国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。
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実践と感情――開発人類学の新展開

共同研究 代表者 関根久雄

研究プロジェクト一覧

キーワード

感情、開発、実践

目的

本研究は、開発や開発援助の文脈における人々の「感情」に注目した実践的人類学の可能性を検討することを目的とする。ここでは、ODA、NGOの海外における実践や国内での広報、啓発活動も含むさまざまな開発事例に関係する人々の行為や思考、語りに現れる感情を、感情語(例えば「怒り」「喜び」「悲しみ」「満足」「やる気」など)によって示される一般的・抽象的レベルだけでなく、その元にある個々の生きられた感情経験そのものにおいて捉える。開発実践のプロセスを民族誌的に検討すると、実践の動向が、関係する人々の感情(emotion, sentiment)や気持ち(feeling)の変化や転化に大きく左右されることがわかる。本研究では、開発の文脈の中から浮かび上がるそのような変化し転化する生きられた感情経験をリアリティの構成要素として回収した上で、それらを実践活動に結びつける方法について具体的な開発事例を通じて検討する。

研究成果

先行の感情社会学では、感情を生理的感情という一次的なものと、他者との関係において社会的に生み出される二次的な感情の2つの次元で認識してきた。つまり、一次的な感情を二次的に言語化・行為化する際には、状況に適合するように感情を調整する装置としての感情規則を参照するという、感情についての重層的な理解である。しかしそれだけでは、同じ集団や社会に属していても、人によって感情の表出の仕方が異なるという現実を説明することができない。個人の感情のベースとなる社会的な感情規則があるとしても、表面的には個人はそれの個別バージョンを状況に応じて適用しているとも言える。本共同研究における各発表の「感情事例」では、人類学者自身の感情と現地の人々などアクターの感情との実践活動における葛藤や共感に関わるものが目立ち、言い換えるとそれは実践者としての人類学者と無数の個別バージョンとのせめぎ合いであったともいえる。
例えば、研究が実践分野にどのような役割を果たすことができるのか、その応用可能性に逡巡する調査者の姿についての報告があった。ODAによる支援活動に参加した調査者が「誰のための調査で、誰のための国際協力か」という倫理的問題を抱き、葛藤する様子についての考察である。JICA長期専門家として現地に滞在していた人類学者が、JICAが用意した都市の一軒家での「快適な」暮らしを、それ以前に彼が1年以上滞在していた村の村長に「見られたこと」に対する後ろめたさ(自己嫌悪感)に襲われた。都市で暮らす自分と村にいるもう一人の自分。調査者は2つの自分の間を移ろう存在であるという現実を直視し、後ろめたさを飼い慣らしながらフィールドワークや国際協力活動に関わることの重要性を指摘する報告であった。また、開発援助プロジェクトへの参加を通じて、外部社会からやってきた各援助関係者が内面化する現地調査の「流儀(作法)」の違いという課題が存在することを指摘する報告もあった。それは、新技術を導入したい実験科学者、在来実践を集めたい野外調査者、普及内容にこだわる開発援助事業担当者という各支援者間の感情的対立へと発展していく事例である。他の報告も含めこれらはいずれも、支援活動は支援者としての自分と被支援者である現地の関係者双方が実感や共感といった感情の交差を通じて展開されるものであり、そのような感情経験を通じて支援の場のリアリティを捉える「全人的作業」であるという点において共通性がみられる。
本共同研究では感情の理解と開発実践活動への連続性を明らかにするところまでは到達できなかったが、日本文化人類学会第47回研究大会における分科会「感情と開発-人類学における応用的実践の新展開-」と、国際開発学会第24回全国大会における企画セッション「開発実践と『感情』-リアリティをめぐる新たなアプローチの可能性-」において多くの参加者と彼らからの質問、コメントを得ることができ、「感情と実践の連続性」研究の今後の発展可能性を認識するに至った。

