国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:ビルマ編 日本文化としての居酒屋  ― ビルマ・在日経験者にとっての日本料理と日本人 ―

飯國有佳子

ヤンゴン市街
[写真1] ヤンゴン市街地の様子
ビルマ(ミャンマー連邦)を訪れる観光客のほとんどが利用する、首都ヤンゴンの国際空港に降り立つと、まず独特のにおいと湿気を含んだ生暖かい空気の歓迎を受ける。「ビルマにやってきた」という実感を得る瞬間である。これから出会うであろう様々な事柄に思いを馳せながら、車窓を過ぎる景色を眺めていると、街中へと向かう国道の左手に、「Izakaya」とかかれた大きな看板が目に入る(2003年12月当時)。

この「Izakaya」と書かれた大看板は、ヤンゴンの在留邦人の間でもちょっとした噂になっていたという。ビルマの在留邦人数は、1997年頃の700人前後をピークに下降の一途を辿っているため、在留邦人をターゲットに営業する日本料理店の数は少なく、中でも日本人の「口にあう」といわれる日本料理店は1、2店に限られる。これらの店は日本並みの価格であるため、筆者を含む現地の物価水準に馴染んでいる者にとっては、簡単に行くことのできない高嶺の花となっている。そこで本企画の取材として、日頃お世話になっているお礼も兼ねて日本留学経験を持つアウンさん、チョーさんご一家と、日本人女性と結婚し日本とビルマを行き来するソーさんご一家を、くだんの「Izakaya」に招待することにした。

一軒家を改造した店は奥行きがあり、元は車寄せに使われていた表のテラスでも食べられるとのことだったので、表で食べることにした。出されたメニューには、日本食を知らない人でも一見して分かるように、一つずつ料理の写真が付され、下にはビルマ語と共に、英語の説明やローマ字表記の日本語が書かれている。ビルマ語で「OKONOMIYAKI」が「日本風ピザ」と紹介されているなど、どのように日本料理を翻訳しているか、眺めているだけでもおもしろいが、揚げ出し豆腐、焼きおにぎり、焼き鳥、コロッケ、餃子、サラダなどなど、居酒屋の定番メニューがたくさん並んでいるのに驚かされる。「メニューを見ているだけで、日本の生活が思い出されて、懐かしくなってくるね」と熱心にメニューに見入るアウンさん、チョーさん、ソーさんだけでなく、「ヤンゴンでこんなに安い値段で、日本食が食べられるなんて」と、ソーさんの奥さんも筆者も興奮気味であった。また、メニューの豊富さだけではなく、その価格設定にも驚かされた。生鮮食料品は安く購入できても、だしや味噌、しょうゆ、酒などの調味料はそもそも手に入りにくく、また入手できても日本より高い値段であることが多い。それにもかかわらず、現地の物価に馴染んでいるものでも比較的手の届きやすい、非常に良心的な価格設定がなされていた。

オーダーを終えてしばらくすると、ビルマ語と日本語を交えながら話す私たちの様子をみて、フロア・マネージャーが話しかけてきた。彼によると、店は開店してまだ8ヶ月ほどしか経っておらず、オーナーは「日本帰り」の金持ちであるという。筆者とソーさんの奥さんが日本人であることが知れると、コックは日本人ではないが、ヤンゴンにある複数の日本食レストランで修行を積んでいるため、味は折り紙つきであると話してくれた。

そうこうするうちに料理が運ばれてきた。焼きおにぎりは、炊いた米にゴマと少しのしょうゆが混ぜ込んであるため、味も風味もしっかり付いている。表面には味噌が塗られているため、味噌の焼けた香ばしさが加わり非常に美味であった。日本食を食べたことのないアウンさん、チョーさん夫妻の一人娘も、おいしいおいしいと食べていた。また、「お好みで味噌かしょうゆをつけて食べてください」と出された揚げニンニクを、筆者は食べたことがなかったのだが、あまりの美味しさに、日本に帰ったらさっそく注文してみようと思うほどであった。アウンさんも、焼き鳥をほおばりながらビールを飲み「幸せだよ。料理もなかなかいけるね」と上機嫌だ。店で最も良く出る人気メニューは、レバニラ炒め、キムチ炒め、焼き魚で、訪日経験のある人々の間で「懐かしい」と評判になっているとのことだった。このように、日本で出しても全く遜色ないメニューがある一方で、信仰上の理由で口にしない人がいる豚や牛のかわりに、鶏肉でコロッケや餃子を作るなど、少しアレンジの加えられたメニューもあった。特にコロッケは、鶏肉のミンチにマサラ(ターメリック)の風味が付けられており、横にチリソースが添えられていた。マネージャーに「ビルマ風コロッケだね」と告げると、「最初はマサラを入れていなかったのですが、客が入れてくれというので、入れるようになりました。店でどんな料理を出すかは、ビルマの風土に合わせているので。コロッケの場合は、日本人がきたらマサラを抜くようコックに指示していますが、日本人以外なら入れています。今回は日本人じゃないから入れたというより、私がコックに何も言わなかったのです」と話していた。

