国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

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2002年10月2日(水)
モンゴル環境フォーラム「環境立国モンゴルをいかにマネジメントできるか 」

  • 日 時:2002年10月2日(水) 10:00~
  • 会 場:国立民族学博物館 第4セミナー室
 

プログラム

09:30 開場・受付開始
10:00 開会
10:05 フォーラム趣旨説明(安成哲三)
10:10 パネリスト発表
  原山煌「文献に見るモンゴル高原の自然史」
  安成哲三「気象学から見るモンゴル高原」
  篠田雅人「気象データから見るモンゴルの自然災害」
  杉田倫明「水文学から見るモンゴル高原」
12:10 昼食休憩
13:30 パネリスト発表再開
  田村憲司「土壌学から見るモンゴル高原」
  藤田昇「植物学から見るモンゴル高原」
  和田英太郎「物質循環から見るモンゴル高原」
15:00 休憩
15:15 討論
  討論趣旨説明(松原正毅・米本昌平)
  司会(小長谷有紀)
16:45 総合コメント(日高敏隆、バトジャルガル大使)
17:00 閉会

モンゴル環境フォーラム報告

 共同研究会のメンバーは基本的に人文社会科学系の研究者で構成し、自然科学の諸分野については、研究者を一同に集めて議論の場をもうけることとした。2002年10月2日、「モンゴル環境フォーラム」と題した会合には、滞日中のモンゴル人も含めておよそ30名の参加を得た。その様子を以下に再現してみよう。
 まず最初に、歴史学者の原山煌氏(桃山学院大学教授)から、モンゴル高原における遊牧の歴史についての見取り図が示された。とりわけ自然についてどのような記述が残されているかという点にしぼって歴史文献を渉猟すると、幾つかの特徴があらわれる。

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 第一に、遊牧民自身の考え方が記されている文献によれば、「山」こそが彼らの精神的中核地として表現されており、この点を原山氏は強調する。彼らの日常的な生活の舞台がたとえ草原であったとしても、草原に併存している「森林」の重要性が示唆される。

 第二に、アジアの記録係ともいうべき中国の漢文史料によれば、過去を通じて雪害、干害などの自然災害が頻繁に生じているのは明らかである。その意味で遊牧経済は脆弱であると言えよう。その脆弱性を補完していたものとして、原山氏が注目するのは狩猟という生業である。そして、軍事活動がかつての遊牧民にとって狩猟と同義であったことを示す表現が多いことを考慮するならば、略奪もまたある種の生業であったといえるかもしれない。
 脆弱さの補完として農耕も想定することができる。実際に、戦争捕虜として拉致された漢族によって小規模に農業がおこなわれてきた。しかし、清代後半にいたって、規模が一挙に拡大されるようになると、農業による草地荒廃が生じて牧民の蜂起が多発するようになった。言い換えれば、農耕による補完の限界効用が歴史的に確認されるのである。これが第三の指摘である。

フォーラムの冒頭で提示されたこれら三つの指摘は、会議全体を通じて、すなわち分野の違いを越えて、その都度確認されてゆくことになる。

 たとえば、つづく安成哲三氏(名古屋大学教授)の報告は、気候学的モデルに基づくと、過去にヒマラヤ山脈が隆起する途中の過程で、モンゴル高原が湿潤地域であった時期が存在し、その時代に形成されたであろう森林的世界の遺産を、現在、草原という形で利用している可能性が高いことが示された。これは、文献に見る時間軸とはまったく別の長大なスケールながら、山の意味や森林の意味について再考をうながす指摘である。

 一方、おなじく気候学ながら「砂漠化」という視点から、篠田雅人氏(東京都立大学助教授)がモンゴル高原の特徴を示した。砂漠化に関する学術的な指標を決定しようというプロジェクトで明らかになったことは、モンゴル国境の南と北のあいだにある厳格な差である。農耕化と過放牧の著しい中国側では、砂漠化が極端に進行している。

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 砂漠化に関するこうした概観は、土壌学の立場からより明瞭な指摘として実証された。田村憲司(筑波大学助教授)氏は実例によって、対策を講じないままに耕起すると表層土壌が簡単に消失し、また炭酸カルシウム層が集積し、かつ上昇することを示した。そして、裸地化が進行した結果、まったくセメントで固めた壁のようになった土壌の実例も示された。こうなると、植物は根を張ることができず、さらに裸地化が進む。草原を維持することはもはやできなくなる。

 田村氏と共同研究をしている杉田倫明氏(筑波大学助教授)からは、水文学の立場で高原の概観が示された。可能蒸発量の大きな乾燥地域では、降水量がほぼそのまま蒸発している。水収支から見るかぎり、草原を涵養しているのは、河川にせよ地下水にせよ、森林地帯に降る雨である。すなわち、山は草原を維持する源という意義をもつのである。

 しかし、単純に降水量の上下限によって草地が作り出されているわけではない。地上部が食べられても、根さえ残っていれば草は再生するのに対して、木は、若木の段階で地上部を食べられてしまうと成長できない。つまり、家畜こそが、森林をつくらずに、草原をつくる。この家畜と草原との関係について多様性という観点から調査した藤田昇氏(京都大学教授)によれば、草の種類は、家畜によるグレイジングが少なすぎても、多すぎても減ることが明らかとなった。草の多様性は、適度なグレイジングによって高まると言えよう。植物の種類が豊富な草原は、まさに家畜が生み出すものなのである。

 最後に和田英太郎氏(総合地球環境学研究所教授)が、モンゴルにおける物質循環の総体を概念図で示し、遊牧と草原との相性のよさを論じた。

研究の統合による社会的提言

 以上のような報告をふまえて、活発な議論がかわされた。とかく「適応」というと、自然環境を「所与」のものとして扱い、それに対する現在の現象が取り上げられがちである。しかし、環境自身が利用されることによって変容しながら維持されること、より端的に言えば自然環境はまさにつくられていることが草原を例にして了解された。草原生態系の維持メカニズムが少しずつ解明されていることを参加者一同で共有することができた。今後はこの共有を拡大してゆきたい。

 モンゴル国では、現在、グローバリゼーションが進行し、社会主義時代よりも一層強く、遊牧への否定的見解が流布しているように思われる。遊牧とその環境を保全するどころか、むしろ鉱山資源開発などが当面の課題として優先されている。各研究領域の成果を統合して生まれた認識は、社会的提言として活かされるべきであろう。

 討論の最後に、コメンテーターとして、総合地球環境学研究所所長日高敏隆氏および在日特命全権モンゴル大使バトジャルガル氏が発言し、こうした会合の持続性に対して期待が寄せられた。なお、このフォーラムの成果は雑誌『科学』2003年5月号:岩波書店(2003年4月24日発売)に特集「モンゴル:環境立国の行方」として掲載された。