と2. のような比較研究を通して、宗教・言語・文化による相違点を浮かびあがらせる一方、異なる文化圏の驚異譚の根底に共通して流れる想像の力と語りの力を明らかにする。

活動内容

2014年度活動報告

本研究では、「驚異」がもっとも生き生きと語られ、描かれた中世という時代を中心に据えて、その対象である物や現象が何であり、そしてどのように表象されてきたかを、言説だけでなく、視覚的な表象との連関も含めて考察してきた。最終年度は、研究期間中に行ってきた計10回の共同研究会を総括する議論を行い、成果を論文集として刊行する計画をたてた。研究協力者までも含めて総勢21名の執筆者の原稿が全て集まり、名古屋大学出版会からの2015年内の刊行が決定している。
本研究が対象とする「驚異譚」とは、ラテン語でミラビリア、アラビア語・ペルシア語でアジャーイブと呼ばれる、辺境・異界・太古の怪異な事物や生き物についての言説である。この世の摩訶不思議に関する語りは、ヨーロッパと中東の歴史書、博物誌・地誌、物語、旅行記・見聞記などに登場するが、これらの多くは古代世界から中世・近世の一神教世界に継承され、共有されてきたものである。研究成果となる論文集においては、この複雑に絡み合うヨーロッパと中東の精神史の、古代から中世、そして中世から近世にかけての展開を、相対的・大局的に捉え、かつ具体的なテクストや美術品に即して正確に提示することを目指した。各章は、ギリシア語、ラテン語、ヨーロッパ諸言語、アラビア語、ペルシア語、トルコ語などの多岐にわたる一次資料や美術品の緻密な分析に基づいた実証研究であり、それらを比較対照することにより、驚異の在り方について包括的な見通しを得ることができる構成となっている。
また、2014年10月12日-13日には、人間文化研究機構連携研究「驚異と怪異の表象―比較研究の試み」(代表:山中由里子)と本課題を連携させた研究フォーラム「驚異と怪異―想像界の比較研究に向けて」を国立民族学博物館において開催した。「驚異」と「怪異」を対比させるという、新たな比較研究の枠組みを今後の展開として検討した。

2013年度活動報告

国立民族学博物館における共同研究「驚異譚にみる文化交流の諸相-中東・ヨーロッパを中心に-」と連携させ、研究会を2回開き、研究代表者と分担者は本研究課題と各自の専門テーマの関連について発表を行った。一回目の会のテーマは「驚異の蒐集」とし、知識としてだけではなく、「モノ」としての驚異の物質性と、それを集めるという行為について考察した。ヨーロッパでは大航海時代以降、特権階級が世界中から集めた驚異なるモノ(珍しい動物のはく製、奇形の標本、鉱物、民族資料、遺物など)を陳列する「驚異の部屋」(ヴンダーカマーまたはキャビネット・オブ・キュリオシティーズ)を造った。ナポレオンの時代以降は、これらの蒐集物は接収され、自然物は自然史博物館に、人工物は美術館や博物館にと振り分けられ、近代的な博物館コレクションのコアとなった。近世・近代にかけて驚異は手に取ってみることができるモノとなり、次第に飼いならされてゆくという過程が見えてきたと同時に、中世的な文脈においては自然界に関する「総合知」の一部であった驚異は、近代科学の周縁に追いやられてゆくことが明らかになった。
2回目の会では、成果刊行に向けての議論が行われ、『<驚異>の比較文化史』という仮題の論文集の章立てが固まった。一冊の本の構成として、中東とヨーロッパの比較すべき要点は、かなりおさえられたかと考える。しかし、中世的な驚異の黄昏期、つまり近世・近代へのつながりに関しては、中東での展開がヨーロッパの場合ほど明確に見えてこないという課題が残った。出版物においてはその部分を補えるよう、代表がメンバー外の執筆者と交渉した。すでに原稿も集まりつつあり、名古屋大学出版会とともに編集作業を進めている。

