国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

三尾 稔 『オックスフォード雑記帳』

研究スタッフ便り『オックスフォード雑記帳』
 
インド省資料
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大英図書館。蔵書1300万冊。受け入れている新聞・雑誌92万点。音響資料300万点という世界最大級の大図書館。"The World's Knowledge"(世界の知)を標榜するだけのことはある。
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イギリス外務省。インド省もこの一角に置かれていたという。
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クライブの銅像と外務省。クライブは18世紀に東インド会社書記として活躍し、イギリスのインド支配をゆるぎないものにした人物。この銅像は首相官邸のななめ裏手を守るような位置にある。

イギリスに研修に来た目的はこちらにあるインド関係の研究書や資料を読むため、と以前に書いた。インド関係の資料はもちろんオックスフォードだけではなく、ロンドンにも多数ある。特にBritish Library(大英図書館)のIndia Office Records(インド省資料)は植民地時代のインドに関するとても重要な公文書の集成である。この時代の歴史学が専門の人なら必ず行くところだが、私の研究にも少し関わりがあるため、時々こちらにも出かけている。というわけで、今回はオックスフォードを離れてロンドンの大英図書館とインド省資料について。

オックスフォードからロンドンへは、急行(日本なら特急という感じの列車)で1時間。だから日帰りで十分仕事ができる距離にある。ロンドンのターミナル駅はヒースロー・エクスプレスが発着するのと同じパディントン駅である。ここから地下鉄に乗り換えて約10分のセント・パンクラス駅へ。そこから歩いてすぐのところに大英図書館はある。大英博物館の北にあたり、こちらからもそう遠くはない。

インド省はインド統治のためにイギリス政府に設けられた役所で、長く外務省と同じ場所にあった。ご承知の通り、直接支配が始まる19世紀の半ばまでイギリスは東インド会社という独特の会社組織を通じて間接的にインドを支配する形を取っていた。東インド会社は「会社」だけれど軍を持ち、裁判を開き、インドの人々から税金を取り立てたてていた。形式上はムガル帝国の皇帝の家臣でもあった。例えばの話、住友商事の海外支社が現地の王様に忠誠を誓い、兵力を備え、税務署の仕事もすると考えると、この「会社」の特異性が想像していただけるかと思う。インド省は、この東インド会社が解体された後のインド統治を担当したわけである。

インド省資料には、東インド会社時代からインド省時代まで、つまり17世紀初めからインドが独立する20世紀半ばまでの約350年間の、条約や法令関係資料、各種の会議録、イギリスとインド間の公式・非公式の連絡文書、会計や統計の資料、航海日誌、各種の報告書、関係者の日記や回想・手紙・写真、地図や設計図、新聞や雑誌の切り抜き、公的な出版物等々が集められている。合わせてペルシャ湾岸、アフガニスタン、ネパール、ビルマ、マレーシア、中国などの植民地政策関連の文書も収められているため、文書の量はものすごい。ある本によるとインド省資料全部を棚に並べると、その棚が全部で9マイル(約14.5km!)の長さになるという。だから当日図書館で資料を請求すると、その資料が出てくるまでに1時間あまり待たないといけない。現在はほとんど全てパソコン検索が可能になり資料の予約もできるから一時代前に比べればずいぶん便利になっている。それにしてもデータベース作りの苦労は並大抵のものではなかっただろう。

もともとこの資料はインド省の敷地内にあったが、戦後文書館は移転し、さらに1982年に大英図書館内に吸収された。だから今は大英図書館4階のアジア・アフリカ資料閲覧室で読むことができる。

だいたい訪れる前日にインターネットで資料を検索し、予約を入れる。東インド会社時代とインド省時代に大別され、さらに役所の部門ごとに資料が分類されている。私が研究しているのはインド帝国直轄地ではなく、イギリスの駐在官が派遣され、そのもとで半独立を保っていた藩王国という地域になるので、Crown Representative's Political Department Recordsという大分類の中に関係資料がある。パソコン上には1つ1つの資料の表題が現れるので、それで見当をつけ予約をすることになる。

