国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Nepal 2007年7月19日刊行

池谷和信

● ヒマラヤで「狩猟採集民」に出会う

ネパール西南部に広がる山地。標高は2000m余りで高くはないが、どこまでも山並みが連なっている。急斜面にはみごとな棚田が展開して、山腹には小さな集落が点在している。私は、そんな光景を目にしながら、調査助手とともに山道の上り下りをしていた。今年の3月末のことである。

私は、ネパールの「狩猟採集民」については書物で知る程度であった。ラウテという人びとがサルを中心とする狩猟をしていて、木製品と交換して穀物を入手しているという。2001年の統計によると、彼らの人口はわずか658人である。私たちは、道沿いの家に立ち寄ったが、「数日前にいた」「あそこでキャンプをしていた」というようなことしか聞けなかった。出会うことの難しさから、彼らが村を持たない移動の民であるということを痛感させられた。

出発してちょうど8時間がたった頃、彼らが製作した1辺が50㎝ほどある四角い木箱を運ぶ青年に出会った。ラウテから現金で購入したばかりであるという。早く行かなければ次のキャンプ地に移動してしまうのではないか、私たちは早足になった。それから1時間後、木製品の仕上げを終えようとしているラウテの男性たちに会うことができた。女性たちは遠くのキャンプにすでに移動したあとで、たき火の跡や家屋の骨組みの木が残されていた。

助手がネパール語で私を紹介してくれた。彼らはお互いラウテ語で話していて、一部の青年がネパール語を話すことができるのだという。不安はあったが、彼らは私の訪問を受け入れてくれた。青年は、鉄製のV字型のカンナを使って、木箱の面を平らにする作業をしている最中であった。別の青年は、平板を組み立て、木箱ができあがりつつあった。荷物を肩に背負い、キャンプを出発した男性もいた。

残された2つの木箱。ひとつは私が購入して日本に持ち帰った。もうひとつが、なかなか売れない。彼らは、この木箱を売りさばかないと移動できないのだという。結局、長い交渉のすえ、すぐ近くの雑貨屋の主人が買い上げた。きっと彼の表情から値切られたのだろうと思ったが、購入が決まると何か唱えごとをしたあとに、店のものをねだって手に入れるというしたたかな光景をみた。その後、若者たちは腹ごしらえのためか、鍋に残された米を食べた。なかには、きのこなどが入っている。まったく農業をしない彼らは、木製品を販売して米を入手しているのだ。

私が彼らに与えた日本製の1箱のタバコは、珍しいようであった。若者たちがまわして吸ったあと、ふた手にわかれ、最近2つに分裂したキャンプ地に持っていくというので、残りは均等に分けられた。キャンプ内ではさらに分配されるのだろう。

現在、世界の途上国のなかで移動する多くの人びとは、政府の政策の影響もあって定住生活をしている。そんななか、年中、移動を続けているラウテに出会ったことは驚きでもあった。現在、彼らは素材となる原木が減っていることが悩みの種であるという。彼らの生活を尊重した開発のあり方はないものか考えさせられ、その場所を跡にした。

池谷和信(民族社会研究部)

◆参考写真(2007年3月池谷撮影)

写真1 ラウテの人びと1
写真1
写真2 ラウテの人びと2
写真2

写真3 ラウテの人びと3
写真3

◆参考サイト
ネパール概要(日本外務省)