国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

日本におけるネイティブ人類学/民俗学の成立と文化運動:1930年代から1960年代まで

共同研究 代表者 重信幸彦

研究プロジェクト一覧

キーワード

ネイティブ人類学/民俗学、文化運動、地方の知識人

目的

本研究は、アカデミズム化する以前の民俗学が、各地の多様な文化運動と共鳴しながら存在していたという事実に着目し、民俗学の形成を、それら民間における多様な文化運動のなかに位置づけなおすことを目的としている。1960年代以降にアカデミズム化する以前の民俗学は、文学(短詩型文学、小説)、歴史(郷土史)、考古学、それら人文系の知と深く関わっていた博物学など、各地域を拠点とした民間の多様な知の実践の選択肢の一つとして存在していた。そうした、地域を拠点とした運動は、学校等の教育制度により形成された人脈や雑誌刊行などを通じて外部と交渉しながら、他地域の知識人と重層的に関わりながら展開していた。さらに初期の人類学者たちもまた、これらの文化運動と少なからず接点をもっていた。口碑や伝承文化、古老の記憶の発見などを通して自らの生活を自省的に見直す民俗学という実践は、こうした地域の文化運動のなかに胚胎したのである。本研究を通して、民俗学も含め、広く近代日本の民間における人文学的知の展開を、多元的な重なりと動態から見直す地平を切り拓きたい。

研究成果

本共同研究は、日本のネイティブ人類学(民俗学+初期民族学)の揺籃となったローカルな知の実践を捕捉するために、達成された研究の内容以上に、具体化された実践の方法に着目する学史を構想した。そして史資料の共有の仕方、同人誌など雑誌という媒体の使い方、座談や講演などの場のつくり方、そしてローカルな実践による「中央」の人材や機関の選択と利用の仕方など、運動が認識を生み出す仕組みと過程を可視化する視点を重視した。

個別の地域や主体を素材に具体的に検討し、登録された論点の一部の概要を記す。雑誌の作られ方と使われ方は特に着目した問題であった。ローカルな実践が生み出す雑誌には、身近に接し運動を展開する同人メンバーの結節点として機能する場合と、一人の発行者が単独で雑誌を発行し、遠方の投稿者を含め雑誌のなかに「つながり」を具体化する場合等があり、いずれも連帯を前提とした「場」としての雑誌の「かたち」である。そして、文学や郷土研究、地方総合紙/誌まで含め、ローカルな出版物群における相関関係をとらえることで、それら個々の実践の相対的な位置や、ジャンルの横断性を把握できることを確認した。

なおローカルな文化運動を駆動するリテラシーには、史/資料の分類の仕方、叙述の仕方などアカデミックな制度が前提とする作法と異なるかたちがあり、それは一つの方法として評価しうる可能性を持っていることも明らかになった。そして共同研究では、近代歴史学が前提とする「歴史」でも、また旧来の正史と稗史の二項対立でもない、より幅広い「史/誌」の領分の積極的意義を見出し得るという感触も得た。

こうしたローカルな文化運動の実践の方法をめぐる「かたち」は、ネイティブ人類学には、単に自文化研究としての「ネイティブ」という以上に、アカデミックな制度が前提とする方法をはみ出していく、幅広い人文知をめぐる「方法としてのネイティブ」を構想しうる可能性があることを示している。

2012年度

本共同研究会は、平成23年度まで、ローカルな文化運動における民俗学的実践について、各地の具体的をもとに、それらにおけるローカルな差異、時代・メディア状況等に規定された共通性などについて検討してきた。最終年度である平成24年度は、まず初期人類学者(坪井正五郎、岡正雄、杉浦健一等)とローカルな実践との関わりについて集中的に検討する。また、ローカルな知の実践が、文部省による1930年代の郷土教育運動、大政翼賛会による1940年代の地方文化運動、前衛政党による1950年代のサークル文化運動など、ナショナルな広がりと制度のなかで展開した文化運動に動員されながら、それをどのように利用/流用したか改めて検討する。そして各自の最終報告を視野にいれながら、1)具体的な人物の動きと人脈、2)雑誌等のメディアの機能、3)調査・談話会・展示イベントなど史資料共有の手段等の「かたち」に着目し、民俗学も含めた人文学的知の民間における展開を、中央対地方という二項対立的発想に陥らずに語る視座の確立を目指す。