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大英図書館内部。広い吹き抜けがある。
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大英図書館の書庫。書庫の1部がガラス張りで見えるように配置されている。
閲覧室は飲食物はもちろん、コート類も、万年筆やボールペンも持ち込み禁止(大英図書館の閲覧室は全て同じ規則で、黒の鉛筆と紙のみ持ち込み可)なのでクロークに荷物を預け、手を洗ってから閲覧室に入る。カウンターに行って名をつげると予約した資料が渡される。1点1点がファイルにとじこまれて出てくるので、中味を確認し席を確保してあとは読み込み開始という段取りになる。長い時をへだてた人々の肉筆の資料を手にすると、歴史家ではなくてもちょっと興奮する。

私が関心を持っているテーマの1つに、スーフィズムの聖者信仰がヒンドゥーの人々に与えてきた影響ということがある。そのテーマを追いかける過程で、20世紀の前半に活躍したある聖者がヒンドゥーの藩王のイスラーム教への改宗に関わったのではないかという疑問が生じた。当時、イギリスはインドの人々の宗教信仰にも藩王の私生活にも関与しないという態度を保っていたが、この藩王には嫡子がなく養子を取って王国を存続させようとした。藩王の継承は重要な問題で、養子を迎えるにはイギリスの許可が必要だった。ところが、その話が進んでいる最中に藩王が秘密裏に改宗したという噂が流れ出したのだ。こうなると話は複雑になる。信仰には一切タッチしないという態度なのに、イギリスはヒンドゥーとイスラーム教徒に別々の私法を適用するという政策を取っていたからである。当時の法律では、ヒンドゥーは養子を取れるが、イスラーム教徒ならば養子は取れないということになっていた。当然のようにイギリス当局はこの藩王の宗教信仰に関してあれこれ調べだし、その記録がインド省資料に残っているのである。資料を読むと、イギリスは実に周到に藩王の私生活を調べていることがわかる。また藩王側も改宗の事実を隠し、何とかして自分の希望する筋の男性を養子につけようと必死の交渉を繰り広げている。そこにこの藩王がヒンドゥー女性との間にもうけた非嫡出子が現れ、自分こそ正当な世継ぎだと主張しだす。イギリスも自分たちが一番影響力を及ぼしやすい世継ぎ選びをしようと事を運ぶ。藩王の死去まで3者が絡まりあって息が詰まるような攻防が展開していたことが資料からはありありと読み取れる。ここに書いたのは、私が読んだファイルの一例だが、こういう事例を詳しく読み込むことで、インドの人々の宗教的アイデンティティーと政治の関わりがより深く理解できるようになるのではないかと考えている。

大英図書館にはカフェもレストランもある。一般来館者のための展示コーナー(『鏡の国のアリス』の自筆原稿とかモーツァルトの自筆楽譜などなど"お宝"の山)や珍しい切手コレクションの展示コーナーなどもあって、古くて細かい資料を読んでしょぼしょぼしてきた眼を休めるにはもってこいだ。こうして図書館での一日はあっという間に過ぎていってしまう。

大英図書館は全ての人に開かれている、のが建前だが、来館の目的を告げ利用登録をしなければ閲覧室には入れない。外国籍者だとパスポートとは別に、「現住所を証明できる公的な文書」も見せないといけない。私はイギリスに半年以上滞在するわけではないのでビザなしで来ているし、こちらに住民登録もしていない。だから「公的な現住所」といったら日本の住所になる。それを証明する書類ということになると差し詰め運転免許証くらいしかない。受付でそれでもいいかどうか尋ねるとOKという返事。日本語しか書いてないのにどうするんだろう、と思って利用登録室に行って免許証を出したらびっくり。ちゃんと日本語が読める図書館職員が出てきて本物かどうか確かめてくれた。世界中の本を収蔵して蔵書だけでも1300万冊以上という図書館のこと、たいていの言語には対応するようになっているらしい。皆さん、大英図書館に行かれるときは免許証もお忘れなく!

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パディントン駅にできた回転寿司屋さん。列車待ちの人たちでいつも混んでいる。一番安い皿で、1皿2.5ポンド(600円)。
日本の回転寿司なら大トロ級の値段で食べるかっぱ巻きは、わさびがきいてなくても涙が出る。