国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

語圏によるNPO、NGO国際ネットワークの研究――言政学を目指して(2007-2010)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|基盤研究(B) 代表者 出口正之

研究プロジェクト一覧

目的・内容

人々の「生活空間」が、地理的な制約に極度に依然していた前世紀までと異なり、近年は、インターネットの世界的な発展によって、NGO(非政府組織)等による国境を越えた連携が「日常的に」かつ容易に行われるようになった。また、その影響もきわめて大きくなってきている。また、ブログなどの新たなネット情報の公共圏が誕生し、急激な拡大を見せ、従来、マスメディアが果たしてきた世論構築の役割に対して、これらの動きも、学問的な意味を考察する必要が出てきた。
「言政学」(Linguapolitics)とは、研究代表者が世界に先駆けて提唱したものであり、地政学の地理的な「生活空間」に代わる「言語空間」の社会科学的意味を考えるための体系を目指すものである。実際に、最近のNGO(非政府組織。本申請書では非営利団体NPOと区別しないで使用する)等の連携にとって、国境の持つ意味は極めて薄くなってきており、グローバルな連携が強まっている。しかし、その実態がどのようなものであるかは、なかなか明らかされていない。本研究は、インターネット時代の連携が、「言語」という基本的な媒介手段で行われることに着目し、そのことに伴う団体等の連携や分断の影響を探るものである。なお、言政学の定義は、研究代表者によって<複数の「言語」が使用可能な状況の中で、1つ又は複数の「言語」を取引言語として選択する前後に生じる、社会的な影響を考察する学際的科学>である、としている。

活動内容

2011年度実施計画

本年度が最終年に当たるため、これまでの研究を総括し、国際的なコミュニティでの研究成果の発表に努める。これまでも研究に参加していた、小林登志夫(総合研究大学院大学研究員)、谷川清隆(国立天文台研究員)、五月女賢司(国立民族学博物館機関研究員)を研究協力者として追加する。
7月 国際NGO研究での最も権威ある国際学会ISTRの世界大会で研究成果の発表(イスタンブール)(出口)。
8月 中国(昆明、北京)、インド(デリー、チェンナイ)第一次言政学調査(西村)。
7-12月 第三次 国内NGO調査。中国語圏、韓国語圏、英語圏、日本語圏のNGOの情報の収集。
11月 第二次言政学に関して国際研究集会(米国ボストン)で、研究成果の発表。(広瀬)
12月 インドのマンガロール郊外のニッテで開催される国際研究集会で研究成果の発表。(出口)
1月 最終報告会(駒澤大学で開催。出口・西村・広瀬・小林・谷川・五月女 大阪から外部3人)
3月 言政学理論に基づく報告書(英文、日本文、点字)を印刷・製本。

2010年度活動報告

本年度は、最終年で、成果の一つとして、Springer社から、書籍を出版した。世界的な研究者であるHelmit Anheier ハイデルベルク教授から序文で言政学の有効性について評価を得た。第一次言政学については、中国とインドの事例を中心に国際NGOの共通語として使われている英語の役割を問いつつ英語自体がグロービッシュとして用途に応じて変化している現状を調査した。地方語と標準共通語の関係をグラムシの文化ヘゲモニーの概念を用いて論じ、「ハブ言語」の概念をグロービッシュ(Globish)としてしばしば言及される英語に適用し、標準英語から派生する多岐にわたる地域語としてすでにアジアで勢力をもつSinglish, Konglish, Indian EnglishなどとしてGlobishをとらえ、その事例を具体的に中国およびインドのNGOにおける調査で報告した。英語がすでにメジャー言語でありつつも地方色を帯びつつあり、それでいて相互に理解可能なグロービッシュとしての発展しているものの、英語を母語とする人々の間でも下町英語(Cockney), アメリカ合衆国のBlack Englishなどのような特有のグロービッシュがあるように、新たな分野ではサイバースペースにグロービッシュの地方言語がつくりあげられつつある。メジャー言語の地方語の生成は英語にかぎらず北京官話(マンダリン)やスペイン語、ポルトガル語などにも共通する現象であった。活性化し拡大する国際NGOではまさに現場で働く人々がこのような言語の多角化にすばやく対応している最前線で対応していることが示された。さらに、国際NGOとしてのグッゲンハイム美術館(米国、スペイン、ドイツ、イタリアに美術館を有する)に関する事前調査を実施し、将来の一層の研究の手掛かりを得た。また、国内NPOの言語価に関する地道な調査を実施した。第二次言政学については、点字について大きな研究の進展がみられ、「触る」という受容感覚器に着目し、点字は「触覚言語」として、言政学の中にくみこめた。