2013年度

研究会を3回(2013/5/18(土)、10/5(土)、12/21(土)、いずれも予定)開催する。各回メンバー2名による研究発表と、それに基づく全体討論を行う。また、開発援助の実務者や、いわゆる開発学を専攻する研究者、感情研究において先駆的な業績をもつ社会学者などをゲストスピーカーあるいはゲストコメンテーターとして招聘することも検討する。各発表では、開発(援助)事例の過程における転換あるいは変換に関わる事象に注目し、現地のステークホルダーたちの感情(emotionやsentiment)を、人々の語りや行動、振る舞いなどの身体表現を含めて捉え、当該地域の開発に関わる感情経験の文化的特徴について考察すると共に、その応用的実践への展開の可能性について検討する。国際開発学会などの関連学会において分科会を組織し、感情に注目した開発研究への関心を高めたい。

【館内研究員】 岸上伸啓、鈴木紀、信田敏宏
【館外研究員】 青山和佳、井上真、小國和子、亀井伸孝、佐藤峰、白川千尋、鷹木恵子、玉置泰明、内藤順子、縄田浩志、西真如、藤掛洋子、真崎克彦
研究会
2013年5月19日(日)13:00~18:30(国立民族学博物館 第4演習室)
鷹木恵子(桜美林大学)「チュニジアのオアシス開発政策と革命後の農民暴動-農民の感情と論理についての一考察-」
質疑応答
真崎克彦(甲南大学)「ブータンの民主主義研究の実践と感情」
質疑応答
2013年9月29日(日)13:00~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
井上真(東京大学)「居心地の悪さへの対処:学術研究と国際協力の狭間で」
質疑応答
亀井伸孝(愛知県立大学)「フィールドワークと高揚感: 「盛り上がり」をいかに演出・制御・活用するか」
質疑応答
2013年11月3日(日)13:00~18:30(国立民族学博物館 大演習室)
佐藤峰(国際協力機構)「開発業界のフィールドワーク:ODA女性人材の『やる気』を左右するもの」
質疑応答
片上敏喜(奈良女子大学)「観光ツアー開発過程における実践と感情の変化-アクションリサーチによる食文化観光ツアーから-」
質疑応答
研究成果

本年度は研究会を3回実施し、それ以外にも民博の資金に拠らない会を東京で1回開催した。主な報告内容は以下の通りである。
鷹木恵子(桜美林大学)は「チュニジアのオアシス開発政策と革命後の農民暴動-農民の感情と論理についての一考察-」において、1980年代後半から1990年代半ばにかけてチュニジアで構造調整の一環として進められた国営農地の民営化過程でオアシス地帯の貧農たちが抱いた感情とその背後にある彼らの論理に注目し、2011年のチュニジア革命後に発生した農民暴動の原因について検討した。
真崎克彦(甲南大学)は「ブータンの民主主義研究の実践と感情」において、国民総幸福(GNH)指向の民主主義の追求を国是とするブータンが実際には開発を通じて資本主義的民主主義の確立を目指す方向に傾きつつあることを指摘する。市場化というグローバルな流れと切り離せない人々の心情がある一方で、真崎は、ブータン人の基本的な「感情」には国民主権と国王主権が共存しており、それは同時にブータン人の理性でもあると説いた。
井上真(東京大学)の「居心地の悪さへの対処:学術研究と国際協力の狭間で」は、インドネシア・カリマンタンの焼畑民村落における調査および国際協力活動を通じて彼自身が抱いてきた、「誰のための調査か、国際協力か」という倫理的問題を起点とする葛藤に関わる報告である。
感情を介したフィールドワーク論を展開する亀井伸孝(愛知県立大学)は、「フィールドワークと高揚感:『盛り上がり』をいかに演出・制御・活用するか」において、カメルーンとコートジボワールにおける調査を通じて経験した現地の人々の「盛り上がり」を例示した。感情は人々の行動や情報の流れを左右するものであり、ある場における感情を理解しそれに対処することで、事態を特定の方向へ向かわせることも可能であることを例示した。
佐藤峰(国際協力機構)の「開発援助業界のフィールドワーク:ODA女性人材の『やる気』を左右するもの」では、日本の開発援助業界で非正規に雇用される女性人材に注目し、彼女たちの「やる気」、すなわち、物事を積極的に進めようとする気持ちの持続性について検討した。

