国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

三尾 稔 『オックスフォード雑記帳』

研究スタッフ便り『オックスフォード雑記帳』
 
カレッジというところ
オックスフォードには「大学のキャンパス」というのはどこにもなく、全部で39あるカレッジ、それに専攻ごとの研究所や図書館の敷地と建物が街に散らばっている。これらの集合体が「オックスフォード大学」なのである。入学生の選抜は大学全体で行うが、カレッジは財政的にも教育の面でも独立性が高い。最古のカレッジ(老舗の「本家」「本舗」の争いのように、うちこそ「最古」というカレッジが3つある)は13世紀中頃にまで歴史をさかのぼる。設立の経緯、輩出した卒業生たちの営為などがあいまって、それぞれのカレッジに独特の気風がある。May Morningのように伝統的な風習は大事に守り伝えられているし、5月末に街のはずれのテムズ川(地理的にはオックスフォードはロンドンの上流という位置関係にある)で行われるカレッジ対抗のボートレースなど「カレッジ愛」を育む仕掛けもふんだんに設けられている。一方、研究所やカレッジは、「何とか財団記念講義」とか「誰々教授記念講演」、「○○研究連続セミナー」といった企画を山ほど実施する。こういう講義やセミナーはオックスフォードの教員や学生に広く開かれ、カレッジをこえた交流の場になっている。
写真1 写真2
カレッジ対抗ボートレース。5月末の1週間、テムズ川で繰り広げられる。 Wolfson College正面入り口。街の中心まで少し距離があるので、ミニバスのサービスがある。
写真3
 
Christ Church Collegeのチャペルに残る14世紀のステンド・グラス。カンタベリー大司教トーマス・ベケットの殉教のシーンが描かれていることからBecket Windowと呼ばれる。
写真4
 
伝統的なカレッジの食堂ホール。Magdalen College。奥にHigh Tableが見える。
学生は必ずどこかのカレッジに所属する。教員も学生も多くがカレッジの建物に住むため、文字通り寝食をともにしながら学究生活を送る。学部レベルでも教員1人に対して学生が数人のグループ授業や、1対1で指導するチュートリアルと呼ばれる授業が教育の中心になっている。だから、日本の大学のように300人くらい入れる大講義室のようなものは見かけない。講演会も100人も入れば満杯という部屋で開かれる。

私が客員研究員として籍を置かせてもらっているのはオックスフォードの一番北に位置するWolfson Collegeで、8つある大学院生以上専用のカレッジの1つである。生活の施設でもあるから食堂やコインランドリー、娯楽室、それにもちろんパブ(!)、託児施設などもあり、コンピュータールームや図書室は年中無休で24時間使えるようになっている。

Wolfsonはできてからまだ40年。オックスフォードの中ではすごく新しいカレッジである。だから建物も現代風で、レンガと石造りの古いカレッジに比べるとちょっと味気ない。他は皆専用のチャペルがあるが、Wolfsonにはない。他のカレッジでは教員と学生の身分に厳格な区別がある。例えば食堂には教員専用のHigh Tableというのがあり、文字通り学生用のテーブルから一段高い所にしつらえられたテーブルで食事をする。Common Roomという談話室も、教員用と学生用は別になっている。だがWolfsonの食堂にはHigh Tableはないし、談話室も共用。そういう意味で、Wolfsonには教員と学生がよりフランクに交流するという気風がある。これはオックスフォードでは大変特徴的なことらしく、"Common Roomが共用です!"とカレッジ案内の最初の方に誇らしげに書いてある。

学生の構成が大変国際的というのもWolfsonの特徴の1つで、食堂では本当に様々ななまりの英語でわいわいやっている。私とバスルームやキッチンを共有する(だいたい4~5室に1つずつでバス、トイレ、キッチンを共有。バスといってもシャワーだけ。バストイレつき、とかキッチンつきという部屋もあるけれど家賃がぐんと高くなる)「ご近所さん」は、イスラエル、ジンバブエ、中国、インドが出身地だ。自炊した方が安く上がるので、キッチンは皆が使うから、それぞれの出身地の食の香りが交じり合う。小さな冷蔵庫にも各地の食材がひしめき合っている。バスやキッチンの使い方にも個性が出て、ときどき「うへっ」と言いたくなることもあるが、細かいことを気にしていたら暮らしていけない。冷蔵庫の「領有権」争いも日常のちょっとしたスパイスのようなものではある。
写真5 写真6
Wolfson Collegeの食堂。この日はインドの大学から学会のため訪英中の研究者とランチ。 ある日の食堂での私のランチ。アラカルト方式で食べ物が選べる。盛りつけは「豪快」の一言だが、結構おいしい。今日はこれで6ポンド(1400円強!)。うへっ。

