国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

チュネル・ミハイロヴィチ・タクサミさん
Chuner Mikhailovich Taksami

紹介者:佐々木史郎(研究戦略センター教授)
出身民族=ニヴヒ研究から広がる視野

タクサミさんは1931年、旧ソ連ハバロフスク地方ニコラエフスク地区のカリマ村生まれました。ニヴヒ民族の出身です。カリマ村はアムール川でも最も下流 の地域にある村のひとつで、漁業資源に恵まれた風光明媚なところです。1809年に密かにアムール川を探検した間宮林蔵の口述著作『東韃地方紀行』にも、 「カルメー」という名前で登場する古い村でもあります。

ロシア極東地方の少数民族

ニヴヒはロシア極東地方の少数民族あるいは先住民族と呼ばれる民族のひとつに数えられていて、人口は4631人(1989年の国勢調査による)、アムール 川の最も下流の地域とサハリンに居住しています。彼らの固有の言語であるニヴヒ語は周囲に近い関係の言語がない、孤立した言語です。ニヴヒの人々はサケ、 マスを中心とした漁撈、クマ、シカ、クロテンなどを捕る狩猟、アザラシなどを捕る海獣猟、ベリー類や木の実を集める採集、そして、周囲の人々との交易や交 換で生計をたててきました。中には松花江の三姓という町(現在の黒龍江省依蘭市)まで行って中国人と交易する人、サハリン南端にあった日本の交易所で日本 人と交易する人もいました。ソ連時代には彼らの生業活動、特に漁業が集団化され、コルホースやソフホースに組織されました。また、学校や病院がある近代的 な村が建設され、電気や電話なども徐々に普及していきました。しかし、ソ連崩壊後は経済の破綻と石油・天然ガスの開発による環境汚染のために、彼らが経営 する漁業企業も不振で、生活は非常に苦しくなっています。タクサミさんが生まれ育ったカリマ村も過疎が進み、小学校が火災に遭うなど、かなり荒廃してきて います。

ロシア民族学の変質

そのようなニヴヒたちの中から、帝政時代以来の名門レニングラード大学(現サンクト・ペテルブルク大学)に入学する秀才が現れました。それがタクサミさん です。彼は1955年に同大学歴史学部を卒業後、民族学の研究を志して当時のソ連科学アカデミー民族学研究所レニングラード支部に併設されていた大学院に 進みます。研究所での仕事のかたわら研鑽を積み、1958年には大学院を修了し、研究所の正研究員となります。そして、上級研究員(1967年)からシベ リア部長(1977年)と昇進し、1978年には旧ソ連の人文科学の分野では最も権威のある歴史学博士の学位を取得します。ソ連崩壊後、この研究所はモス クワにあった本部から独立し、併設されていた博物館の名称を採用して「人類学民族学博物館」と名前を変えますが、タクサミさんはその副館長(1997年) となり、翌年には館長に就任します。2001年に規定により館長職を退き、後進に道を譲りましたが、博物館には在籍しており、シベリア部長としてまだ現役 で活躍中です。
 タクサミさんの研究には、自身の出身民族であるニヴヒに関する民族誌とその歴史、ニヴヒも含むロシア極東地方の少数民族、先住民族に関する比較民族学、 そしてシャマニズムの比較研究という3つの柱があります。彼の業績は自分の出身民族の文化を語る、あるいは民族誌を記述するというのに留まらず、広い視野 を持った比較文化研究やエスニシティの研究などに広がっています。従来研究対象とされてきた人々自らが民族学者となる場合には、出身民族の文化の研究に留 まるケースが多かったのですが、タクサミさんの場合にはそれを脱皮して本格的な民族学者となりました。それはソ連、ロシアの民族学が変質していったことの 表れともいえるでしょう。とりわけ、彼がソ連・ロシア民族学を体現していた人類学民族学博物館の館長になったということは、そのことを象徴的に表しています。

ニヴヒ文化の復興にも尽力

現在タクサミ氏は、低迷するロシア経済と開発優先の政策によって荒廃しつつある極東の先住民族たちの生活改善と、固有文化や固有言語の復興にも尽力してい ます。日本では本館の外国人研究員として、日本国内に所蔵されているニヴヒ関係の標本資料、映像資料などの所在調査に従事していますが、それがニヴヒ文化 の復興のためでもあることはいうまでもありません。また、彼の研究はそれだけでなく、日本における北方文化研究の発展に大いに寄与するものともなるでしょ う。

チュネル・ミハイロヴィチ・タクサミ
  • チュネル・ミハイロヴィチ・タクサミ
    Chuner Mikhailovich Taksami
  • 1931年生まれ。
  • ロシア科学アカデミー人類学民族学博物館シベリア部長。
  • 2002年7月から2003年4月まで国立民族学博物館客員部門教授。
  • 研究テーマは、「日本国内の博物館に所蔵されているサハリンとアムール下流域の先住諸民族の標本資料に関する調査と研究」。
『民博通信』第99号(p.28)より転載