国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「世界を食べる日本」:ペルー編 アホ臭くない

佐藤吉文

飛行機を乗り継いで約20時間。日本人が最も訪れてみたい世界遺産「マチュ・ピチュ」を擁し、日本のほぼ裏側に位置する国、南米ペルー。日本からもっとも離れた国のひとつであるが、この国と日本とは日系人を通じてつながっている。1821年の独立後、国内の労働者不足に見舞われたペルーは、1849年から74年にかけて中国人、そして1899年から1923年にかけて日本人を契約移民として受け入れた。これを契機にその後もペルーに渡った日系移民の数は、第二次世界大戦までに総計約33,000人にのぼる。そしていまや、ペルー政府から「日系ペルー人」と認定されている彼ら移民とその子孫の数は、89年の政府調査で45,644人、しかし実情は8万人を超えると推定されている。

では逆に、日本に滞在しているペルー人の数はどのくらいだろうか。出入国管理統計によれば、2003年末の時点で公式登録されている在日ペルー人は53,649人で、その多くは関東地方や東海地方で主に製造業に就労している。当然、彼らの営むペルー料理店や食料雑貨店も関東や東海に多い。あるインターネットサイトによると、日本でペルー料理を提供する店は少なくとも約150軒あり、そのうち6割以上が関東圏で営業している。

ペルー料理
魚介類のセビッチェ。ペルーでは他に、「鶏肉のセビッチェ」などのバリエーション料理がある。
[写真1] 魚介類のセビッチェ。ペルーでは他に「鶏肉のセビッチェ」などのバリエーション料理がある。
ペルー南部アレキパ地方の名物料理「ロモ・サルタード」。
[写真2] ペルーの名物料理「ロモ・サルタード」。
『クスコ』の「アロス・コン・レチェ」。
[写真3] レストラン『クスコ』の「アロス・コン・レチェ」。
ペルー料理は基本的に日本人の口に合うものが多い。代表的なものをあげれば、すりおろした黄色トウガラシやニンニクを混ぜ込んだレモン汁に魚介類をつけてマリネにした料理「セビッチェ」[ 写真1]。辛いが、週末に昼間からビールをひっかけながら食べると最高である。生魚を食する機会の少ない海外旅行中にこうした料理を食べることができるのは、サカナ大国日本に生まれた者としてうれしいことこの上ない。また、トマトと牛肉、タマネギを細長く切って炒め、フライドポテトを加えて、すりおろしたニンニクとしょうゆ、酢、塩、コショウで味を調えた「ロモ・サルタード」は、トマトや酢の酸味がタマネギの甘みや牛肉、しょうゆの香ばしさと絶妙にマッチして、白いご飯のお供として最高である[ 写真2]。さらに「パパ・レジェーナ」ときたら、まさにコロッケである。だから、アンデス文明に魅せられてペルーを訪れた食に対して保守的な年配ご夫婦の方々も、食事に安心して観光旅行を満喫できるわけである。

しかし味の濃淡がはっきりしているペルー料理には、日本人にとって受け入れがたい面もある。たとえば、南高地では「ロコト・レジェーノ」という名物料理がある。見た目はピーマンの肉詰めだが、なめてかかるとひどい目にあう。ピーマンに見えたロコトは激辛トウガラシの一種で、ひとたびかじるとしばらくは口の中が痛くて仕方がない。逆に、デザートは甘ったるいことこの上ない。「ススピロ・デ・リメーニャ(「リマ娘の溜め息」の意)」は、本当に溜め息が出るくらい甘いのだ。さらに個人的には「アロス・コン・レチェ」が苦手である。一言で言うと、甘い牛乳がゆである。また、味はともかく、料理によく使われる動物の内臓部分の見た目の悪さと臭いを苦手にする人も多いだろう。


クスコ
いまでこそ約150店のペルー料理店が日本全国に散在し、日本に居ながらにして本格的なペルー料理を楽しめるようになってきたが、30年前にはそうはいなかった。その黎明期に大阪梅田で誕生した一軒のペルー料理店がある。それが『クスコ』である。インカ帝国の首都の名前を掲げるこの店は、1973年友人の誘いでペルーに渡って料理を学んだシェフ上岡さんが1976年3月にオープンした、今年で30年周年を迎える老舗である。

