国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

ブライアン・モーランさん
Brian Moeran

紹介者:中牧弘允(民族文化研究部教授))
さすらうジャパン・アンソロポロジスト

ブライアン・モーランさんは身長2メートル近い大男である。民博に長期滞在したヨーロッパのジャパン・アンソロポロジストでは故ヤン・ファン・ブレーメン(ライデン大学)やクリストフ・ブルマン(ケルン大学)の両氏も長身だったが、それを上まわるほどだ。そして学問のスケールもおおきい。

そもそも日本にはシベリア鉄道経由でやってきた。1967 年のことである。ナホトカから船で横浜に到着し、おりしも台風にみまわれたというから、波乱万丈の幕開けだったのかもしれない。ギリシャでめぐりあった若き日本女性が妻として寄り添っていた。

新婚生活は神戸でスタートした。モーランさんは芦屋で英語教師をするかたわら、笑福亭仁鶴と組んで漫才英語を演じていたという。関西ではイーデス・ハンソンさんが外人タレントのはしりとして活躍していた頃である。テレビでもバラエティ番組の「ヤングおう! おう!」で仁鶴、桂三枝と一緒に出演したこともあり、芸名はなかったが「もういらん」などと冷やかされていたそうだ。ただでさえ目立つうえ、街でもテレビで見たと言い寄られるようになり、これではまずいと判断し、本格的に日本語や日本文化を勉強しようとロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)に入学する決心をした。

SOAS では日本研究に打ちこみ、とりわけ陶芸家のバーナード・リーチに関心を寄せた。リーチが窯をかまえていたイギリスの寒村にも出向き、日本の陶芸の村でのフィールドワークをめざしてリサーチ・プロポーザルをまとめた。来日し、ロンドン大学と縁が深い中根千枝東大教授と会い、調査計画を説明したところ、「You may proceed to the field」という威厳ある言辞とともに「調査許可」がおりたという。

向かった先のフィールドは小鹿田(おんた)焼で知られる大分県の陶芸の村だった。民芸の影響を受けた陶工たちがまだ健在で、2年ほどの住み込み調査をおこない、博士論文をまとめた。のちにLost Innocence: folk craft potters of Onta, Japan. California University Press, 1984/Folk Art Potters of Japan: beyond an anthropology of aesthetics. Curzon Press, 1997 として出版されている。小鹿田については"One over the Seven: Sake Drinking in a Japanese Pottery Community"という洒脱なエッセイがある。酒は7合まではいいが、それ以上は危ないという意味である。「ビールは8パイントまで」という慣用表現をもじったものだ。日本では無礼講なら何でも許され、あとに尾を引かないというタテマエ論があるけれど、陶工たちの宴会ではきちんと後々までおぼえている。そればかりか、村内政治の手段としてつかわれている、と参与観察の結果を分析している。

モーランさんはイギリス帰国後、1986 年からSOAS の日本学科で教授をつとめ、1992 年に香港大学日本研究学科に転じ、さらに1998年からはコペンハーゲン・ビジネス・スクールで教鞭をとってきた。この間、日本や東南アジアで精力的にフィールドワークもおこない、テレビ・コマーシャルや女性雑誌へと関心を広げていった。そのきっかけは、日本で息子が半年入院していた時、付き添いながらテレビばかり見ていて、C Mでつくられるイメージに興味をもったことにある。

しかし、C Mで重要なのはマーケティング戦略だと目星をつけ、1年間、大手広告代理店で働きながら調査に取り組んだ。その成果はA Japanese Advertising Agency: an anthropology of media and markets. Curzon/University of Hawaii Press, 1996 として公刊されている。ビジネスをあつかった近著にはThe Business of Ethnography: strategic exchanges, people and organizations, Berg, 2005 もある。

目下、民博で寸暇を惜しんで打ちこんでいる研究は香りや嗅覚の日本文化である。これも香水の広告が女性ファッション雑誌にたくさん載っていたからだという。陶芸、広告、女性雑誌、香りとつづく知的興味の変遷はどうやら彼の美的趣向とつながっているようだ。しかし、それには連続性はあっても、かならずしも首尾一貫しているわけではない。むしろ一カ所に留まる一所懸命、あるいはこの道一筋というライフスタイルの対極をなすものでもある。イギリス、ギリシャ、日本、香港、デンマークと舞台を変えてくりひろげてきた「流転の人生」も、そうかんがえると納得がいく。何はともあれ、さすらうジャパン・アンソロポロジストの香気漂う職人芸に期待しよう。

ブライアン・モーラン
  • ブライアン・モーラン
  • Brian Moeran
  • 1944 年生まれ。コペンハーゲン・ビジネス・スクール教授。
  • 2005 年2月から2006 年1月まで国立民族学博物館外国人研究員(客員)教授。
  • 研究テーマは、広告のイメージ―企業的、文化的、精神的価値。
『民博通信』第110号(p.28)より転載