2012年度

研究会を4回(2012年7月7日(土)、10月13日(土)、12月8日(土)、2013年3月9日(土)、いずれも予定)開催する。各回メンバー数名による研究発表と、それに基づく全体討論を行う。また、開発援助の実務者や、いわゆる開発学を専攻する研究者をゲストスピーカーあるいはゲストコメンテーターとして招聘することも検討する。各発表では、開発(援助)事例の過程における転換あるいは変換に関わる事象に注目し、現地のステークホルダーたちの感情(emotionやsentiment)を、人々の語りや行動、振る舞いなどの身体表現を含めて捉え、当該地域の開発に関わる感情経験の文化的特徴について考察すると共に、その応用的実践への展開の可能性について検討する。国際開発学会などの関連学会において分科会を組織し、感情に注目した開発研究への関心を高めたい。

【館内研究員】 岸上伸啓、白川千尋、鈴木紀、信田敏宏
【館外研究員】 青山和佳、井上真、小國和子、亀井伸孝、佐藤峰、鷹木恵子、玉置泰明、内藤順子、縄田浩志、藤掛洋子、真崎克彦
研究会
2012年9月29日(土)14:00~18:00(国立民族学博物館 第4演習室)
関根久雄(筑波大学)「『怒り』を管理する-ソロモン諸島における開発実践と感情経験-」
メンバー全員「ディスカッション」
2012年10月13日(土)13:00~18:15(国立民族学博物館 大演習室)
小國和子(日本福祉大学)「共感と合理:インドネシア南スラウェシ農村灌漑の「水守り人」の意義と機能を事例に考える」
質疑応答
鈴木紀「嫉妬と妬み:メキシコの参加型農村開発のサステナビリティ(自立発展性)を巡って」
質疑応答
2013年2月2日(土)13:00~18:15(国立民族学博物館 第4演習室)
縄田浩志(総合地球環境学研究所)「村入りで『感情的になる』:現地調査の流儀をめぐって」
質疑応答
白川千尋(国立民族学博物館)「感情と信頼関係-青年海外協力隊の事例より-」
質疑応答
2013年3月2日(土)13:00~18:15(国立民族学博物館 大演習室)
《共同研究『NGO活動の現場に関する人類学的研究―グローバル支援の時代における新たな関係性への視座』(代表:信田敏宏)と合同開催》
藤掛洋子(横浜国立大学)「連帯から分裂へ-パラグアイ農村部における国際協力活動より(1993-2013)」
質疑応答
上田直子(横浜国立大学/JICA)「援助とソーシャル・キャピタル-中米シャーガス病対策からの視察」
質疑応答
研究成果