【館内研究員】 森明子
【館外研究員】 飯倉義之、岩本通弥、門田岳久、菊地暁、小池淳一、小国喜弘、佐藤健二、中西由紀子、久野俊彦、松本常彦、室井康成
研究会
2012年7月29日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
佐藤健二(東京大学)「ある民間学者の仕事~"十二階の喜多川"のケーススタディ」
中西由紀子(北九州市文学館)「北九州の雑誌文化 1920-1960」
真鍋昌賢(北九州市立大学)「民間<知>の実践のかたち:関心と想像力の共有とネットワーク」
全体討論(全員)
2012年10月28日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
松本常彦「雑誌の領分:中島利一郎の場合」
門田岳久「文化運動のなかの宮本常一 1970年代南佐渡における対抗文化と民俗学的実践」
2012年12月25日(火)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
森明子「民俗学実践のかたち :ミュンヘン協会の変遷を事例として」
全員討論「文化運動のかたちを見渡すために :成果報告にむけて」
2013年3月9日(土)13:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
坂野徹「雑誌という場をひもとく :『ドルメン』『ミネルヴァ』『民族』から」
2013年3月10日(土)9:30~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
全員報告・討論「最終報告に向けて :テーマと視点」
研究成果

最終年度である2012年度は、主に以下の[1]~[4]に整理した問題について議論を深めた。[1]ローカルな文化運動における雑誌の捉え方について、北九州地域を例に同人雑誌群の相関を網羅的に把握することや(中西報告)、一方福岡の中島利一郎を例に、一人の実践家が複数の雑誌の編集に携わる過程を探ることなど、雑誌媒体の分析の仕方について検討した(松本報告)。また、雑誌という場を媒介に、どのように文化運動のネットワークが構築されるか、その捉え方について『民俗芸術』を例に議論した(真鍋報告)。[2]次にローカルな文化運動に関わる主体について、そのアカデミックな調査研究の技法と異なるリテラシーのあり方を、蒐集家・時代考証家である喜多川周之を例に議論した(佐藤報告)。そしてまた、外部から関与しローカルな文化運動が生起する媒介としての役割を果たす主体について、宮本常一と佐渡の文化運動の関わりを素材に議論した(門田報告)。今年度はさらに[3]民族学とローカルな文化運動との関わりについて、考古学・民ゾク学が相互に場を共有し展開していた雑誌『ドルメン』等を素材に検討した(坂野報告)。[4]そして、本研究は日本を主なフィールドとしてきたが、ミュンヘンにおける民俗学協会のあり方の歴史的展開を踏まえ、ローカルな文化運動の組織のかたちについて、私的な同人組織を中心とした日本の場合と比較検討することもできた(森報告)。

2011年度

本年度は、主に、研究会メンバーがそれぞれ展開している調査にもとづき、ローカルな文化運動の実践の動態ついて報告しあい、それらの実践のありかたのローカルな差異、そして時代やメディアに規定された共通性などについて検討する。運動における「つながり」の重層性、ジャンルの横断性を捉えることを重視する本研究会では、いかに学を実践しようとしたか、その方法に着目する。運動がどのような仕組みにより認識を生み出し、それを共有しようとしたか、方法を問う必要がある。つまり、どのように調べごとを具体化したか、どのように史資料を共有しようとしたか、地誌の編纂や講座・講演会の実施などイベントの実施、同人誌など雑誌メディアの機能などに着目することが、ローカルな事例を検討する共通の視点となる。具体的には、青森県八戸市(小池)、新潟県ならびに佐渡島(岩本・門田)、東京都八王子市(室井)、飯倉(近畿地方)、岐阜県高山市(岩本・重信)、京都府京都市/京都大学(菊地)、福岡県北九州市(中西・重信)、福岡市(松本)などの報告を予定している。

【館内研究員】 森明子
【館外研究員】 岩本通弥、飯倉義之、門田岳久、菊地暁、小池淳一、小国喜弘、佐藤健二、久野俊彦、中西由紀子、松本常彦、室井康成
研究会
2011年7月31日(日)10:00~16:30(滋賀県立琵琶湖博物館 応接室)
室井康成(東京大学東洋文化研究所研究員)「民俗学者・山口麻太郎における動機の問題:東京遊学体験と詩作サークルを中心に」
菊地暁(京都大学人文科学研究所助教)「京都からみる民俗学史・断章:新村出旧蔵資料を素材として」
篠原徹(琵琶湖博物館館長)「眼前の事実から「直近の過去」を問う運動」
コメントと総合討論(コメント・篠原徹/司会・重信幸彦)
2011年10月30日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
小池淳一「民俗学研究所とは何であったか ~森山泰太郎の日誌から~」
久野俊彦「土俗(地方)の郷土研究(民俗学) ~芳賀郡土俗研究会のネットワーク~」
2011年12月18日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 第1演習室)
角南聡一郎「赤松啓介の地域へのまなざし-岡山県飯岡村月の輪古墳の発掘を中心に-」
飯倉義之「郷土史家という生き方」
2012年3月11日(土)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
矢野敬一「論壇ジャーナリズムという『場』のなかでの柳田国男~雑誌という『広場』がはらむ戦略性と同時代性~」
全員「中間総括討論 最終年度にむけて」
研究成果

