国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

ローレル・ボッセンさん
Laurel Bossen

紹介者:岸上伸啓(先端人類科学研究部)
開発とジェンダーの人類学―グアテマラから中国へ

ローレル・ボッセンさんは、シカゴで生まれ育ちました。現在はカナダのモントリオールにあるマッギル大学人類学部の準教授です。彼女の専門は開発とジェンダーに関する文化人類学的研究で、これまでグアテマラと中国において調査をしてきました。

子育てと学業の日々

ボッセンさんは、シカゴ大学の1 年生のときに同級生と結婚し、19 歳の時には女児を出産しました。ボッセン夫妻はアルバイトと子育てに追われながら、大学で勉強を続けたそうです。夫のナーサンさんがコロンビア大学から奨学金を得たために、家族でニューヨークに転居、ボッセンさんもコロンビア大学に転校して、歴史学で学士号をとりました。

その後、ナーサンさんがモントリオールにある企業に就職したためにカナダへ。ボッセンさんも1 年間、企業の秘書として働いたそうです。しかし、かねてから男女間の不平等について疑問をもっており、文化人類学を勉強することを思いたちました。そしてニューヨーク州立大学オールバニー校の大学院に入学したのです。彼女は、カーマック博士の高地グアテマラのマヤ文化に関する講義に感銘を受け、考古学の発掘調査に参加しましたが、発掘よりも発掘現場を見にきたり、ソフト・ドリンクを売りにくる現地の人に関心をもちました。早速、マヤ人の家族に下宿をお願いし、彼らの男女分業について調査をし、修士論文を書き上げました。

博士課程へと進学したボッセンさんは、スペイン人による植民地化や後には米国の影響を受けて、マヤ人の女性の役割が変化し、地位が低下したという仮説を立て、グアテマラの4 つのコミュニティで現地調査を実施しました。その成果をもとに博士論文を書き上げ、それは『再分業―4 つのグアテマラ・コミュニティにおける女性と経済的選択』(1984)として出版されています。

グアテマラから中国へ

1978 年に博士号を取得したボッセンさんは、ピッツバーグ大学やマッギル大学で講師や助教授を務めた後、1990 年からマッギル大学の準教授になりましたが、研究の転機が1980年代にありました。

グアテマラでの1976 年の大地震、その後の政治的に不安定な状況下で、マヤ人の村は武装し、人類学者が殺されたり、殺されそうになる事件が多発しました。そのためボッセンさんは現地調査をあきらめざるをえなくなりました。

1981 年に夫の仕事の関係で、ボッセンさんは香港と広東に数日間立ち寄る機会がありました。そのときに街の市場でみた農民の立ち居振る舞いに興味を覚えました。当時、彼女は中国語をひとことも話すことができませんでしたが、モントリオールに帰ると、さっそく中国人留学生からや大学の夜間コースで中国語を学びました。そして幸運にも1980 年代の半ばになると、中国が開放政策を進めたために、中国での現地調査も可能になりました。

ボッセンさんは、雲南省の2 つの村と湖南省の2 つの村で調査を行いました。とくに1930年代から1990 年代にかけての中国農村部における土地制度や農業経済における女性の地位や役割、婚姻制度、男女の人口比がどのように変化してきたかを調査しました。その結果、彼女は、国家による革命政策、改革政策、出産政策が次つぎと実施されてきたにもかかわらず、農村部においては男尊女卑的な価値観が根強く存続しており、女性の社会経済的な地位や役割も大きく変化していないことを発見しました。そして2002 年には『中国人女性と農村開発』という本を出版しました。

ボッセンさんは、2005 年1 月から5 カ月間、民博において中国農村部における土地と人口の問題をジェンダーとの関係から研究する予定です。また、開発援助に関するワークショップを2 月と6 月に開催する予定です。

夫婦いっしょに

ボッセンさんが子供を育てつつ、学業にも専念し、その後、大学の教員・研究者として第一線で活躍してこられた背後には、40 年間つれ添ってきた夫のナーサンさんの理解と協力がありました。現在、ナーサンさんは仕事を引退し、ボッセンさんとともに来日しています。ご夫妻は気さくで、話好きな方です。また、テニスやサイクリングを趣味にしています。

ローレル・ボッセン
  • ローレル・ボッセン
  • Laurel Bossen
  • 1945 年生まれ。
  • カナダ・マッギル大学人類学部準教授。
  • 2005年1月から6月まで国立民族学博物館外国人研究員(客員)教授。研究テーマは、中国農村部における土地制度と人口の問題。
『民博通信』第109号(p.28)より転載