国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

現代インドにおける遺伝子の社会的布置に関する人類学的研究(2016-2019)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究(B) 代表者 松尾瑞穂

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究は、ポストゲノム社会の人間学としての人類学の構築を目指し、その基礎研究を開拓しようとするものである。具体的には、現代インド社会において遺伝子というサブスタンスとそれにまつわる諸実践が、いかに個と集団の関係性に変容をもたらしているのかを検討することで、科学的知識と実践が社会のなかで「共生成(co-production)」される動態を明らかすることを目的とする。
本研究が対象とするのは、生命科学の進展にともない、親子や親族といった社会関係で共有、継承されるサブスタンスが「遺伝子化」されるとともに、カーストや人種という集団の範疇が強化されたりする、遺伝子の社会的布置のあり方である。本研究では、現代インドにおける遺伝子を、歴史的、私的、公的、科学的領域の4領域の重なり合いとして総合的に把握するとともに、まずは歴史的領域と私的領域に関して重点的に検討を行う。

活動内容

2019年度活動報告

本研究は、現代インドにおける遺伝子というサブスタンスとそれにまつわる諸実践が、いかに個と集団の差異化や同定に関わるのかを、歴史的かつ社会的側面からアプローチするものである。
最終年度にあたる今年度は、これまでのフィールド調査で得られたデータと文献資料から得た知見の統合を目指した。特に、遺伝子から見えてくるものを関心の核に置きつつ、1)親子・親族関係の複数化と自然化をもたらす第三者が関与する生殖医療(third party reproduction)の実践、および2)インドにおける配偶子の選択に働く要因とその社会的背景、について検討を行った。特に2)については、これまでの調査において、宗教(ヒンドゥーとムスリム)の差異が重要となることがわかってきたため、これまでの先行研究で強調されてきたカーストと人種という軸との比較として、宗教と人種という軸をたて、20世紀初頭から現代にいたるインドにおける人種概念に関する研究について検討を行った。
あわせて、7~8月にかけてインドの補足調査を実施し、生殖医療技術の利用患者のなかでも、これまでアクセスが難しかった、ドナー配偶子/胚を利用して子どもを持った人びとへの聞き取り調査も行うことが出来た。また、都市だけでなく農村部における生命や胎児形成に関するローカルな知識(民俗生殖論)の収集を行った。
また、スペイン・グラナダ大学で開催された第11回AFIN International Conference、南アジア学会分科会、龍谷大学で開催された国際シンポジウム「Life andDeath in Contemporary South Asia」、ハワイ大学主催の9th Annual Arts, Humanities, Social Sciences and Education Conference等の国際学会にて研究報告を行い、成果公開に努めた。

2018年度活動報告

本研究は、現代インドにおける遺伝子というサブスタンスとそれにまつわる諸実践が、いかに個と集団の差異化や同定に関わるのかを、歴史的かつ社会的側面か らアプローチするものである。
今年度は、遺伝や遺伝的関係に対する社会的な認識を把握するため、人びとが抱く「血のつながり/血縁関係」(blood relations)と「遺伝のつながり/遺伝関 係」(genetic relations)との類似性と差異を明らかにした。フィールド調査という手法上、過度な一般化はできないが、それでもおおよそ、①血のつながりは 父系、母系からなる双系的で垂直・水平を含む幅広い親族関係が想定されるのに対し、遺伝のつながりは祖父母―父母―子のような直系的な親子関係が想定さ れ、両者は重なりつつも異なる範囲を示すこと、②遺伝的つながりという場合には、医療の言説が入り込み、遺伝病などの文脈で理解されやすいのに対し、血の つながりはより社会的な関係性を想起させること、②ジェンダーと階層によって想定される範囲や観念が異なること、などが明らかとなった。また、人種概念の 変遷について、カーストと人種、宗教と人種という二つの軸をたて、20世紀初頭のインドにおける人種概念に関する研究について検討を行った。
さらに、インドにおける出生と優生学をめぐって、歴史的にどのように議論されてきたのかを明らかにするため、インドから関連する研究者を二名招聘し、国際 公開ワークショップを開催した。さらに、招聘した研究者とともに、日本南アジア学会全国大会のパネルを共催し、研究報告を行うなど、成果公開にも務めた。

2017年度活動報告

本研究の目的は、現代インドにおける遺伝子というサブスタンス(身体構成物)とそれにまつわる諸実践が、いかに個と集団の関係性に変容をもたらしているのかを検討することを通して、科学的知識と実践が社会のなかで「共生成(co-production)」される動態を明らかにすることである。そのために、①社会的に共有されたサブスタンスと親子、親族関係の維持と変容との関わり、②サブスタンスを介した集団カテゴリーの同定・囲繞と差異化、というミクロからマクロの課題を設定し、遺伝子を含むサブスタンスの社会的布置を分析する。具体的には、現地調査と文献調査(一次資料分析)、理論的研究により、第三者提供配偶子の利用をはじめとする生殖医療の適用(課題①)から、19世紀から20世紀のアーリア民族説の検討(課題②)、内婚集団であるカーストの起源譚(神話)とゲノム調査(課題①と②)の3点を中心に取りあげる。
二年目にあたる平成29年度は、代表者が5月より産前産後休暇および育児休業を取得したため、前年度に収集したデータの整理・分析と、文献資料の整理のみとならざるを得なかった。本課題は一年間中断し、次年度に再開する。昨年度に実施した調査からは、カースト団体の活性化やカースト集団の起源譚の正当化・神話化・科学化など新たな動きも見えてきた。これらの新しい現象が遺伝子という新たなつながりといかに接合されていくのか、今後は検討を行う。なお、補助期間延長手続きを取り、全体としては、本研究があらかじめ定めた目標課題を確実に遂行する予定である。

2016年度活動報告

本研究の目的は、現代インドにおける遺伝子というサブスタンスとそれにまつわる諸実践が、いかに個と集団の関係性に変容をもたらしているのかを検討することを通して、科学的知識と実践が社会のなかで「共生成(co-production)」される動態を明らかにすることである。
初年度にあたる本年度の具体的な研究実績は以下の通りである。
(1)ヨーロッパ社会人類学者学会(EASA)に参加し、親族・家族研究およびサブスタンス研究の研究動向を把握するとともに、当該分野の研究者との研究交流を行い、来年度以降の本研究の方向性について明確にした。(2)インドにおいて現地調査を実施し、遺伝子政策に関する文献資料の収集と、病院およびカースト団体への聞き取りを行い、現代インドにおいて生物学的関係性がどのように社会化されようとしているのかについて、検討を進めることが出来た。(3)19世紀末以降のアーリア主義や優生学、カースト集団の生成に関する研究および人類学のサブスタンスに関する先行研究の理論的検討を行った。(4)これらの研究活動を踏まえ、国内外の研究会、学会、シンポジウムにおいて研究報告を実施した。
インドにおける遺伝子の概念は、一般にはいまだ浸透しておらず、生殖医療の現場を中心に徐々に広まりつつある。一方で、現地調査からは、カースト団体の活性化やカースト集団の起源譚の正当化・神話化・科学化など新たな動きも見えてきた。これらの新しい現象が遺伝子という新たなつながりといかに接合されていくのか、注意深く検討を行う必要がある。