だが、『クスコ』で提供される料理は、ペルー料理であってペルー料理ではない。上岡さん曰く、「『クスコ』のペルー料理」である。現在40種類ほどのメニューを誇るが、ペルー料理を日本で提供するにあたって、上岡さんは様々な障害を乗り越えてきた。たとえば、先程紹介した「パパ・レジェーナ」だが、簡単な料理に見えてこれがなかなか難しい。材料であるジャガイモの種類が異なるからである。日本でジャガイモといえば男爵やメークインだが、ジャガイモの原産国ペルーには3,000種類から4,000種類ものジャガイモがある。ペルーの人たちは、料理によってこれらのジャガイモを使い分けるのである。上岡さんによると、日本のジャガイモで「パパ・レジェーナ」を作る場合、つなぎにひと工夫しないと油に入れた途端ばらばらになってしまうという。こうした困難を上岡さんは試行錯誤の末に克服し、日本のジャガイモを使った「パパ・レジェーナ」の商品化にこぎつけたのである。

また、辛味が強い点、ニンニクを多用する点、いわゆるホルモン系の部位を利用した料理も、上岡さんがペルー料理を日本に紹介する際に克服しなければならなかった点だ。たとえば、「アンティクーチョ」という牛の心臓やレバーを串焼きにしたクスコ地方の料理や「はちのす」と呼ばれる豚の内臓をつかう料理がある。これらを提供する際、上岡さんは直接的に内蔵を指す語をメニューに載せないようにしたり、臭みの少ない別の部位で代用したりした。また、梅田のオフィス街で働く人たちが気軽に食べられるように、辛味やニンニクの量を控えた調理を心がけた。いわば「アホ(スペイン語でニンニクを指す)」臭くない料理に仕上げたのだ。一方で、本場の味を知りつくして物足りないお客にはすりおろしたトウガラシやニンニクを別に出して、それぞれが自分の好みに合わせて味を調節できるようにした。すべては、ペルー料理を愛してやまず、それを少しでも広めたいという上岡さんの熱意の表れである。ちなみに、筆者の苦手な「アロス・コン・レチェ」もこの店ではひと工夫されている。ライスプディング風に仕立てることによって、見た目と食感を変えているのだ[ 写真3]。


キノアとカムカムと紫トウモロコシ:日本人の健康志向とペルー
つぎに、ペルー料理からペルーを中心とした南米アンデスの食材に目を転じて日本における消費のあり方を見てみよう。

さまざまな情報メディアを見渡してわかるように、いま日本人の多くが自らの「健康」に多大な関心を払っている。そして、「医食同源」という言葉が示すとおり、「健康」維持に不可欠とされる食品が毎日のように紹介されている。こうした世相を反映して、ペルーをはじめとした南米アンデスの食もまた「健康」をキーワードに消費が拡大しつつある。

たとえば、カムカム(Myrciaria dubia)は、ペルーアンデス原産のフトモモ科の植物で、その果実は世界一のビタミンC含有量を誇るといわれて注目されている。また、日本のトンブリに似たアカザ科の雑穀キノア(Chenopodium quinoa)は、アメリカ航空宇宙局NASAがその高い収量率と栄養価に注目しているとして話題となり、いまや健康食品のひとつとしてスーパーの米売場で古代米や玄米と並べておかれている。最近では、某社の人気健康茶にもキノアがブレンドされ、『クスコ』でもスープやライスにキノアが使われている。

「チチャ・モラーダ」をビールで割った『クスコ』オリジナルの「チチャ・ビール」。他にも「チチャ・カクテル」がある。
[写真4] 「チチャ・モラーダ」をビールで割った『クスコ』オリジナルの「チチャ・ビール」。他にも「チチャ・カクテル」がある。
さらに『クスコ』では、「健康」をキーワードにアピールしている商品がもうひとつある。紫トウモロコシから作られる「チチャ・モラーダ」である。「チチャ・モラーダ」はペルーで一般的な清涼飲料だが、その原材料である紫トウモロコシに先頃話題になった黒豆を凌駕するアントシアニンが含まれているということで脚光を浴びるようになった[写真4]。こうしたペルー原産の食物のさまざま効用については、『クスコ』のホームページ (http://www.cuzco.co.jp/) にも簡単な解説がつけられており、食材だけでなくペルー料理もまた「健康」という観点から消費されつつある。

ペルー料理は、日本ではまだまだなじみの薄い料理である。しかし既に見たように、「健康」という先進国固有の病を克服する手段として、その食材は徐々に家庭の食卓に近づいてきている。それが定着するかどうかは、お茶の間の主婦たちを納得させる効用と調理の手軽さ、そして価格の低さかもしれない。


[参考文献]
細谷広美(編著):『ペルーを知るための62章』明石書店、東京、2004
[取材協力]
ペルー料理店『クスコ』:大阪府大阪市北区堂島2-1-16 Tel:06-6341-0945