国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

エジプト人空手家によるネイションの実践とグローバル化に関する社会人類学的研究(2017-2020)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究(B) 代表者 相島葉月

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究の目的は、現代中東におけるグローバル化の広がりと民衆的ナショナリズムの興隆の接点を社会人類学的アプローチによって探求することにある。エジプトで2011年に起こった1月25日革命は民主主義に基づいた国家政治の実現を掲げ、人権保護、教育や雇用などの制度をグローバルな水準に引き上げることを目指した社会運動であった。一方、2013年に軍事政権の再樹立を成し遂げたクーデターは、国際的批判を受けたものの、民衆的ナショナリズムに後押しされ、「6月30日革命」と呼ばれるに至った。二度の革命を経ても生活水準の向上が見られないエジプト社会において、都市中流層が抱くグローバル社会や海外移住への憧れとエジプト国民としての誇りの相関性を空手家コミュニティ(指導員・競技者・父兄)の事例より考察することで、制度的な政治にとらわれない日常的なナショナリズムの展開の様相を解明する。

活動内容

2020年度実施計画

・過去3年間の調査を踏まえ、先行研究レビューやフィールドノートを見直しを通じて、グローバル化の広がりと国民的ナショナリズムの興隆の関係性について解明する。新型コロナウイルスが世界中で流行していることから、東京オリンピックが延期され、エジプトへの渡航も難しい状況にある。本年度はAskZadやFacebookなどに掲載されたオンライン上の素材を分析したり、SNSを通じてエジプトの人々と連絡を取り合ったりしながら、研究を進めていきたい。
・昨年度までに行った研究発表のために準備した素材を、論文として仕上げる。
・研究成果を単著としてまとめるために、書籍の企画書を作成し、大学出版社に提出する。

2019年度活動報告

本研究課題は、ネイションを束ねる指標の一つとしてスポーツ実践に着目し、現代中東におけるグローバル化の潮流とナショナルな境界の接点を、エジプトの空手家コミュニティに関する民族誌的調査を通じて探求する。日常生活の中でナショナリズムが実践される様相を把握するために、空手道の稽古や競技会における参与観察や、メディアやSNSのコンテンツ分析を実施する。選手やコーチと言った空手道に関わる人々が、どのように個としての欲求と、社会の期待との折り合いをつけているのかを、隣地調査とデジタル素材を組み合わせたマルチサイテット・エスノグラフィーによって描き出すことを目指している。 
11月1日から12月2日まで首都カイロに滞在し、エジプト人空手家コミュニティに関する臨地調査をおこなった。エジプト伝統空手道協会(ETKF)に所属する空手家が運営する空手教室や競技会を訪問した際に、指導者や選手への聞き取り調査を実施した。今回の調査の主たる関心事は、ETKFを2011年に創設した協会会長が2018年2月に死去して以降、空手家コミュニティがどのように再編成されていくのか考察することにあった。エジプトでは1980年代に空手道が子供のお稽古事として流行して以来、昇級試験や試合に偏重した稽古が主流となった。空手道の競技人口の大多数は小学生以下の子供で、試合に参加しなくなった空手家は、道着の着用をやめ、後進の指導に専念する。亡き会長は、エジプトの空手道が「過度にスポーツ化している」と批判し、「ライフスタイルとしての空手道」をスローガンとして掲げた。成人であっても道着を着用し、稽古を継続することの重要性を弟子たちに説いた。今回の調査では、指導者ごとの教育方針と稽古スタイルの違いについて参与観察を行った。また、農村で開催された特別講習会に同行し、エジプトの都市と農村の空手家コミュニティの比較分析をおこなった。

2018年度活動報告

本研究課題の目的は、現代中東におけるグローバル化の広がりと民衆的ナショナリズムの興隆の接点を、エジプトの空手家コミュニティに関する民族誌的調査より考察することにある。日常生活におけるナショナリズムの展開やナショナルな境界の揺らぎを、空手教室での参与観察を通じて分析する。ネイションを束ねる指標の一つであるスポーツ実践に着目することで、個人の主体性と社会の関係性の解明を目指している。
 8月30日から9月1日まで那覇市に滞在し、空手道場や沖縄空手会館を訪問し、聞き取り調査を実施した。空手の発祥地オキナワを目指して海外から訪れる外国人空手家も、沖縄の空手家も、同じ芸道を志す者同士でありながら、異文化の人として出会う様子が伺えた。
 10月22日から11月21日までカイロにて隣地調査を実施した。平成30年2月にエジプトを訪れた際に、エジプト伝統空手道協会の会長が死去し、葬儀に立ち会ったため、協会組織の再編成が空手家コミュニティに与えた影響が気になっていた。亡き会長は「ライフスタイルとしての空手道」をスローガンとして掲げ、成人であっても道着を着用し、稽古を継続することの重要性を弟子たちに説いた。子供向けのクラスは順調に生徒数を伸ばし、盛況な雰囲気であるのに対し、中高生や成人向けのクラスは閑散としていた。国内外から空手の指導者を招いた、特別講習会が頻繁に開催されていることから、日常的な稽古に力が入ってないような印象を受けた。講習会の企画者は、カリスマ的な会長が亡き後、新しいリーダーを中心に、協会組織をまとめるようにつとめていた。選手層は、他のアラブ諸国からの空手指導者との交流よりも、言葉が通じるエジプト人の指導者との日常的な稽古を欲しているように見えた。いずれにしろ「ライフスタイルとしての空手道」から、再び、試合中心の稽古に戻りつつある。

2017年度活動報告

本研究課題の目的は、現代中東におけるグローバル化の広がりと民衆的ナショナリズムの興隆の接点を、社会人類学的な視座より探求することにある。都市中流層が抱くグローバル社会や海外移住への憧れとエジプト国民としての誇りの関係性を空手家コミュニティ(指導者・競技者・父兄)の事例より考察する。制度的な政治にとらわれない日常生活におけるナショナリズムの展開の様相を参与観察を通じて分析することで、グローバルな潮流とネイションの境界の接点およびスポーツ実践における個と社会の関係性の解明を目指している。
平成29年度は、2月にフランスとエジプトで3週間程度の臨地調査を実施した。1970年代よりパリ在住の日本人空手家と面会し、フランスにおける空手道の歴史や空手家コミュニティの現状に関するインタビューを行った。中東・北アフリカからの移民を多数受け入れていることを反映して、空手教室にもアラブ系の子供が多く、熱心に稽古を行っていることが確認できた。カイロでは空手教室での参与観察に加え、エジプト伝統空手道協会会長の葬儀に参列して聞き取り調査を実施した。
今年度は昨年度まで行った研究課題の成果発表を行う機会に多く恵まれた。日本発祥の格闘技に関する研究会(5月3日、バース)とアメリカ人類学会の格闘技に関する企画セッション(12月2日、ワシントンDC)に加えて、研究代表者が企画した文化のグローバル化に関するワークショップ(2月10日、パリ)で研究発表を行った。11月10日にはオクスフォード大学セントアントニーズカレッジにおいて、エジプトの都市中流層にとって空手実践はグローバル社会の潮流にのる試みであるという趣旨の招待講演を行った。