国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

ブータンにおける環境保護行政と村落社会の価値体系の再編に関する政治人類学的研究(2011-2013)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|若手研究(B) 代表者 宮本万里

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究は、高等教育機関に設けられた伝統芸能の教授形態に注目し、伝統芸能が創生されるメカニズムを明らかにすることを目的とする。
現代沖縄の若手芸能実演家たちは、徒弟制の中で芸能を身につけることに加え、高等教育機関でも琉球芸能を修練し、実践的活動を展開している。こうした新しい教授基盤の登場は、従来にはなかった「流派」を越えた美意識とパフォーマンスを身につけた新しい琉球芸能の担い手を創出し、琉球芸能の発展と創造に繋がっている。
そこで、若手芸能実演家からの聞き取り、高等教育機関で目指される〈教授システム〉、行政文書の 分析から高等教育機関で「琉球芸能」が創生される様相、「伝統」と「創造」のはざまで揺れ動く彼らの琉球芸能の継承をめぐる取り組みと実践の再帰的関係を考察する。これらを通して公的な教育機関で伝統芸能を「教育するという行為が及ぼす影響を明らかにする。

活動内容

2013年度活動報告

1)沖縄県立芸術大学の琉球芸能専攻を修了した芸能実践家のライフストーリーから現代沖縄の伝統芸能の継承に関する実践について分析を行った。現在、大学で教授活動に関わる芸能家を対象にインタビュー調査を行い、彼らが歩んできた芸能人生においてどのように芸を学習し、そして継承者としての自覚を身につけてきたかについて具体的な継承の実態を明らかにした。「伝統」と「創造」のはざまで揺れ動く彼らの伝統芸能の継承をめぐる取り組みと実践の再帰的関係を考察した。その結果、彼らの「二重的な教授の経験」、つまり従来の修練の場である「研究所」に加え、高等教育機関において芸能の修練は、「沖縄らしさ(okinawaness)」をいかに表現するかという問いに向き合うきっかけとなっていた。また、このような経験は、沖縄人としてのアイデンティティを最高する機会ともなっており、県内外での創作舞台を創り上げる過程でその様相が顕著に現れていた。
2)琉球芸能を学ぶことを目的に沖縄県立芸術大学に在籍する留学生(日系人)へのインタビューを通して、沖縄県内の三線・舞踊「研究所」と移民先の沖縄県人会を中心とする稽古場との関係性について明らかにした。特に、母県の「研究所」と南米(ペルー)の稽古場は、教育形態や継承内容が異なるだけでなく、移民先の稽古場では、母県の「研究所」あるいは沖縄県立芸術大学で芸能を修練することが芸道を極める上で必要条件の一つであると認識されていた。

2012年度活動報告

1)沖芸の琉球芸能専攻を在学または修了した若手芸能実践家のライフストーリーから現代沖縄の伝統芸能の継承に関する実態の分析を行った。その際、沖芸の琉球芸能専攻を修了した若手芸能実践家のライフストーリーから学習者が「継承の主体」となっていく様子に着目した。本研究のキーインフォーマントの協力を得て、「研究所」での活動、「研究所」の師匠を交えてのインタビューを行うことができ、彼らが歩んできた芸能人生においてどのように芸を学習し、そして継承者としての自覚を身につけてきたかについて具体的な継承の実態を明らかにした。
2)「研究所」と高等教育機関は、教育形態や継承内容が異なるものの、沖芸に在学または修了した若 手芸能実演家らはこの双方の場において芸を磨いた経験を持っている。1)で明らかになったことを踏まえ、それぞれの場における教授の特徴を明らかにし、公的な教育機関で伝統芸能を「教育する」という行為が及ぼす影響について検討した。その成果は、2013年1月の国立歴史民俗博物館で開催された共同研究会で発表した。
3)「伝統」と「創造」のはざまで揺れ動く彼らの伝統芸能の継承をめぐる取り組みと実践の再帰的関係を考察した。その結果、彼らの「二重的な教授の経験」、つまり、従来の修練の場である「研究所」に加え、高等教育機関において芸能を修練は「沖縄らしさ(Okinawaness)」をいかに表現するかという問いに向き合う切っ掛けとなっていた。また、このような経験は、沖縄人としてのアイデンティティを再考する機会ともなっており、芸能を「創造」することにも繋がっていた。

2011年度活動報告

23年度はまず6月末に実施された地方統一選挙の視察を実施した。この地方選挙は2008年の新政府樹立直後に実施される予定であったが、地方自治体法や地方選挙法その他の制度設計に関する議論が国会で紛糾したため、実に3年間の延期を経て実施されたものであった。選挙の際には取得が困難とされていた選挙委員会から正式な視察許可を得て、投票会場の内部を観察することができたほか、村人へのインタビューを行い、人々の意識変容をとらえようと試みた。なぜなら、こうした意識変化が環境保護政策に対する村人の対応に重要な変化をもたらすと考えたからである。
また、環境保護政策を導入する主体に関しては、それほど大きな変化はいまのところ起こっていないことが明らかになった。というのも、森林局をはじめ強固な官僚システムが支配する制度は、新政府の下でも変わらずに継続されているためであり、またブータンの環境主義を主導する役割を国王と王家が担うという以前からの暗黙の約束事も、変わらず引き継がれたようであった。しかしながら、政策からみると、共同体に森林の所有と資源活用・木材販売を認めるコミュニティ・フォレストリの政策が積極的に導入されおり、森林国有化策の緩和が進んでいるようである。教育・就業機会の拡大や農業の機械化がすすみ、道路・電気といったインフラ整備が政権のマニフェストとして急ピッチで進められるなか、牧畜民と農耕民の間での米と乳製品の交換や、互酬的な労働交換に依存してきた農村社会でも、現金経済に対するニーズが日増しに高まっている。そうしたなか、森林政策においても、市場経済の影響を引き受けざるを得ない状況が生まれつつあることがみてとれる。
冬期の現地調査では、外国人へ解放された直後の南ブータンの国立公園において調査が可能となった。インド国境に隣接する南部地域の政治的・経済的重要性は明らかであり、ブータン社会の多様性を理解するための有用な調査地の下調査ができたことは大きな成果であった。