国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

サンジャースレン・バヤラーさん
Bayaraa Sanjaasuren

紹介者:小長谷有紀(研究戦略センター教授)
未来に資するために「過去」をつくる──社会主義をめぐる人類学的歴史研究

モンゴル人の名前は社会主義時代に、父の名を姓とするように定められた。社会主義の終焉を迎えて、旧来の氏族につながる姓を探すという運動が全国的にさかんになったものの、現在でも一般には父の名を姓と定めた20 世紀の慣用が生きている。

サンジャースレン・バヤラーさんの場合、サンジャースレンは父の名であり、バヤラーが本人の名である。父は社会主義時代、教育副大臣を務めた。一方、母ドルジパラムは医師で、医学生時代にモンゴル映画「目覚め」(1957年公開)でロシア人医師役を務めた。

モンゴルは1924 年、ソ連についで世界で2番目の社会主義国として社会主義の建設に邁進した。あらゆる部門において、優秀な人材はモスクワをめざして留学し、ソ連各地で養成された。あらゆる部門において、ソ連をはじめとする社会主義諸国から教育者がやってきて指導にあたった。映画「セレルト」は、はるばる異郷の地にやってきてモンゴル医療の近代化に尽くしたロシア人医師の活躍を描いたものである。バヤラーさんの母親がモンゴル映画のなかでロシア人医師の役をこなすことができるのは、彼女がロシア人の風貌をもっていたからであり、その風貌は彼女の父に由来する。

バヤラーさんの母方の祖父は、アンドレイ・ドミトリヴィッチ・シムコフという。西夏時代の黒城遺跡の発掘で有名なロシア人考古学者コズロフとともに中央アジア・モンゴルを訪問し、その後、モンゴルでモンゴル研究に従事した地理学者である。1930 年代には全国各地、とりわけハンガイとよばれる森林ステップ地帯やゴビ地帯を詳細に調査し、その自然資源を明らかにするとともに、県境や県庁所在地の確定などにも携わった。社会主義的集団化以前の遊牧に関する実態調査としてはほぼ唯一といってよいほど貴重な学術成果を残した点も注目される。

このように、祖父シムコフは、20 世紀のモンゴルにおける科学の発展の礎を築いた立役者であったが、スターリンによる粛清の犠牲となった。1938 年にモンゴル国内でNKVD(KGBの前身)によって逮捕され、1942 年4 月15日の日付で死亡したとされる。やがてペレストロイカの波を受けて民主化したモンゴル国では1990 年、その略伝が出版されるなど再評価もおこなわれるようになった。とはいえ、人びとが市場経済化への移行に忙殺されている現在、社会主義を検証する作業はいまだ不十分であるといわざるをえない。

バヤラーさんはこの、社会主義に関する歴史的検証という研究上の空白を埋めるためにみんぱくにやってきた。まずは、祖父の業績の整理を通じて、モンゴル国における科学の創成期に光をあてることになる。つづいて社会主義のもとでの科学部門の発展を跡づけることになるだろう。

抑圧の大きかった社会主義時代を正しく復元するためには、公式見解の示された公式文書を深読みするだけではなく、公式文書から除外されてきた情報も積極的に収集しなければなるまい。オーラルヒストリーを用いる方法論を用いつつ、社会主義化を一種の植民地化とみたてたうえで、ポストコロニアル理論と整合させて整理できるだろうともくろんでいる。

つい昨日まで誰もが知っていると思われていた社会主義時代は、世界中で急速に風化しつつある。モンゴルの場合はとくに、歴史の改竄と呼ぶに値するほど意図的な忘却作業が進んでいる。例えば、レーニン廟に相当する施設は2005 年に解体され、代わってチンギス・ハーンの像が建設されつつある。たとえ過去がいかに不運や不幸の連続であったとしても、それを抹殺することは無知になることに等しい。20世紀の壮大な実験であった社会主義という「過去」を明らかにすることによって、人類の未来に資したいと彼は願っているのである。

バヤラーさんは本国ではゾリグ基金の事務局長をしている。この基金は1998 年10 月2 日に暗殺された彼の実弟で政治家であったゾリグ(モンゴル語で勇気という意味)の名を冠したNGOであり、民主化に関する各種資料の翻訳提供や、政策監視・アドボカシー(政策提言・社会提言)活動による社会的弱者支援のほか、UNESCO などの国際機関の援助プログラムを実施している。

サンジャースレン・バヤラー
  • サンジャースレン・バヤラー
  • Bayaraa Sanjaasuren
  • 1959 年生まれ。
  • 2005 年10 月から2006 年10 月まで国立民族学博物館外国人研究員(客員)教授。研究テーマは、モンゴル社会主義化過程における科学研究の発展史。
『民博通信』第113号(p.28)より転載