国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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2013年3月24日(日)
《機関研究成果公開》国際シンポジウム「博物館は悲惨な記憶をどう展示するか」

  • 日時:2013年3月24日(日) 10:00~18:00
  • 場所:国立民族学博物館 第4セミナー室
  • 参加費:無料(申込不要)
  • 言語:日本語、英語(同時通訳付き)
  • 主催:国立民族学博物館 機関研究「マテリアリティの人間学
 

プログラム

10:00~10:40 笠原一人 「『いつかの、だれかに』展とその背景」
11:00~11:40 竹沢尚一郎 「博物館は東日本大震災をどのように展示するか」
13:00~13:40 安田常雄 「歴博の現代展示と戦争認識」
14:00~14:40 ハンス=ウルリヒ・ターマー 「ドイツ歴史博物館における迫害と絶滅の展示」
15:00~15:40 アネット・ヴィエヴィオルカ 「アウシュヴィッツを博物館展示する」
16:00~18:00 発表者およびディスカッサントによる総合討論

司会:春日直樹
コメンテーター:荻野昌弘、佐々木健

趣旨

多くの死者を出した2度の世界大戦をはじめ、内戦やテロリズム、民族紛争、そして地震、津波、台風などの自然災害、さらには公害や火災、大規模事故にいたるまで、現代世界は悲惨な出来事=カタストロフィに満ちている。これらの出来事のうちのあるものは、地震や津波、台風のように自然災害であり、あるものは戦争や内戦、事故など、人為的な原因によるものである。とはいえ、人口増加と産業化などの人的要因が自然災害の頻度と被害を拡大させていること、逆に気候変動がしばしば戦争や民族紛争の原因となっていることを考えても、両者のあいだにそれほど明確な境界線があるわけではない。むしろ両者は人間の記憶のなかでは、平穏な日常の継起のなかに切断をもたらした大規模な破壊として同様に刻印される傾向があるのである。
多大な人命の損失を招いただけでなく、多くのモノや建物を破壊し、大量の避難民を生んだこれらの悲惨な出来事は、それに直接かかわった人びとだけでなく、同時代を生きた人びとの心の多くに深い刻印を残している。記念碑が立てられ、メモリアルパークが設けられ、絵画や小説の主題とされ、博物館や記念館が建設されてきたのは、それらの出来事がもたらした心的外傷があまりに大きなためであり、亡くなった人びとを追悼し、それらがふたたび生じることのないよう記憶しつづけることが重要だと考えられているためである。
今回のシンポジウムの主題は、博物館におけるこれらの出来事の展示について問うことである。博物館はこれらの悲惨な出来事=カタストロフィをどのように展示してきたのか、また今後どのように展示すべきなのか、を問うことである。『記憶の場』の編者であるピエール・ノラがいうように、博物館とは、文書館や墓地やモニュメントや式典や記念日などと共に、「儀礼をもたない社会の儀礼であり」、出来事が「聖別」され、「差異化され」、「永遠の幻想」が付与される特権的な場である。とするなら、多くの人びとに強い刻印を与えたこれらの出来事こそは、博物館で展示されるにふさわしいことになろう。
その一方で、博物館は、上記の同種の施設や行事が限定された意味作用しかもたないのに対し、さまざまなモノの秩序づけられた配置を通じて、そこをおとずれる人に明確なメッセージを伝達し、彼らの経験を明確に方向づけることをめざす施設である。そのようなものとしての博物館は、多くの人びとがすでに知っているこれらの出来事について、さらにどのような意味をつけ加え、どのような経験へと導こうとしているのか。それにあたっては、いくつか留意すべき点があるように思われる。

