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みんぱく世界の旅

博物館の怪物たち(3) 『毎日小学生新聞』掲載 2017年1月28日刊行
山中由里子(国立民族学博物館准教授)
日本産人魚のミイラ

人魚の見世物の広告。日本産の人魚はロンドン、パリなどの都市で興行した後、アメリカに渡りました。

前回、七つ頭の怪物「ヒュドラ―」のはく製が生物学者のリンネによってニセモノであるとあばかれたことについて書きましたが、これはヨーロッパでの近代科学の成立をよく表す事件でした。

それまでは、「驚異の部屋」に集められた珍しい動植物の標本の中にはヒュドラ―のような、はく製も含まれていましたが、18世紀後半ごろからは、明らかにニセモノ(自然には存在しない作り物)とされるものの収集は行われなくなります。

リンネの『自然の体系』の第6版(1748年)からは、人魚、竜などを含んだ「パラドクサ」(自然の分類体系に当てはまらない変な動物)の項目も無くなります。

それでも、「怪物を見てみたい」「集めてみたい」という人々の好奇心はそう簡単に消えませんでした。19世紀半ばにはヨーロッパとアメリカで、人魚のミイラが注目を集めます。それは、幕末に長崎の出島にいたオランダ人が日本から持ちだしたものでした。

日本では江戸時代後期に見せ物の出し物として「人魚」の干物が出回っていました。人魚を見ると厄よけになるという言い伝えがあり、多くの人はそれを本物の人魚と信じ、珍しくありがたいものとして見物しました。実際にはサルの上半身と魚の尾をつなげた作り物だったのです。あまりに見事にできているので、オランダ商人たちは作り物と分かっていながら買い集めました。

同じ頃に収集された竜や鬼のミイラとともに、人魚のミイラはオランダ・ライデンの国立民族学博物館に今でも残っています。

 

一口メモ

驚異の部屋とは、最初は特権階級の珍品コレクションでしたが17世紀末ごろから公共の「博物館」へと次第に変わっていきました。

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