国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

国立民族学博物館研究報告

国立民族学博物館研究報告 2017 41巻3号

2017年3月21日刊行

バックナンバー

目次

 

41巻2号 All 41巻4号

概要

論文

 

 

モノを通じた信仰
―インド・メーワール地方の神霊信仰における身体感応的な宗教実践とその変容―
三尾稔

 インド西部の都市ウダイプルでは,かつての支配者であるラージプートの貴族が不遇の死を遂げた後に霊となった存在サガスジーを神として崇拝する信仰が近年人気となっている。この信仰においては,聖典やそれに関する言説は重視されず,神霊の像としての現れに働きかけ,五感を通じて神格と交流するという実践こそが最重要とされる。神像は「ラージプートらしさ」を信者たちが意思を働かせあう形でこの世に具現させたものだが,像を現出させる究極的な行為主体はサガスジー本体であることが強調され,人間の意思の主体性は否定されるところにこの信仰の特性があった。しかし,中間層の信者が中心となるある社では,神像の現れに関わる信者側の個性や主体性が強調される傾向がある。この傾向はサイバー空間に現れたサガスジーにおいては一層顕著となっている。
 本論文は図像優位的な神霊信仰に関わる宗教実践の特性を,神像と人,人と人の社会関係を総体的に捉える視点から解明し,その特性の変化の要因を現代インドの社会変化と関連づけて考察する。

1 序論
2 ウダイプルにおけるサガスジー信仰
3 サルヴ・リットゥー・ヴィラスのサガスジー
  3.1 「サガスジーの王」
  3.2 憑依を中心とした宗教実践の衰退
  3.3 神霊をめぐる宗教実践の「ジェントル」化
4 サルヴ・リットゥー・ヴィラスのサガスジーをめぐる身体感応的信仰の変容
  4.1 オフライン―アンギーという競争のアリーナ
  4.2 オンライン―施主の個性の発露
5 結論

* 国立民族学博物館先端人類科学研究部

キーワード:身体感応,宗教実践,図像のエージェンシー,ジェントル化,サイバー空間

研究ノート

 

 

資本主義批判としてのアート
―オアハカ州のASAROを事例として―
山越英嗣

 本稿は,オアハカのストリートアーティスト集団ASARO(Asamblea de Artistas Revolucionarios de Oaxaca,オアハカ革命芸術家集会)による創作活動が,西洋の美術市場による一方的な影響力のもとに存在しているわけではなく,ローカルな文脈において,そこには回収されないような人々とアートの関係性を生み出していることを論じる。
 オアハカで2006年に生じた州政府への抗議運動には多数のストリートアーティストが参加し,政治的メッセージを発信した。当時,オアハカの町に描かれたASAROのストリートアートは,現地の人々によって受容されただけでなく,メディアを通じて世界中へと拡散していった。やがて,美術市場が彼らに注目し,アート・ワールドにおいてある程度の知名度を獲得すると,さまざまなアクターによる干渉が行われるようになっていった。ASAROは資本主義とアートの関係性を批判し,それを村落の若者たちに伝えていくことを新たな目標として活動を行い,彼らを搾取する資本主義へ対抗するための共同体としてのプエブロを創造する。本稿は,ここに西洋による一方的価値づけを超えた,ローカルな物語性を見出す。

はじめに
1 オアハカ抗議運動とストリートアーティスト
2 民衆のためのアート
3 抗議運動中のASAROのアート
4 抗議運動以降の社会
  4.1 抗議運動の「神話化」
  4.2 革命のアーティスト
5 州政府の変化
6 ASARO の変化
  6.1 作品の変化
  6.2 個人主義の芽生え―「民衆のアート」の後景化
7 アートによる資本主義批判とプエブロの創造
  7.1 資本主義に抗するアート
  7.2 想像の共同体としてのプエブロ
おわりに

* 早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員

キーワード:アートと人類学,オアハカ,ストリートアート,ASARO,先住民

資料

 

 

「子どもを社会全体で育てること」の意味の再検討
―20世紀日本の二つの村の比較から―
谷口陽子

 近年,少子化と子育てが持つ意味が変化する中で,「子どもを社会全体で育てる」というコンセプトが日本において再び注目されている。本論は,子どもを育てることの意味と行為が村落社会でどのように表現されていたのかについて,漁村ナダラ浦(仮称)と山村スギバヤシ村(仮称)をとりあげ,先行研究のデータを参照し検討する。著者が現地調査を進めている前者,漁村ナダラ浦に関する最近の変化についても言及し,20世紀以降の日本において「社会で子どもを育てること」の意味と実践について比較検討を進めるための基礎資料を提示する。

1 Introduction
2 “Childcare” Embedded in Village Society: A Review of Earlier Research
 2.1 The Family as the Locus for Rearing a Child
 2.2 Japanese Child Rearing through the Eyes of a Foreigner
 2.3 Family as the Basic Location for Learning to Become a “Full-Fledged Adult”
3 Child Rearing in Families and Village Societies: Case Studies from Mountain and Fishing Villages
 3.1 Disciplining Children in Okayama Mountain Village, Sugibayashi-mura in the 1950s
 3.2 Discipline of Children in Yamaguchi Prefecture Fishing Village, Nadara-ura, through the 1950s and 1960s
4 Conclusions

* Senshu University

キーワード:子育て,「一人前」の観念,家族,村落,20世紀日本

 

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