2012年度活動報告

国立民族学博物館における共同研究「驚異譚にみる文化交流の諸相-中東・ヨーロッパを中心に-」と連携させ、研究会を3回開き、研究代表者と分担者は本研究課題と各自の専門テーマの関連について発表を行った。また、本研究の分担者以外にも発表を依頼し、活発に議論を行った。
一回目の会では、驚異を媒介する「目撃者」としての旅人のトポスを採りあげた。驚きは「見る」という視覚体験によってまず目撃者に生じ、その目撃の共有が驚異譚であるともいえる。誰かが「見てきた」、すなわちそれは存在したという前提がなければ、読者は驚きを共有できない。作り話とわかっている話は、悲哀や熱情、興奮などの感情を喚起したとしても、日常的にはあり得ない奇異の存在に対する驚きにはつながらない。目撃者が必ずしも実在した人物ではなかったり、あるいは実在した人物の目撃情報とされていてもそれが史実ではありえない場合でも、「誰それが実際に見た」という証言が、驚異譚の信憑性を高める仕掛けとして機能していることがわかった。
二回目は「驚異の視覚化」というテーマを採りあげた。驚異を描いて「見せる」ことは、二次的な目撃者を作り出すという行為に等しい。中世の場合、画家自身が驚異を目撃しているわけではなく、驚異譚のテキストから想像し、自身が知っているもののかたちの誇張や、通常はありえない奇妙なものの組み合わせで視覚的なイメージが創生されていった。
三回目は、「驚異の編纂」をテーマとした。旅行記などに含まれていた驚異の目撃譚がもともとの文脈から抽出され、博物誌や百科事典といった知識の集大成として編纂される過程をヨーロッパと中東の場合で比較した。
今年度から、各会のテーマに関連した事例紹介を発表者以外からもつのっている。研究発表に劣らない事例紹介によって議論がより充実し、歴史的、地域的な大きな展開を把握することができた。

2011年度活動報告

国立民族学博物館における共同研究「驚異譚にみる文化交流の諸相-中東・ヨーロッパを中心に-」と連携させ、研究会を3回開き、研究代表者と分担者は本研究課題と各自の専門テーマの関連について発表を行った。また、本研究の分担者以外にも発表を依頼し、活発に議論を行った。
本年度第一回目の研究会は「驚異としての古代」をテーマとした。昨年度の研究会で採りあげた海や島の驚異譚の場合は、到達が困難である空間的な遠さが、異境の不可思議な現象に対する好奇心をかきたてが、古代遺物や化石はモノとしては比較的身近にあって実際に見ることができても、明確な来歴を不可知にしている時間的な「遠さ」が、それらを驚異的な存在としているのではないかということがわかった。
第二回目の研究会では、驚異と奇跡と魔術の相互関係を比較考察した。驚異譚と奇跡譚を比較してみて明らかになったことはまず、奇跡譚には空中浮遊、水面歩行、病の治癒などといった一定の型があり、叙述の展開が予測可能であるという点において驚異譚とは異なるということである。これはキリスト教とイスラームに共通して言えることである。さらに、神を信じさえすれば、奇跡譚の真否は疑う余地がなくなるが、驚異譚の場合は、その信憑性を担保するため(あるいは責任回避するため)の叙述の仕掛けが必要であるということも明らかになった。
第三回目のテーマは、「驚異としてのアフリカ大陸」とし、中世のアラビア語資料に見られるアフリカ観について発表が行われた。さらに今年度の総括と、来年度以降の検討事項について討議を行った。
中東とヨーロッパの驚異譚に共通するテーマを毎回設定し、具体的なテクストや視覚的イメージの分析と比較を行うことによって、今後の研究を行う上での重要な概念軸――「自然・超自然・神」、「実在性・信憑性・科学的証明」、「語彙論・心理作用」、「収集・分類」など――が浮かび上がってきた。

2010年度活動報告

本年度は2回の研究会を開き、1回目の研究会では先行研究の吟味と「驚異」の定義が試みられ、研究の枠組みと方法が議論された。報告と議論を通して、中東とヨーロッパの双方において驚異に対する関心が高まり、地理書、博物誌、旅行記といった形で驚異譚が集められ、書きとめられたのが12世紀から13世紀にかけてであるという共通認識に至った。また、神の存在と自然界の関係の中に驚異がどのように位置づけられているかという点において、キリスト教とイスラームの間には観念的なズレがあるのではないかという問題が今後解明すべき課題としてあがった。
2回目は、アラブ文学における海をめぐる驚異譚と海洋交易史の関連、「動く島=巨大魚」モチーフの東西伝播、およびアマゾン/女人国伝説の広がりについての報告がなされ、驚異の舞台としての海と島のトポグラフィーについて議論がされた。
山中がドイツ、およびイギリスにおいて、中東およびヨーロッパにおける驚異譚に関わる資料調査ならびに遺跡調査を行った。またエクセター大学において開催された国際シンポジウム「東方におけるアレクサンドロス物語」(7月26日~29日)において「中国の地理書・博物誌におけるイスラム化されたアレクサンドロス伝承」について研究成果発表を行った。シンポジウムには科研の海外協力者となりそうな研究者も多く参加しており、今後の学術交流について意見交換を行った。守川、池上がそれぞれ、ドイツ、イタリアにおいて調査を行った。