他のカレッジにはなくて、Wolfsonだけにはある、というのがパント(平底舟)の船着場だ。オックスフォードを流れるもう1つの川、Cherwell川に面しているので、そこから水を引き込んである。パントは、川が浅いので、底が平たく出来ている。幅は結構広くて大人なら6人くらいは乗れる。オールで漕ぐのではなく、船尾に立つ船頭役の人が長いさおを川底にぐっと突き刺し、それを押した反動で前に進むというのんびりした舟である。
写真1
 
Wolfsonの住居棟の1つとパントの船着場。
写真2
 
Cherwell川の風景。奥に見える建物はLady Margaret Hallというカレッジ。
写真3
 
パント遊び。漕いでいるのはオックスフォードの人類学の中心人物の1人で私の友人のDavid Gellner教授。パント漕ぎの名人。

このパント遊びがオックスフォードの夏の風物詩で、長い夕方や週末にはたくさんの舟があちこちのパントショップから漕ぎ出され、ワイン飲み飲み川を行き来している。Wolfsonはその専用船着場があるので格安で楽しめるのが自慢の1つというわけである。

この5月、6月はやたらに雨が降ってなかなか舟遊び日和に恵まれず、じれったい毎日だったが、学期も終わったつい先日の夕方、知り合いの教授のご一家とついにパントに乗る機会がやってきた。船着場に行ってみると、連日の雨水が舟底に溜まっている。どうするのかと思ったら、慣れたもので、まずペットボトルを半分に切って即席シャベルを作り皆で水を汲み出す。ワインやサンドイッチを積み、順番にバランスを取って乗り込んで、いよいよ出発。船尾にバランスを取って立っているだけでもすごく難しい。さおを突き刺して舟を操るわけだけれど、川底はでこぼこしていて、さおを真直ぐに立てるのも大変だ。よろよろ操っていると、舟はぐるぐる回るだけで前に進まない。これでは皆船酔いになってしまうので、船頭役はさっさと教授にお任せして、こちらは専らワインの消費係に徹することにした。教授はオックスフォード出身なだけに操縦はベテランで、ちゃんと真直ぐすべるように舟が進む。鴨や白鳥が触れそうなところまで寄ってきて並走してくれる。川には川原がなく、すぐ際にまで木立がせまっている。川の上に枝が差し掛かって、緑のトンネルの中を進むようだ。ワインの酔いも手伝ってとても気持ちがいい。広い公園まで出てピクニック気分で夕食を食べ、まだ日が残る9時頃に戻ってきた。オックスフォードの誰もがパント遊びをしたがるわけがわかったような気がする。今度の休みには水泳パンツをはき、転覆覚悟で操縦に挑戦してみることにしよう。 まず勇気ある同乗者を探さないと。

オックスフォードは3学期制で、1学年度は10月に始まり、学年末試験の終わる6月半ばで年度も終了する。各学期は8週間くらいしかなく、1、2学期と2、3学期の間にそれぞれ1ヵ月半ほどの休みがはさまる。6月半ばからは長い長い夏休みである。授業のある間、学生はその分だけぎゅうぎゅう絞られるわけだから、試験が終わると大騒ぎになるのはよくわかる。カレッジによっては超有名バンドを呼びブラックタイ着用で徹夜のダンスパーティが開かれたりする。Wolfsonでも「夏祭り」があったし(但し大雨)、お世話になっている社会人類学研究所(正確にはInstitute of Social and Cultural Anthropology)でもガーデン・パーティが開かれた(Indian Instituteは前に記したような事情もあり、組織としての活動をしていない)。こちらは、人類学を専攻する院生や教員、研究所の職員やそれぞれの家族向けのパーティで、和気あいあいとワインを飲み交わして学年の終わりをお祝いした。だが、後で聞いたところでは、何とこのパーティの場で院生たちには試験の成績が伝えられるのだという。修士課程から博士課程に進めるかどうか、ということもこの和やかなパーティの席で個別に学生に知らされる。皆が最後に集まる場所だから一気に伝えてしまえ、というのは合理的ではあるが、院生にしてみればたまったものではない。長く楽しいお休みの前に、大変な障害物が待ち構えているというわけだったのだ。うへっ!

写真10
社会人類学研究所のガーデンパーティ。こちらの食事で少し太りました。この和やかな雰囲気の陰に悲喜こもごものドラマが隠されていようとは。