国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

超常認識と自然観をめぐる比較心性史の構築(2018-2022)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|基盤研究(A) 代表者 山中由里子

研究プロジェクト一覧

目的・内容

近世以前、ヨーロッパや中東においては、人魚、一角獣といった不可思議だが実在するかもしれない生物や現象は、「驚異」として自然誌の知識の一部とされた。また、東アジアにおいては、奇怪な現象や異様な生物・物体の説明として「怪異」という概念が作りあげられてきた。本研究は、自然界の直観的理解から逸脱した「異」なるものをめぐる人間の心理と想像力の働きを、「驚異」と「怪異」をキーワードに、比較心性史的な視点から考察する。
どのような事象が「驚異」や「怪異」として認識され、どのような言説や視覚表象物として表れたのか、背景にどのような自然観があるのか、なぜ特定の事象が広く、永く伝承され続けるのかといった点に注目し、自然界と想像界の相関関係の歴史的変遷とその基層にある心性メカニズムを、学際的・多元的視点から究明する。これにより、近代合理主義の行き詰まりを乗り越える、新たな環境思想への展望を開く。

活動内容

2020年度実施計画

本年度は新型コロナ・ウィルスの感染拡大の関係で、分担者各自の成果発表の場となるシンポジウムも時期未定で延期や中止となっており、計画が立てにくい状況にある。
海外研究協力者らを招いたワークショップは、状況が許せば年度後半に開催する。
兵庫県立歴史博物館において特別展示を開催し、超自然的なものをめぐる人間の想像力の働きを理解するうえで最も効果的な視覚化を通して、研究成果の社会的な還元を行う予定であるが、状況によっては開催が見送られる可能性がある。
昨年度に引き続き、メンバー各自が国内外の文献、伝承、美術品、民族資料などの調査を行い、集めた関連データや資料を集積する。移動の規制が長期化するようであれば、テレワークやオンライン会議に必要な機器を各自整備し、様々な文化圏・時代の驚異・怪異観念を相互比較する研究会をオンラインで開催する。

2019年度活動報告

「驚異」と「怪異」をキーワードに、主としてユーラシア大陸の東西の文明圏において、「自然」と「超自然」、もしくは「この世」と「あの世」の境界に立ち現れる身体・音・モノが、伝承・史料・民族資料・美術品などにどのように表象されているかを考察してきた。この成果を代表者山中と分担者山田の共編で『この世のキワー<自然>の内と外』(勉誠出版、2019年)にまとめ、文化的・歴史的事象としての驚異・怪異ーすなわちmirabilia, ajaibなどの訳語としての「驚異」と、怪・恠異・あやかし・物の怪などとして一次資料に登場する「怪異」ーの多様な事例を、地域や時代のバランスも考慮して紹介した。分担者・研究協力者も含め、計25名の執筆者は文学作品や美術作品、またはフィールド調査データの綿密な分析を通して、それぞれの時代・地域の自然観における驚異・怪異の位置付けや、隣接概念との関係性を解いた。また、個々の論考で採りあげた事例が、驚異と怪異の文化史のどの時点に当てはまるのか、同時代に他の文化圏で何が起こっていたのか、といった巨視的な展望を得るための見取図として比較年表を作成した。
上記の文化事象としての驚異・怪異に対して、日本語での分析概念としての<驚異>と<怪異>の意味範囲の「磁場」も浮かびあがってきた。すなわち、<驚異>とは時間的・地理的・心理的に遠い未知の(その原因が合理的に説明できない)珍しい事象で、博物学的な興味の対象となるような自然物や現象であるのに対して<怪異>は身近なところでも起こり得る、あるいは見慣れた日常の何かがずれるからこそ異常性が際立つ、常ならざる存在・現象といえる。
さらに、驚異・怪異の基層にある人類に普遍的な心性メカニズムを探るため、国立民族学博物館所蔵の民族資料を調査し、超常的な存在や異なるものを人が想像する際のイメージ形成のパターンを検証し、特別展として公開した。

2018年度活動報告

驚異・怪異を、不思議・稀・奇跡・魔術・妖術・自然・超自然といった隣接概念との関係性において明らかにするべく、メンバー各自が国内外の文献、伝承、美術品、民族資料などの現地調査を行った。専門領域が歴史・文学・美術・文化人類学・民俗学・宗教学を含む学際的なメンバーの手法を有機的に結び付け、様々な文化圏・時代の驚異・怪異観念を相互比較するために、a. 神と自然、b. 身体性、c. 時空間、d. 生物相といった比較の主軸を意識しながら研究を進め、定例研究会において相互検証を行った。
 驚異や怪異を、メンバー各自の専門の時代や文化圏における自然理解の中に位置づける考察を行った結果、「自然/超自然」という二元的な枠組みの妥当性を疑問視するに至った。人は、直観的な自然理解を逸脱する、不可思議な物事の出現のつじつまを合わせるために、何らかの見えない力の介在を見出してきた。近代以前の一神教世界ではそれは「神」(キリスト教世界では近世以降は「悪魔」の存在感も強くなる)であり、東アジアでは「天」や「気」であった。既存研究では、それらの存在をおしなべて「超自然」という言葉で捉えがちであったが、「超自然」が西洋近代的な"nature"の概念ベースにのっとったものであり、近世以前の宇宙観・自然観を論じる相応しいとは限らない言葉であるという認識に至った。
 東アジアの怪異を ヨーロッパや中東の驚異と対比させた結果、怪異は 「自然vs.脱自然・超自然」という対置構造の中で理解されるべきでなく、むしろ「常vs.異」、もしくは「理vs.理外 」(道理vs. 道理を逸したもの)のせめぎあいとして捉えるべきであろうということが分かってきた。