国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

インド商業集団(マールワーリー)の研究、グローバル経済と地域社会の結節点として(2009-2011)

科学研究費補助金による研究プロジェクト|基盤研究(C) 代表者 中谷純江

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究の目的は、全インドにおいて商業・金融業を掌握し、近代セクター資産の半分以上を握るといわれた商業集団「マールワーリー」に焦点をあて、彼らを輩出したラージャスターン州シェーカーワト地域社会について分析することにある。マールワーリーは、16世紀頃から北インド各地や南インドに進出をはじめ、商業活動の基盤を築いた。そして、19世紀から20世紀初頭には、主要な貿易都市ボンベイとカルカッタを中心に、産業化の過程で他の商業集団を圧倒する成功をおさめ、インドを代表する産業資本家へと成長をとげた。独立後のインド経済においてマールワーリー民族資本が占める割合は抜きに出て高く、民間経済における彼らの影響力の大きさはしばしば指摘されてきた。しかし、彼らの進出先での経済活動について言及したものを除くと、実のところマールワーリー社会についての研究はほとんどない。本研究では、マールワーリーの出身社会をあつかう。後にインド各地に進出し、マールワーリーとよばれるようになる人々が、シェーカーワト地域各地の商業町を活動拠点とした18世紀頃から、産業資本家となって故郷を離れる20世紀半ばでの間の、商業コミュニティの人々の社会経済的活動を明らかにする。

活動内容

◆ 2009年、鹿児島大学へ転出

2009年度実施計画

本研究で明らかにしようとするのは、(1)商人と支配者の関係、(2)商人と地域社会との関係、(3)商人コミュニティ内部の社会関係、の3点である。申請者は現在までの研究において、シェーカーワト地域のチュールーという商業町を選び、町の形成過程やその変容について調査をすすめてきた。チュールーはビカネール藩王国内で最も栄えた商業町であり、王と密接な関係をもち、パンジャーブやベンガル、ビルマなどで交易活動に従事していたポダール(Poddar)商人の本拠地である。これまでの調査によって、ポダール家の商売日誌や帳簿、王やイギリス政府に宛てた書簡などが地元施設に保存されていることがわかった。これら一次資料は商人文字やペルシャ語で記されている。また、町の歴史や有力商人に関して郷土史家が記したヒンディー語の二次資料もみつかっている。これらの資料にもとづき、支配者とポダール家との間でやりとりされた金品や情報について、また、様々な商人が競い合うように地域社会に対しておこなった貢献(井戸や寺院やその他施設の建設)について明らかにする。商人によって設立された公共施設やその跡地を調査し、運営に関わる人や利用者への聞き取り調査もおこなう。(3)に関しては、商人家族の多くが保持している家系図を参考にする。また、地元には商人家族の記念碑(chatri)があり、先祖の名前や死亡年代が記されている。家族司祭のもとには過去帳も保存されている。これらの資料と家族への聞き取り調査から婚姻関係やネットワークを明らかにする。
これまでの研究から(1)と(2)に関する文書資料の所在がつかめているので、ヒンディー語の資料に関しては、独自に読解をすすめる。また、商人文字で書かれたものについては、現地研究者の力を借りる予定である。現在、この文字を読める人は現地でも少なくなっているが、すでにこの資料を読み込む仕事をおこなっている郷土史家の存在がわかっている。その人物との議論を通して、この資料を本研究にとりいれる可能性や方法をさぐる。こうした文書資料の研究と平行して、初年度は(3)の婚姻ネットワークについて現地調査をおこなう。まず彼らが婚姻関係を結ぶきに何を重視してきたのかを知るための調査をおこなう。例えば、商売の規模や種類、出身地、現在の経済状況など、婚姻相手の選定に重要となる基準を複数家族における参与観察や聞き取り調査に基づいて明らかにする。その結果を参照して、翌年以降に調査対象とする家族を選定する。