托鉢
[写真2] 人口の80%が上座仏教を信仰するミャンマーでは、托鉢に来る僧侶の日々の糧を準備するのは、在家の人々の役割となっている。
ここで取材の目的を話し、もう少し詳しい話を聞きたい旨を告げると、店の共同経営者の一人であるナインさんが応対してくれた。流暢な日本語を話すナインさんは、7年5ヶ月日本に滞在する間に、居酒屋の厨房で働いた経験を持ち、厨房の仕事は好きだったという。帰国後、やはり厨房での勤務経験のある友人5人で集まって時折飲みに行っていたが、他人の店で飲むと高くつくため、いつしか5人で集まって店をしようと話しあうようになっていった。そして自分たちのように、日本食を恋しいと思う在日経験者や在留邦人向けに、安価な日本食を提供しようということになったという。また、ナインさんは開店後の経験として、次のような話をしてくれた。「たまに看板を見てやってくる日本の方から、『これは日本食じゃない』と文句を言われることもあります。でも、店の名前である「Izakaya」は、『みんなが居酒屋感覚で入れるように』という意味でつけているのです」。

一部のメニューについては、コロッケのように思い描いていたものとは微妙に違った品が出てくることは確かである。しかし、上記の発言をした日本人には、メニューの微細な違い以上に、居酒屋メニューは「日本料理」ではないというイメージがあったのではないだろうか。ここから日本人が「日本料理」としてみなすものを考えることは、日本の食文化を考える上で興味深いといえる。ところが、くだんの日本人のように、「日本料理」としての居酒屋メニューが否定されようとも、われわれはそこでの飲食を通してコミュニケーションを図っており、居酒屋が「飲みニケーション」を展開する上で、重要な場となっていることまでは否定できない。「Izakaya」という店名には、居酒屋に代表される飲食を通じた気軽なコミュニケーションの場と、安く、早く、うまいものを提供したいというナインさんたちの気持ちが込められている。こうしたナインさんたちの意図は、日本社会の一側面を的確に捉えたものであるといえよう。また客に応じて出す料理の内容を変えるという細やかさは、ビルマの他の料理店で見られるようなものではない。手に入る限られた材料の中で、ビルマの人々の好みを踏まえつつ、一方で日本人の好みに合わせてなんとかやっていくという戦略性は、長期に渡る日本滞在の経験の中から習得されたものでもあろう。

一説には2、3万人ともいわれるが、1995年半ばの時点で在日ビルマ人はおよそ1万人に上るという[田辺 1996]。最近は名古屋など他の都市への拡散傾向も見られるが、自分の持てる限りのつてを辿ってやってくるため、そのほとんどが東京に集中することとなる。新大久保周辺にはビルマ食材店やビルマ料理店が並び、リトル・ヤンゴンと呼ばれる新宿近くの中井には、マンションの一室を借りて作られた僧院もある。ナインさん曰く「アラブ系と違い、ビルマ人は日本人と顔が似ているから、ある程度日本語ができれば接客業につくことが可能」であるため、居酒屋やパチンコ店などで働く人が多いという。「Izakaya」は在日ビルマ人が就労を通して経験した日本文化の一側面を体現した場所といえるのではないだろうか。


[協力店]
IZAKAYA Restaurant: No.6, Pray Road, 9-mile, Mayangone T/S Tel: 662388
[引用文献]
田辺寿夫:『ビルマ「発展」のなかの人びと』、岩波書店、1996