本年度第1回研究会において関根久雄(筑波大学)は、ソロモン諸島における農村開発事業を事例として取りあげ、現地の人々が開発に関わる事態を前にしていかにして「怒り」の感情を抱き行為化させるのか(感情経験、感情実践)、どのように怒りを管理しているのか(感情の文化的管理の実践形態)ということについて考察し、人々の感情経験と開発プロジェクトの実践活動との接点を明示した。
第2回研究会では、小國和子(日本福祉大学)がインドネシア南スラウェシ農村における灌漑水路管理における「水追い人」に係る事例に注目し、現地の人々がプロジェクトの過程で経験する近代合理性と社会的リアリティとの葛藤において生み出される社会的感情(例えば「共感」)が人々の行為や関係にどのように作用し、プロジェクトの持続性に貢献しうるかについて考察した。また鈴木紀(国立民族学博物館)は、メキシコで実施された国際協力機構(JICA)の農村開発プロジェクトのフォローアップ研究のデータを取りあげ、それを人々の感情に着目して再評価を試み、プロジェクトの自立発展性の阻害要因として感情による説明が有効であることを示した。
第3回研究会では、白川千尋(国立民族学博物館)が青年海外協力隊員に注目し、村落開発活動に関わる彼ら(彼女ら)が現地の人々との信頼関係と感情的な関係を通じて活動を展開している様相について報告した。また、縄田浩志(総合地球環境科学研究所)は調査者である縄田自身のフィールドにおける感情経験に注目し、開発人類学における実践と感情をめぐる新たな考察の視角を提示した。
第4回研究会では、藤掛洋子(横浜国立大学)が長年携わっているパラグアイ農村における実践活動を取りあげ、藤掛自身の研究と実践の往還過程において生じる現地の人々との感情的もつれについて考察を行った。また、上田直子(横浜国立大学)は中米ホンジュラスの寄生虫感染症であるシャーガス病への対策活動に注目し、援助プロジェクト終了後においても援助の成果の持続的展開が可能となった実例を社会関係資本の視点から検証し、持続性を有する援助と社会関係資本との関係を感情の視点から明らかにした。
いずれの発表、報告においても、実践活動の起点及びその様々な事象との結節点に人々の感情経験が介在していることを明確に示す好例であり、本研究会の方向性をメンバー間で具体的に共有することができた。

2011年度

研究会を2回実施し、研究代表者による本研究会の概要等に関わる基調報告を行うと共に、各メンバーがこれまでに行ってきた研究・実践等に関する成果を報告しあい、問題意識の共有を図る。

【館内研究員】 岸上伸啓、白川千尋、鈴木紀、信田敏宏
【館外研究員】 青山和佳、井上真、小國和子、亀井伸孝、佐藤峰、鷹木恵子、玉置泰明、内藤順子、縄田浩志、藤掛洋子、真崎克彦
研究会
2011年12月10日(土)14:00~18:15(国立民族学博物館 大演習室)
関根久雄(筑波大学)「研究会趣旨説明-開発実践における『感情』について-」
質疑応答
今後の研究会の方向性を含めた総合討論
2012年3月10日(土)13:30~18:30(国立民族学博物館 第4演習室)
内藤順子(立教大学)「「全人的作業」としての支援をめぐる一考察」、および討論
青山和佳(北海道大学)「未来を投企する現地人エリート-フィリピン初の保健協同組合創設者の語りより」、および討論
次年度研究会についての打ち合わせ
研究成果

第1回研究会において関根久雄が途上国開発の実践過程における人々の感情を取り上げることの意義と課題を説明し、それに対する種々意見交換を行った。客観化された感情語によってプロジェクト関係者の内面を外部化するような、現象学で言う自然的態度だけでなく、調査者によって「怒り」とか「失望」という言葉に回収される前に人々の中に湧き出ていたはずの「生きられた感情」の要素をすくい上げ、それが行為へとつながる様相(感情経験)に注目することによって、リアリティを人々の内面に近いところで捕捉することを通じてプロジェクトの過程を読み解くことを本研究会の主たる課題として指摘した。

第2回研究会では、内藤順子が「『全人的作業』としての支援をめぐる一考察」において、実感や共感といった感情的・情動的要素が開発協力の現場における事態を展開させ、また対象と現場を理解していく要素にもなっていくことを、内藤自身のチリにおける支援活動の経験から提示した。また、青山和佳は、「未来を投企する現地人エリート-フィリピン初の保健協同組合創設者の語りより」と題し、感情の共同体としての協同組合においてその創設者がメンバーや潜在的メンバーに語りかけ、その感情を惹起していく実践活動の動態を詳細に報告した。いずれも、実践活動の起点及びその様々な事象との結節点に人々の感情経験が介在していることを明確に示す好例であり、本研究会の方向性をメンバー間で具体的に共有することができた。