国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

館長だより

館長だより
2013年06月30日

台湾の博物館訪問(2)―平埔族展

 特別展「平埔を見つめる:台湾平埔族の歴史と文化」が4階で開催されている。台湾の西部一帯の平原に住み17世紀ころから漢人と接触・同化した台湾原住民諸族は漢人から「平埔族」(平坦地に住む人)と呼ばれてきた。この特別展は、「平埔族」とは誰のことか?という問題設定から、そのルーツ(出自)とルート(文化変容)の過程を明らかにしている。古地図や歴史資料、写真、生活用具・衣服・装飾品などの民族資料がその歴史を裏付けてくれる。この特別展は本館と共同主催、天理大学附属天理参考館との共同開催。本館からは数十点の資料を里帰りさせており、9月から国際巡回展として本館で展示されることになっている。私は今年3月にオープンしたこの平埔族展の開会式に招待されたが出席できず、今回の訪問となった。26日の夕方、博物館員等40名を相手に「みんぱくの現状と将来展望」の話をした。


      平埔族展の入り口          講演会のようす
 
特別展の図録には下記のような私のあいさつ文が掲載されている。

 

特別展「平埔を見つめる:台湾平埔族の歴史と文化」の開催、まことにおめでとうございます。
国立台湾歴史博物館は12年の用意周到な準備期間を経て、台湾歴史の多層でダイナミックな実相を明らかにすることを目的に昨年10月にオープンしました。博物館が建つ台南は「南部大員」や「台江内海」と呼ばれ、400年前から海外貿易や異文化交流の拠点でした。近代台湾の揺籃の地に歴史博物館が創設されましたことは、台湾の過去と現在をつなぎ、そして未来を見とおすうえでも快挙といえます。
台湾の原住民族は、西欧や清国などとの文化接触により、キリスト教や漢族文化の強い影響を受けました。とりわけ平地の民族は、17世紀に進出してきた漢民族から「平埔族」と呼ばれました。日本統治時代(1895年~1945年)には、歴史家の伊能嘉矩や人類学者の馬淵東一、言語学者の小川尚義といった研究者が原住民族の分類に関心をもち、台湾西部の平野地帯に住んでいた平埔族として、タオカス、パゼッヘ、パポラ、バブザ、ホアニァ、サオ、シラヤの名前をあげています。
これらの民族は、漢民族に圧迫され、あるいは長いあいだ生活圏を共有し、漢文化をとりいれてきました。その結果、固有の言葉や文化を失ったものから、自らの言葉と伝統を維持したものまでさまざまな文化接触を経験しています。民族学者の移川子之蔵は、バブザ族は言語を消滅させたのに対し、パゼッヘ族は「結縄暦」の習慣や種々の儀礼を残していると、1920年代の平埔族について述べています。
現在、原住民族の人びとにとって、伝統的な物質文化や芸能などがご自身や「民族」のアイデンティティのよりどころとして見直されていると聞いています。その意味でも、台湾の歴史における平埔族の人びとのルーツ(出自)と文化のルート(歴史変容)を問いかける今回の特別展は、現在台湾の社会と文化を考えるうえでタイムリーな企画といえます。
国立民族学博物館(民博)は、日本統治時代を中心に民族学・人類学者が収集した台湾民族資料を5千6百点所蔵しています。そのうち平埔族の資料は80点余です。今回の特別展にはその中から、服飾、酒器、喫煙具、彫刻や祭祀用具などがお里帰りし、平埔族の人びとの20世紀初頭の生活の姿を伝えています。平埔族の人びとがつくり、100年前の日々の生活で使っていたこれらの資料が、皆さまの誇りとなり、台湾の原住民族の人びとの豊かな文化を見つめる機会になることを願っています。
民博は今後とも台湾の博物館や大学などで行われる原住民族についての研究や展示に民族資料をお貸しするなどお役にたちたく思います。そして、この特別展が日本と台湾のさらなる友好を深めますことを祈念いたします。

2013年06月30日 16:15 | 国際学術協定ほか