  1. 戦争や内戦、津波、公害などの出来事は、その被害の大きさと事件の衝撃によって、人びとの意識に大きな影響を与え、記憶に残りつづけている。それらをめぐっては多様で熱を帯びた議論が生じているだけでなく、それをどう解釈するかによって人びとの帰属意識やアイデンティティも大きく左右される。そうしたことは、とりわけ戦争や内戦のように国民国家の根幹に関係する出来事についていえるのであり、たとえば植民地支配の功罪をめぐる議論や、ナチズムの大量虐殺にドイツ軍が関与したかどうか、従軍慰安婦や沖縄戦における「集団自決」に日本軍が関与したかどうかに関しては、どのような解釈を提示したとしても激しい議論に巻き込まれずにはいないだろう。
    現代史の展示、現代文化の展示が、植民地支配や戦争の展示を抜きにしては構築できないことが自明であるとするなら、博物館はその展示を通じてこれらの出来事に一定の解釈を提示することを避けるべきではない。しかし、博物館が公共の場であるかぎり、そこで与えられる解釈は特定の立場に立つものではなく、多様な解釈を可能にするようなものであることが求められている。偏狭なナショナリズムに与することなく、またありふれた教訓に堕すのでもなく、多様で開かれた解釈を可能にする展示とはどのようなものなのか。そのためのモノの配置は、どのようであるべきなのか。それが問われなくてはならない。
  2. カタストロフィックな出来事の多くは、とりわけ大虐殺や津波、大火災がそうであるように、多くのモノを破壊したことから、少しの痕跡しか残していない。ユダヤ人や身体障碍者等を強制収容所に収監して絶滅させようと試みたナチスは、その後に証拠隠滅を図ったためにその痕跡は限られているし、沖縄戦における住民の「集団自決」や従軍慰安婦への日本軍の関与に関しては、それを記録した文書記録は存在していない。また、2011年3月に東北地方で生じた津波は、多くの人命と共に多くのモノを破壊したことで、展示の材料になりうるモノの数はかぎられている。こうした場合に、残された数少ないモノをもとに出来事の全体像を描こうとするなら、どのような展示の技法と組み立てが必要なのか。もしその全体像を描くことができないとしても、展示をおこなうことが必要であるとするなら、そのような位置どりはどのようにして正当化可能なのか。
  3. この点と関係して、第二次世界大戦やユダヤ人等の大量虐殺に関しては、それらがあまりに巨大で、人間の理解を越えるほどの悲惨な出来事であるために、それを再現=表象することがそもそも可能なのかという議論がある。一度に数万人の生命を奪った大規模災害に関しても同様であり、展示がその全容を表象することができず、その一部しか表象できないとすれば、見る人にその出来事についての誤ったイメージや理解を与えてしまうのではないかという恐れがある。
    この点は人類学でいうところの表象をめぐる問いとも重なる部分でもある。ひとつの民族やひとつの地域のように、多様でときに対立する要素からなる一全体を、少数の文字や写真で再現することが可能なのかという問いは、民族誌の根本に関わる問いとしてこの30年ほど開かれたままになっている。民族誌は表象不可能なはずの他者のねつ造に協力するばかりか、そのような他者の生産を可能にするものとしての自己を特権的に構築してしまっているのではないかというのである。こうした問いは、博物館における展示においてもそのまま妥当するものであろう。それに対して、私たちはどのように答えるべきなのか。
  4. 悲惨な出来事は当事者に対して多くの苦痛をもたらしたが、それは一過性のものではなく、トラウマとして記憶のなかに残りつづけ、苦しみを与えつづけるケースも少なくない。一方、展示をおこない、記念碑を建てることは、いささかもニュートラルな行為ではなく、その出来事を想起せよ、その出来事を記憶しつづけよという命令形の行為に他ならない。であれば、そうした場合にも当事者の心に苦痛を与えない展示とはいかなるものなのか、当事者の心の痛みを引き受けうるような展示とはいかなるものかが、問われるべきであろう。
    たとえば今回の東日本大震災と津波は、多くの人びとに癒しがたい悲しみを与えた遺構をいくつか残している。死ぬ間際まで無線で避難を呼びかけていた女性が勤務していた南三陸町の防災庁舎がそれであり、大槌町の民宿の屋上に打ち上げられた観光船はまゆり号や、なかで働いていた職員の多くが津波に巻き込まれて亡くなった大槌町役場がそれである。これらの施設の多くは、遺族をはじめ、死者に近かった人びとに癒しがたい苦しみを与えるという理由で、すでに破壊されたか、破壊されることが決定されている。被災の事実を知らせることを目的とする展示についてもおなじことである。展示は事実に忠実であることが求められるが、もしそこで細心の配慮と時間をかけた合意形成を欠くなら、それは残された者に苦痛を与える危険がある。それを与えない展示とは、いったいどのようなものなのか。
    本シンポジウムは以上の問いをめぐっておこなわれる予定である。5本の発表は以上の問いのすべてに関わるわけではないが、そのうちのいくつかについて、何らかのかたちで一定の答えを出すことが求められている。

     

発表者の紹介

アネット・ヴィエヴィオルカ(Annette Wierviorka)

フランス国立科学研究センター(CNRS)研究指導教授。フランスにおけるショアー研究の第一人者であり、ユダヤ人の「最終解決」とアウシュヴィッツに関する多くの著書がある。アウシュヴィッツ博物館の展示制作に協力した。祖父母をアウシュヴィッツで失っている。

ハンス=ウルリヒ・ターマー(Hans-Ulrich Thamer)

ドイツ・ミュンスター大学教授。西欧近現代史が専門。19-20世紀ドイツのナショナリズムや暴力革命に関する多数の著作がある。2010年にベルリン歴史博物館で開催された「ヒトラーとドイツ人」展の責任者。

安田常雄(Yasuda Tsuneo)

神奈川大学教授、歴史民俗博物館名誉教授。日本近現代史が専門。岩波書店の『シリーズ戦後日本社会の歴史』の総編者であるほか、『日本ファシズムと民衆運動』等の著作がある。歴史民俗博物館における現代展示の責任者。

笠原一人(Kasahara Kazuto)

京都工芸繊維大学助教。建築史が専門。『記憶表現論』等の著作がある。阪神淡路大震災の10年後に開催された「阪神大震災・記憶の<分有>のためのミュージアム構想|展」の主催者のひとり。

竹沢尚一郎(Takezawa Shoichiro)

国立民族学博物館教授。社会人類学・アフリカ史が専門。東日本大震災の被災地で活動し、その記録を『被災後を生きる:吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』にまとめている。東日本大震災の展示を外国および被災地で実施することを構想している。