2009年度活動報告

今年度は第二次言政学において著しい進展があった。国際シンポジウム「点字力の可能性ーー21世紀の新たなルイ・ブライユ像を求めて」(於国立民族学博物館)を開催。そこで言語の受容器官から、聴覚言語、視覚言語、触覚言語に分け、点字の触覚言語としての特性を明らかにした。また、このことから、盲聾者の使用する、「触点字」「触手話」の「字」と「話」の区別が無意味であることを明らかにした。
こうした第二次言政学での研究成果の発展は第一次言政学においても大きな影響を与えた。使用言語の選択は政治的選択であり、資金源を国内だけでなく海外のファンダーにももとめる国際NGOの場合、活動地域、NGOの本拠地、ファンダーのいる地域などが異なりしばしば複数の言語を使うことを余儀なくされる。世界言語として流通している英語の場合、さまざまなコンテクストにおいてその重要性が変わってくることが確認された。たとえば中国語(北京語)を公用語とする東アジアの中国、香港の国際NGOにおいては英語が海外のファンダーとの間のネットワーキングには欠かせない。メールなどでも英語は使用されることが多いが、活動地域間のNGO支所や現場とのやり取りでは急速に地域言語である広東語などの地位が低下し、かわって北京語が実際の活動地域間の取引言語となってきている。だが上海や北京などの都市部では教育ある若い層を中心にボランタリズムを海外との取引言語としてとらえようとする人々が増えており、彼らが希望する英語でのコミュニケーションやセミナーにたいする需要は高まっている。南アジア(インド)では国際NGOにあっては英語の使用度が圧倒的に高いものの、地域言語の重要性が活動地域内で重視され、その比重は増している。だが政治的な選択として現地地方政府が推進する地域言語化に対しては、一般には否定的である。一般大衆およびNGOスタッフにおいては英語に対する信頼度が高く活動地域の村落部であっても英語が使用できるバイリンガルスタッフの地位は高くインターネットの普及とあいまって直接海外のファンダーと取引ができる言語としての英語のネットワークは現地政府の思惑とは逆に強まっている。

2008年度活動報告

第一次言政学に関して、出口は5月に米国に出張、アジアを含む世界3000人が集まるNGOの国際会議(COF主催)に参加し、参加者にインタビューを行った。また、7月には、ビルバオの多言語状況を調査後、バルセロナの国際学会で、参加者に対するアンケート調査を英語、フランス語、フランス語で実施した。西村は、パリ(フランス)、ビルバオ、バルセロナ(共にスペイン)、マレーシアと精力的に調査を行った。また、国内NPO,NGOに対して、言政学的な調査を実施した。
第二次言政学については、出口が米国の国際点字研究センター(5月)、日本点字図書館(2月)を訪問、英語と日本語の標準化問題に関する最新の状況の把握に努めた。廣瀬は3月に米国に出張し、主として、博物館・美術館における展示の言政学的調査を実施するとともに、英語の「点字から墨字」に転換するソフトウエアの研究状況を調査した。研究成果の発表に関しては、出口と西村は、バルセロナでの国際学会ISTRでこれまでの成果を口頭発表した(レビュー付き採択。7月)。
理論面では、言政学的ネットワークを可視化する科学的な手法について、研究を継続している。その際、「言語価」(Linguapolitical Valence)を(1)組織ベースで定義する場合、(2)個人ベースで定義する場合の科学的な厳密性について、自然科学者とも議論を行った。特に、神戸への新築が計画されている理化学研究所の第3世代PCクラスタのスーパーコンピューターによって言政学的モデルが構築可能かどうか、検討を開始した。
こうした中で、今年度の大きな焦点の一つは、言政学的観点からみた「日本語表記の変化」である。研究チームは言政学的観点から日本語はハイブリッド化が避けられないと予想していた通り、オバマ大統領の就任演説に関する見出しに、日本語の日刊紙である朝日新聞が、Inaugurationという英語をそのまま使用したり、演説そのものを英文で記載したりするなど、言政学的な配慮が社会で頻繁に見られるようになった。

2007年度活動報告

本年度は、研究代表者及び分担者が、基礎概念の確認をしたのち、中国をフィールドに、出口が日本語で中国語訳をつけて、また、西村が英語で中国語の通訳を付けずに、中国NGOのネットワーキングの調査を行った。手法はsnow-bowling approachであるが、その結果、中国語訳でのNGOは、ネットワークが進むにつれて、政府系NGO(GONGO)に近づき、英語での調査は、逆に反政府系NGO(Anti-NGO)に近づいて、両者のアプローチで中国NGOの姿が大きな違いを見せることを明らかにした。ごく僅かな事例研究であるが、言政学的な手法が社会科学上大きな意義を示す成果となった。このことを「言政学的誤謬」(Linguapolitical fallacy )という新概念を創出した。また、第二次言政学担当の廣瀬は、世界の点字情報が集まる、ニューヨークライトハウス等を訪問し、点字の国際情報の収集に努めた。また、海外研究協力者については、ヘルムート・アンハイアーUCLA教授の来日が実現し、立教大学において、「グローバリゼーションのなかでの、文化の社会デザイン~NPO研究から言政学へ~」のシンポジウムを開催するとともに、出口とアンハイアー教授は同じく海外研究協力者のSeung, Mi-Han教授によって延世大学に招かれ、言政(Linguapolitics)の発表を行った。その結果、言政学とは「諸文化とグローバリゼーション」の間の標準化と軋轢に係る問題を言語を中心に端的に表現した用語であることが明白になった。したがって、「グローバリゼーションに伴う諸文化の軋轢の問題」を「言政学的一般問題」(Linguapolitical general issue)と呼ぶことにした。