国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

「日本を食べる世界」:ハンガリー編 ハンガリーの日本食事情

大塚奈美

中央ヨーロッパに位置するハンガリー共和国。ハンガリー人のことは、現地語ではマジャル人といい、周りの国々とは全く系統の異なる言語を話す民族である。ハンガリーでは日本人のことを、「親戚」として親しみを持つ人も多く、こちらが日本人と知ると、熱心に語り始めたりすることも珍しくない。日本もハンガリーと同様、人の名前を、姓・名と「ひっくり返さず、まともな」順でいう点は共通しているし、塩味が足りないことを「ショータラン」というなど、言葉の上でも思わぬ相似点が見られることがある。

こんなハンガリーであるが、決して日本のことがよく知られているとは限らない。ステレオタイプの「さむらい、はらきり」はお約束のように言及されるし、無理のないことではあるが、東アジア人は外見からの区別がつきにくく、まずは中国人と思い込まれることも日常茶飯事である。近年、より多くの分野でその存在が知られるようになってきたとはいえ、まだ、ハンガリーでは日本・日本人の認知度は低い。

さて、ハンガリーでの日本料理。首都ブダペストには日本料理店が何軒かある。これらの日本料理店は、主に日本人駐在員などを対象にしていると思われる。これらの高級日本料理店の目玉はやはり、世界に知られる寿司であるといえそうであるが、現在のハンガリーは内陸国。新鮮な魚は手に入りにくい。必然的に、高い輸入魚に頼らざるを得ず、そうでなくとも値の張りがちな寿司はかなりの贅沢品となっている。寿司以外の品も高額なものが多く、街角にたくさん見かける中華料理のカフェテリアが、安価なことを売りに地元の人々に受け入れられ、繁盛しているのとは対照的である。ブダペストの日本料理店は、現地の多くの人々に対してと同様、留学生として滞在する筆者にはかなり敷居が高い。

ブダペストの日本料理店に足が向かない理由は価格だけではなかった。立地的にも、駐在員たちの多く住む山の手の高級住宅地にあり、都心を拠点とする筆者には、そこまで行くだけでも一仕事である。そんな中、ふとしたきっかけで、都心近くに、少し趣の異なる日本料理店を発見した。店構えからして、ありがちな、エキゾチシズムを全面に出したものとは一線を画しており、掲げてある値段も内容も良心的に思えた。一度入ってみたいと思わせるような店であった。

[写真1]
[写真1] 鯖寿司
[写真2]
[写真2] この店では、ハンガリー人も調理場に立っている。
[写真3]
[写真3] 内陸国ハンガリーではなかなか味わえない一品「鮪のヅケ丼」。ハンガリー人はこれにトンカツソースをかけて食べることもある。
その日本料理店主は元商社勤めのサラリーマン。自らの駐在員としての体験から、駐在員が故郷の料理でほっとできるような場を提供したいと思うようになったのだそうである。そのためには、一度にあまり大勢のお客を受け入れることも不可能である。本当の味を、本当に必要としている人に味わってもらうために、各種メディアには極力載せない方針とのこと。学校が近かったために偶然通りかかった筆者は幸運であった。

自家製の鯖寿司[写真1]など寿司の類もあるが、気軽に注文できる家庭料理も豊富である。調理は店主だけでなく、修行を積んだ地元の若者も担当する[写真2]。餃子や炒め物、押し寿司などを小さなカウンターの向こうで手際よく作っていく。鮪のヅケ丼など、ハンガリーではなかなか食べられない献立もあるが、月に一度くらいなら少し奮発すれば手の届かない値段ではない。味も日本で食するそれと変わりはない。周りの客は多くが日本人。家族連れもいれば、サラリーマンのグループもいる。ハンガリー人は少数派であるが、彼らにとって、ここの正統派ともいえる日本料理は逆に物足りないこともあるようである。辛いものは辛く、甘いものは甘いというはっきりとした味付けや、スパイスを十分に効かせた料理を好む人が多い。[写真3]また、緑茶にレモンと砂糖を入れて飲むというのもよく見られることである。緑茶に限らず、紅茶に砂糖を入れないのも当地の人たちには珍しいようで、砂糖はいらないというと、本当にいらないのかと何度も念を押される。「レモンと砂糖が入っているのをお茶と呼ぶのだ」と、無理やり入れられることすらある。

2004年には、日本料理店の競合する地域に、ハンガリー初といわれる回転寿司の店がオープンした。この店は所有者も店長もハンガリー人、板前は東南アジアの人である。店はこぎれいで、モダンな内装。寿司や料理を載せたベルトが回り、客は好きな皿を取って食べる。ここでは寿司だけでなく、アジア風の各種料理を出しており、彩りがよく楽しい雰囲気を醸し出す。量は好きなだけ食べられ、時間制限もない。日本料理を期待して行った日本人は満足できないかもしれないが、価格もちょっとしたレストランに行くことを考えれば格段に高いというわけではないことから、地元ハンガリー人でいつもにぎわっている。店名は寿司を意識しており、座敷なども日本風に造ってあるが、掛軸に書かれた文字の内容まではこだわらなかったようだ。そこには、レストランという場所には不似合いな『南無阿弥陀仏』の文字が。街を行く若者達のタトゥー(刺青)と同様、漢字が書かれていることそのものが日本風でかっこいいのかもしれない。トイレの男女の標示が浮世絵風の男女の絵で、地元の人たちには見慣れないためにトイレの前で右往左往する人も。

この回転寿司レストランよりも少し早く、ドナウ河畔の都心に日本料理(寿司)店ができた。オープンテラスのある開放的な雰囲気はこれまでの日本料理レストランとは異なり入りやすい雰囲気を出しており、ここも日本人以外がかなり入っているようである。ハンガリーでの日本料理はこれからも発展していきそうである。