国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:イスラエル編 お洒落な日本食の願い・・

錦田愛子

[写真1]
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世界中に離散していたユダヤ人が集まり作った国イスラエルは、食文化に関して開放的である。エスニック料理は人気があり、アジアでは日本のほかにタイ料理や韓国料理などのレストランがある。値段はほかの料理に比べてとりわけ高いというほどではないが、そもそも外食すること自体がこの国では割高なので、東・東南アジア系の出稼ぎ労働者の姿を客として見かけることはあまりない。むしろ彼らは板前となり、カウンターの向こうで寿司を握る側である[写真1]。

エルサレムに11年前にできた「さくら」は、自称「イスラエルで最初にできた日本料理屋」である。西エルサレムの目抜き通りであるヤッファ通りから一歩入った小路にあり、今でも根強い人気を誇る。テルアビブにも支店をもち、日本人もよく足を運ぶ。開店当初のメニューはやはり寿司中心だったそうだが、今ではうどん、そば、餃子などレパートリーが広がっている。最近の新メニューはラーメンで、こちらもなかなか好評の様子。

「うちは日本料理を本来のスタイルで提供しているので、日本からのお客さんにも懐かしく感じてもらえるはず」とは店のマネージャーの言葉である。内装にもこだわりが見られ、テーブルや椅子は木製で、カウンター席の奥の棚には招き猫や大きな一斗樽が飾られている。そもそも店の入り口にかかっている「営業中」との日本語の表札が、日本人にはなんとも懐かしい。こちらはごく最近導入したとのこと。

[写真2]
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だが店内の大きな水槽で泳ぐのがネタの魚でなく金魚だったり、ジャズ音楽がかかっていたりというあたりは、日本ではない独特のアレンジである。味噌汁とサラダは前菜扱いで、味噌汁にはレンゲがついてくる。バリエーション豊かな巻き寿司は、視覚的効果も狙っているらしく、海苔が内側に巻き込まれて外側はアボガドやサーモンなどが華やかに巻かれていたりする。この「裏巻き」バージョンはイスラエル国内の他の店でも一般的である。外側にはごまや青海苔などさまざまな具が使われる。手巻き寿司は一本ずつ、アイスクリームのようにスタンドに立った姿で登場してきた[写真2]。

大型の炊飯器で炊いたご飯を目の前で握ってくれるせいか、米はふっくらとして味のほうも申し分ない。一貫300円ほどはするのだが、握りのネタが日本だと特上クラスの大きさなのはうれしい。ユダヤ教徒には禁制品であるはずの海老、イカなどのネタもある。ここでは宅配サービスも受け付けており、筆者らが食べている小1時間ほどの間にも何便か、忙しそうにパックに詰めた巻き寿司を配達に出かけていた。

世俗的な都市テルアビブでは、日本料理は「寿司バー」と称する店でアルコールと一緒に出てくる。そのうちの一軒「ジャパニカ」は中心街のディゼンゴフ通りに1号店を構える。「イスラエルでは寿司はいまやファースト・フード感覚。うちでは値段を安く抑え、若者をターゲットにしているの」と最近開いた2号店で働く女性は語ってくれた。ここのオーナーも30代の男性。モダンで清潔感のあるカウンターの奥には度数の強いアルコールのボトルがずらりと並べられていた。

[写真3]
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この店では料理がイスラエル人の口に合う味付けにアレンジしてある。そのうちのひとつ「ジャパンコ」[写真3]は、なんと太巻きを油で揚げたメニューである。8個で25シェケル(600円程度)と通常の太巻きより高いが、試しに注文してみると思いのほか美味しかった。衣の部分に甘辛いたれがしみこませてあり、新鮮な味わいである。ここではお皿は白い陶器で、見た目も美しく盛り付けられていた。

よりきめ細かいメニューまで揃って高級志向なのは、テルアビブ・シネマテーク近くの「大波(おおなみ)」である。カウンターの奥、中央の台には同様にアルコールの瓶が揃い、板前の隣りでセクシーな格好の女性が注いで出している。数ページもあるメニューには、他店ではあまり見られないちらし寿司や軍艦巻きもあり、うなぎや牛焼肉、鳥の照り焼きをのせたお重は漆器の箱で出てきた。店自体が広く大盛況なので、包丁を持つ手は休む暇がない。「眠らない町」テルアビブらしく、夜の9時を過ぎても後を絶たず客の姿が増え、店内は活気に満ちている。誕生日とおぼしき客がいると、カウンターの奥で「どら」が鳴らされ、花火のともったお皿が運ばれてくる。その瞬間だけテーブルは注目を浴びるが、他の客はすぐに自分たちのおしゃべりに戻っていく。カップルもいるが、むしろ4~5人連れのグループが多く、老若男女さまざまな客層が入り混じっていた。

店員のお勧めに従い頼んだ「かわはぎの天ぷら」は、外はかりっと、中はほっこりと揚がった絶品。サービスに「チョーヤをどうぞ」とおちょこの梅酒を出してくれた。「いなりスペシャル」は変り種で、揚げた「いなり」に細切れの刺身を乗せて、底を軍艦巻きのように縛ってあった。あとの太巻き、細巻き、握りはスタンダードだが、広めの木の皿の上にあふれんばかりにぎっしり盛り付けてある点が違う。これらの皿があっという間に完成されて、飛ぶように席に運ばれていた。

[写真4]
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だがこの店での圧巻メニューは、なんといっても刺身の舟盛りである。立派な船の形をした木の器に、刺身を盛りつけ、その舳先にはにんじんを切って作った釣り人の人形がちょこんと座っている[写真4]。しかもその釣竿の先には、刺身の魚がぶらさがって揺れているという芸の細かさ。なんとも見事なできばえには、カウンター客もしばしおしゃべりを中断し、注目を集めていた。

イスラエルでは最近、日本語や日本文化に対する関心が高まっているという。またイスラエル人と結婚して移り住んでいる日本人も多く、これらの日本料理屋はそうしたカップルが主に経営しているようだ。だが従業員には日本人はほとんどいない。インティファーダ(パレスチナの対イスラエル闘争の激化)以降、パレスチナ人労働者がイスラエル側の領土に働きに来れなくなって、今では東南アジアからの出稼ぎ労働者が中心に働いている。

ちなみに同国内に位置するパレスチナ自治区には、日本料理屋はまだない。アラブ料理以外のレストランとしては、行政的な中心都市であるラーマッラーに中華料理屋がある程度である。ピザやパスタなどのイタリア料理はやや軒数が多い。これはアラブ人が食に保守的である上、自治区が治安上「危険地域」に指定されて外国人が足を運びにくいためと考えられる。新鮮な魚など、日本料理に不可欠な食材が、自治区入り口にあるイスラエル軍の検問所で搬送を妨げられるなどリスクの問題もある。

日本人も、バックパッカーや少数の国連・NGO職員などを除けばパレスチナ自治区にはほとんど来ない。また彼らもイスラエル側が行政権を握るエルサレムに拠点を置くことが多いため、「ご近所の常連客」をつくるのは難しい状態にあるのだろう。こうした状況が改善され、美味しい日本料理屋がパレスチナ側にもできるには、紛争による対立が緩和し、人々の移動や物の流通がより自由になる日を待たなければならない。平和なくして食産業の発展もないことを、パレスチナの現状は示しているような気がする。