企画展「アジアの境界を越えて」 | 展示紹介
※所蔵先のかかれていないものは国立民族学博物館蔵です。
- 黒釉天鶏壺(こくゆうてんけいこ) (大阪市立東洋陶磁美術館蔵)
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青磁刻花蓮弁文碗(せいじこっかれんべんもんわん)など
(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)
- 高句麗広開土王碑拓本 (国立歴史民俗博物館蔵)
- 広開土王の事跡を記した高句麗の碑文。百済・新羅をもとの属民とみる文章や倭との交戦記録があり、高句麗の世界観・天下観があらわれている。404年(永楽14年)に倭が進入したので高句麗がこれを破った、などの記事がみえる。
- 銅雀台瓦硯(どうじゃくだいがけん)(松前町教育委員会蔵)
- 1485年(文明17年)にサハリン経由で松前家の祖先に伝えられたといわれる硯。銅雀台とは三国時代の魏の曹操が築いた建物のこと。室町時代のアムール川、サハリン、北海道経由の交易、交流を物語る資料。
- 蝦夷錦(国立歴史民俗博物館蔵)
- 「蝦夷錦」とは江戸時代に松前藩からもたらされた中国製の絹織物のことで、この資料はいわゆる「赤地牡丹型」と呼ばれたもの。松前藩はサハリンでアイヌや「サンタン人」と呼ばれた大陸の商人から手に入れていた。
- 『夷酋列像図』イコトイ像
- 『夷酋列像図』は松前藩家老の蠣崎波響(かきざきはきょう)が描いた『夷酋列像』の写本の一つ。イコトイは当時道東アイヌの中心地だった厚岸の最有力者で、この図では蝦夷錦の上に紅いロシアの外套を着た姿で描かれている。
- 永寧寺記碑拓本 (市立函館博物館蔵)
- 1413年(永楽11年)に、現在のアムール川最下流のティル村に当たるヌルガンの地に建てられた永寧寺の建立の経緯を記した碑文の拓本。当時中国の明王朝はヌルガンに都指揮司(としきし)という役所を設け、ニヴフやアイヌなどのこの地域の住民を支配した。
- 女性用衣服(魚皮製)
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シロザケの皮をつづった生地を裁断し、布で装飾を施した女性用の上衣。魚皮は防水性が高いことから、漁の時の作業着に使われることが多かったが、晴れ着に仕立てられることもあった。
ロシア連邦沿海地方
- 白樺樹皮船
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カラマツ材とトウヒ材の骨組みを白樺樹皮でくるんだボート。軽く持ち運びやすい上に丈夫で水面での安定性も高い。このボートは大型なので100kg程度の荷物を積むことができる。
ロシア連邦ハバロフスク地方
- モン族の刺繍「ストーリー・クロス」
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モン族がラオス・タイを経て第三国に定住するまでの受難の移住史を元難民が多色の綿糸で刺繍したもの。
タイ王国ペッチャブーン県
- 結納用の銀の延べ棒
- 銀を動産として貴重品とする観念が中国から移住後も保持されてきたことを物語っている。モン族やミエン族のもとでは今でも結納用に使われている。
- 楽器「蘆笙(ろしょう)」
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6本の管をもつリード楽器で、中国・タイのモン族のもとで人生儀礼に不可欠。中国から移住の後も保持されるとともに、演奏技術の交流が今も行われている。
中国雲南省文山県。
- 銀製首飾り
- タイ王国チェンラーイ県。
- 評皇券牒(ひょうこうけんちょう)(南山大学人類学博物館蔵)
- 1974年、白鳥芳郎博士の率いる上智大学調査団が、タイ王国ランパーン県ガオ郡で入手し将来したもの。祖先の由緒、免税や山中居住などの特権、官位の賜与などが漢字で書かれ、ミエンの 人々のアイデンティティの拠り所となっている。
- 儀礼を執り行う祭司
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ミエン(ユーミエン)族は漢族から道教を受容し、その宗教は道教的色彩が強い。「掛燈」(クヮタン)などの功徳造成儀礼、祖先祭祀・葬儀などさまざまな儀礼を執り行う。漢字で書かれた経文(個人蔵)、鐘を手に持っている。
タイ王国ナーン県。
- ラフ・ナ女性衣装
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「黒ラフ」とも呼ばれる。黒色を基調とし、銀製装身具を身に付けている。なお、ラフ族が移住の途上でラフ・ニ(赤ラフ)というサブグループが派生した。
タイ王国チェンラーイ県。