ブータンにおける環境保護行政と村落社会の価値体系の再編に関する政治人類学的研究(2011-2013)
目的・内容
現代社会において地球環境保護の理念と技術が普遍的な価値として位置づけられる中、ブータンは経済的な指標でみれば最貧国のひとつながら、君主制の下で伝統文化および自然環境の保護を経済発展に優先させるとし、意識的な政治選択を実施してきた数少ない国である。しかし、近年の急速な民主化への動きは、君主制下での一元的で厳格な森林管理を環境保全成功の秘訣としてきたブータンの属性を大きく変えつつある。本研究では、選挙や分権化をとおした民主化プロセスのなかで、自然保護区に暮らす村落社会の人々の価値体系がいかなる形でゆさぶられ、どのように再編されつつあるのか、その過程を政府や環境NGOを含めた複数のアクターによる日常的で多元的な交渉過程のなかから描き出していく。
活動内容
2012年度実施計画
24年度は、23年度のデータ整理と分析結果をもとに、対象村落を絞ってさらに現地調査を続ける。23年の6月には3年以上の調整期間を経てようやく地方選挙が実施され、群長を中心とする郡議会の刷新が行われた。選挙では経験と学歴・教育という二つの価値が競合する結果となり、教育を重視した村人によって若い世代も多く郡長に選出され、これを契機に地方政治では世代交代がすすんだ。今年度の現地調査では特に、こうした地方政治のアクターと県や国のアクターとが開発や環境保護をめぐっていかなる交渉過程を繰り広げていくのかという点に注目していきたい。
聞き取り調査では、政府官僚や森林監視員への聞き取り調査を継続して新政府の森林政策の方向性を見極めるとともに、郡長および村代表、そして村人へのインタヴューをとおして、環境保護と開発をめぐる価値のポリティクスがどのように変化しつつあるのかについて多元的に考察していきたいと考えている。
特に今回の地方選挙によって新たな郡長が選出されたN村では、道路建設と電力配給のための工事が急ピッチで行われており、将来的な経済発展への希望を口にする村人も多い中、数年前に国立公園の肝いりで開始されたエコ・ツーリズム計画は年数を追うごとに来場者数を減らしている。自然保護のための開発をかかげる森林局の方針が、旅行者や村人のニーズに合わない状況もかいまみえるなか、当該社会は「開発」や「環境」をめぐる新たな価値の体系をいかにして再編し、構築しているのだろうか。今年度の調査では村落の様子に注意深く目をむけながら、これらの点を描き出せるような事例の発見につとめたい。
これらの現地調査や分析をすすめると同時に、分析結果については適宜国内外での研究発表を行うほか、学会誌等への投稿準備もすすめていきたい。環境保護という点からは、ヒマーラヤ地域の環境政策史のなかにブータンを位置づける試みも継続的に実施する予定であり、資料の補足と研究発表を兼ねて短期の渡英を予定している。
2011年度活動報告
23年度はまず6月末に実施された地方統一選挙の視察を実施した。この地方選挙は2008年の新政府樹立直後に実施される予定であったが、地方自治体法や地方選挙法その他の制度設計に関する議論が国会で紛糾したため、実に3年間の延期を経て実施されたものであった。選挙の際には取得が困難とされていた選挙委員会から正式な視察許可を得て、投票会場の内部を観察することができたほか、村人へのインタビューを行い、人々の意識変容をとらえようと試みた。なぜなら、こうした意識変化が環境保護政策に対する村人の対応に重要な変化をもたらすと考えたからである。
また、環境保護政策を導入する主体に関しては、それほど大きな変化はいまのところ起こっていないことが明らかになった。というのも、森林局をはじめ強固な官僚システムが支配する制度は、新政府の下でも変わらずに継続されているためであり、またブータンの環境主義を主導する役割を国王と王家が担うという以前からの暗黙の約束事も、変わらず引き継がれたようであった。しかしながら、政策からみると、共同体に森林の所有と資源活用・木材販売を認めるコミュニティ・フォレストリの政策が積極的に導入されおり、森林国有化策の緩和が進んでいるようである。教育・就業機会の拡大や農業の機械化がすすみ、道路・電気といったインフラ整備が政権のマニフェストとして急ピッチで進められるなか、牧畜民と農耕民の間での米と乳製品の交換や、互酬的な労働交換に依存してきた農村社会でも、現金経済に対するニーズが日増しに高まっている。そうしたなか、森林政策においても、市場経済の影響を引き受けざるを得ない状況が生まれつつあることがみてとれる。
冬期の現地調査では、外国人へ解放された直後の南ブータンの国立公園において調査が可能となった。インド国境に隣接する南部地域の政治的・経済的重要性は明らかであり、ブータン社会の多様性を理解するための有用な調査地の下調査ができたことは大きな成果であった。