今年度の共同研究は、1、ローカルな実践を展開した主体のありかたの検討、2、これまで中心的な組織や主体として位置づけられてきた柳田国男や民俗学研究所の捉え方の再検討、3、運動の領域横断性の検討の3点について具体的成果を蓄積した。「1」については、室井、久野、飯倉の報告が行われ、室井が、壱岐の山口麻太郎を取上げ、地域内の人的ネットワークを作り郷土史から地域改良運動にまで展開させた事例を検討し、一方久野は、それとは対照的な、栃木県の農村で個人雑誌を刊行して雑誌のなかに地域を越えたネットワークを実現した事例高橋勝利の実践を取り上げた。飯倉は千葉県の事例から、階層化された郷土史家達の実践と、郷土史言説の構築過程を検討した。「2」については、菊地、小池、矢野の報告が行われた。菊池は、これまで中心として語られてきた柳田国男を京都というローカルな文化実践のネットワークのなかに位置づけ直し、小池は、1950年代の民俗学研究所に地方の研究者たちがどう関わったかを論じ、多様な関係性の媒介としての研究所の姿を析出した。矢野は民間伝承の会の会員組織化の方法と、当時の婦人総合雑誌における読者の組織化の仕方との関連性を指摘した。これらは従来の学史における柳田や民間伝承の会の語り方を更新する可能性を具体的に示した。[3]については角南の報告が、赤松啓介の実践において、考古学と民俗学が切り離し難く結びついていることを示すとともに、その赤松が評価した月の輪古墳発掘運動が持つローカルな文化運動としての意義について検討した。

2010年度

研究会の開催:1年目は2回、2年目以降は年4回の研究会を、原則として国立民族学博物館で開催する。

1930年代から1960年代にかけての各地域(小池→青森県八戸市、岩本→新潟県ならびに佐渡島、室井→茨城県古河市、飯倉→千葉県、岩本・重信→岐阜県高山市、菊地→京都府京都市、重信・中西→福岡県北九州市、室井→長崎県壱岐)の文化運動の実践の動態を報告しあう。メンバー相互の問題関心を共有しながら、近代日本における民間の知の諸実践のありかたに関する各地域に共通する傾向を析出するとともに、地域の歴史性に根ざした特殊性を確認する。

【館内研究員】 森明子
【館外研究員】 飯倉義之、岩本通弥、門田岳久、菊地暁、小池淳一、小国喜弘、佐藤健二、中西由紀子、久野俊彦、松本常彦、室井康成
研究会
2010年12月18日(土)13:30~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
2010年12月19日(日)9:30~14:00(国立民族学博物館 大演習室)
《12月18日》
重信幸彦「在野の知の「かたち」とひろがりへ:共同研究開催にあたって」
《12月19日》
「共同研究にむけて」参加者全員
討議
2011年3月6日(日)10:00~17:00(国立民族学博物館 大演習室)
岩本通弥「排除された民俗学―関敬吾と教育大/地方/民衆運動をめぐる諸問題」
重信幸彦「民話運動の時代と関敬吾の場所:覚書~1950年代の文化運動としての民話運動と民俗学」
研究成果

初回研究会では、代表者の重信が、研究の目的・趣旨そして共有したい視点などについて問題提起し、また各参加者は、共同研究会で各自が取り上げる研究テーマを明らかにした。そして特に、共有すべき視点として、取り上げる文化運動がどのような仕組みにより認識を生み出そうとしたか、「認識の生産過程」に着目することを確認した。すなわち、どのように史資料を共有しようとしたか、地誌の編纂の機会や、さらには講演会、同人誌などのメディアをどのように機能させていたか、それらによりどのような「つながり」が具体化され得たかなど、本共同研究会では、運動の方法を規定した物質的な「かたち」を論点として議論していく。第2回目の研究会では、特に一九五〇年代の文化運動と民俗学との関わりを民族学者・関敬吾に焦点化した報告二件をもとに討論した。一九五〇年代から六〇年代は、民族学、民俗学が大学制度のなかの学問として展開し始める時期にあたり、今後改めて民俗学にとってアカデミック・システムとは何であったかを問い直す必要性を確認した。