国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―命名法の不思議

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岸上 それから、もうひとつ親族研究をしていて思ったのは、イヌイット社会では名前が非常に重要であるということです。こどもが生まれてきたら、名前を五つも六つもつけるんです。それで親族名称を調査していると、小さな赤子を抱いて「おじいちゃん、おじいちゃん」とあやしているんです。で、ある人がきたら「あ、私のおじさんがいる」というわけですよ。みたら、ぜんぜん赤ん坊ですよね。ありえることじゃない。聞いてみたら、おじいさんの名前を受け継いでるというんです。で、同じ名前をもっている人は社会的に同じ人間とみなされますので、みんなは親族関係をかえて「おじいさん」と呼ぶ社会だったんですね。
それでひとつおもしろい発見があったのは、社会が変わっても、名前は受け継がれていくんですよ。だから同じ名前のセットが20年前、30年前、現在と残りつづけている。社会はどんどん変わってるんだけれども、イヌイットは名前を通じて同じ社会のセットを再生産しつづけているんです。そういうこととか、比較的、持続の面というのもみえはじめてきて、ある時期は親族研究をやってましたけれども、むしろ名前とか、擬制親族のほうに重点を置いてました。

─ 名前には、意味はあるんですか?
岸上 あるのとないのとあります。たとえば事件の名前とか、コップのようなものでもいいんです。地名であるとか、動物の名前であるとか。でも、日本人みたいにある意味を込めて名前をつけることはないです。

─ そうすると、新しい名前をどんどんつけるということじゃなくて、名前はセットになっていて、そのなかから選ばれて、それがずっと続いていくということですか。
岸上 でも、新しい名前も増えているんです。

─ クリスチャンネームもありますか?
岸上 クリスチャンネームもそうですけど、たとえばこんなのもあります。ぼくの下宿先のおじさんのひとりがアドミ・アナウタクというんです。アドミはクリスチャンネームで、ファーストネームになっていて、アナウタクは日本語でいうと「殴る」という意味で、ファミリーネームになってるんですけどね。彼の本当の名前はアラクというんです。これがイヌイット前で、彼のメインの名前になるんですが、役場の戸籍上はイヌイット名はでてこないんです。

─ どうしてそうなるんですか。
岸上 政府の人が、クリスチャンネームや英名をつけなさいという。で、このファミリーネームは、この人のお父さんの名前なんです。当時まだ家族名称というか、家系を示すような名前がなかった。そこで何がおこったかというと、この人の世代に、お父さんの名前を家族名にするということがおこりまして、ファミリーネームがつくられたんですね。英語名とプラス家族名ということだったんですが、これ以外に名前が五つも六つもあるんですよ。しかも名前は無性ですから、女性からも名前をもらう。そうしたら、ある人は名前を通しておじいちゃんであり、おばあちゃんであったり、おばさんだったりするんですよ。こういう非常におもしろい現象がありまして、それは今でも続いています。

─ そういう部分というのは変わっていない。最初におっしゃってたように、親族関係とか親族のつきあいは意外と維持されているということですか?
岸上 今は機械化が進んだので、狩猟漁労にひとりで行けるんですよ。二人いれば船も操れるし、スノーモービルであればひとりでも行けますよね。そうするとやっぱり共同作業が少なくなったわけです。キャンプ生活にしても、昔は親族集団がひとつのキャンプだったものが、今は村にいっぱい人がいますよね。学校時代の友達とか、いとことかがいますでしょう。だから自分の好きな友達を選べるんです。一緒に猟に行くとかね。もともとは親族中心だったものが、今は、親族も大事だけれども、一緒の年齢であるとか、一緒に学校へ行ったとか、一緒に仕事をしたとか、もしくは遠い親戚であるとか、そういう人たちがまわりにいるんで、やっぱり人間関係は徐々に変わりつつあるんです。
簡単にいうと、個人化と核家族化が進んでいる。これがもっとも大きいですね。その一方で、食物分配とか相互扶助の単位として、拡大家族というか、祖父母とその子どもたちを拡大した関係が今でも機能しているんですね。

─ ひとりでも猟に行けるようになったとき、人口の移動とかはどうなんですか。ぜんぜん違うところにいって住むということはなくて、やっぱりある一定の範囲に住んでるんですか。
岸上 今、イヌイットの人たちは、東西一キロ、南北数百メートルの村に定住化しています。そこを中心にして狩猟漁労に行くという形ですね。1960年代以降そうなっています。ぼくの今の調査地は70年代の終わりに再移住で作られた村なんで、できたのは新しいんですけど、やはり全員が数百メートル四方の中に住んでいます。



─ それは、そこにいたら保護が受けられるということですか?
岸上 それはないです。子どもが学校へ行ってるとか、母親が仕事に行ってるとか、家が暖房完備であるとか、病院があるとか、教会があるとか、いろんな社会・経済的な要因で村に住んでいます。猟にも昔ならイヌぞりで二日も三日もかかっていたものが、、今は技術革新が進んでスノーモービルで飛ばせば半日で行けて、その日のうちに帰ってこられるんです。それで村に住みながら狩猟はつづけていけるということなんです。



【目次】
海洋民族学への夢祖母の貯金をかてにカナダ留学いよいよイヌイットの村へイヌイットとブリジッド・バルドーの関係命名法の不思議都会のイヌイットイヌイット放送キリスト教徒としてのイヌイット生じている社会問題イヌイット・アート先住民の住み分けとヨーロッパ人との接触「ラッコとガラス玉」展―先住民の交易活動イヌイットのわれわれ意識多様化する生活