国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:中国編 愛のネタはすし飯に乗って ― 中国バレンタイン寿司―

長沼さやか

[写真1]
[写真1]メニューの写真より。メニューには日本語表示もある。となりでとぐろを巻いているのはサーモン。
[写真2]
[写真2] 日系スーパー「ジャスコ」では、日本食材や調味料などがそろっている。こちらでも寿司は売られている。
「これ、なんのスシ?」
回転するプレートのうえのプラスティック皿を指さして、中国人の友人がいう。
「いっそ私が聞きたいよ」
あやうく口に出しそうになった。鮮やかなミドリ色の魚卵がのったぐんかん巻きは、不思議の旅へのパスポートか。ある意味、極上のネタにはちがいない。
中国のスシ屋はたいていが回転している。だから、私が出会った中国人の友人はみな、寿司屋は回転するものだと思っている。くるくる回っていて、「ハオワン好玩」(おもしろい)という。

別の知人は言った。
「スシっていうのは、ありゃなんだ。あんなまずいもの、よく喰えるな」
悪いが私とて、中国のスシはお世辞にもうまいとは言えない。回転しない寿司屋を知らないあなたには言われたくない、と思う。
マヨネーズの海に溺れるサーモンの変わり果てた姿。正体不明の海草と、赤い魚卵を混ぜ合わせたピリ辛な惣菜は、ファンキーなカツラのように、シャリのオシャレを演出する。キテレツなスシの数々が、目の前のプレートに乗って回転してゆく。そのうえ、回転の速度も日本より速い。これも中国仕様なのだろうか。

私をスシ屋にさそってくれた中国人の中年女性は、生ものが食べられない。生ものが嫌いなら、無理をして誘ってくれなくても良かったのにとも思うが、故郷忘れがたき日本人の私を思いやっての好意だろう。ありがたく受けることにした。おかげで素晴らしき中国スシ体験ができたことも、感謝しなければならない。食事のあいだ彼女は、流れるスシを右から左にやり過ごしては、火の通ったスシはないかとしきりにたずねてきた。彼女に限らず、中国人のほとんどが、食材を生のまま食べることを嫌う。しかし、香港経由でもたらされた日本食ブームの波は、大陸をも容易に飲み込んだ。ブームと習慣。両者のせめぎ合いを経て、スシもおのずとその中身を変えた。摩訶不思議な中国スシ誕生の裏側にはおそらく、苦悩のすえの異文化受容と試行錯誤があったに違いない。

スシ屋のメニューを見るのがまた、おもしろい。目に鮮やかなスシたちの数々が、ステキな写真入りで紹介されている。頼めば板前さんが、その場で握ってくれる。そんなシステムは日本直輸入であるが、握られるスシは日本人の発想も追いつかないほどの斬新さにあふれている。なかでもひときわ目に付いたのが、バレンタイン限定「款款情深寿司」。

あえて訳せば、「アットホームで深い愛をたたえたスシ」とでもいうのだろうか。この「款款情深寿司」、さすがバレンタイン限定である。ハート型のすし飯なのだ。そのうえには、派手なオレンジ色の魚卵がこれまたきれいに、ハート型にかためられ、さらにうえには半分に切られたイチゴが仲良く左右に飾られている。もちろん、果物のイチゴである。いやまさか、すし飯のうえでイチゴに出会えるとは。甘酸っぱいというより、酸っぱいだけの体験になりはしないだろうかと、余計な心配までしてしまう。ともあれ私は、この「款款情深寿司」を注文した。しかし、残念ながら人気商品ですでに売り切れだといわれてしまった。人気なのか。嬉しいような、がっかりしたような、複雑な気分だ。ひとつ15人民元という値段は、日本円にして230円にも満たないが、現地の金銭感覚でいえばおおよそ1,500円に相当する。なかなか値が張るが、それでも売り切れるほど人気とは、驚きである。

中国でもバレンタインデーは「情人節」といい、都市部では西欧から入ってきた恋人たちの日とされている。この日は、男性から女性に花が送られ、愛の言葉が囁かれる。回転スシで「款款情深寿司」を囲みながら、深まる愛を囁く恋人たちも、いるのかもしれない。