国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

北パキスタン諸言語の記述言語学的研究(2015-2018)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究(A) 代表者 吉岡乾

研究プロジェクト一覧

目的・内容

北パキスタンは幾つもの系統の言語が多々入り乱れている地域であるが、それらの言語の記述研究はこれまでにも少なく、今現在も研究者が多くない状況にある。
本研究は、ギルギット・バルティスタン自治州フンザ・ナゲル県モミナバード村などで話されている、消滅の危機にある言語であるドマーキ語を中心にしつつ、インドまで跨る周辺言語も併せて、現地調査によって得られたデータを基に言語記述をしていくことを目的とする。ドマーキ語の他に研究をする言語は次の通りである:ブルシャスキー語(GB州フンザ・ナゲル県、同ギズル県、インド領カシミール)、シナー語(GB州ギルギット市など)、コワール語(GB州ギズル県、カイバル・パクトゥンクヮー州チトラール県)、カラーシャ語(KhP州チトラール県)、カティ語(KhP州チトラール県)、カシミーリー語(インド領カシミールなど)。

活動内容

2018年度実施計画

本年度の目標はブルシャスキー語(東方言)の記述文法の仕上げと、ドマーキ語の文法スケッチの仕上げである。
その目標のために、初春、年度の前半でドマーキ語の現地調査へ赴き、記述上の不明瞭な部分に関して、細かな確認を行う。ブルシャスキー語に関しては、昨年度時点ではフンザ谷、ナゲル谷の方言のみに絞っての執筆としていたが、フンザ谷方言を中心に、ナゲル谷とスリナガル市ボタ・ラージ地区の方言とを含めた記述を目指す。近年調査が少し難しい西方言(ギズル県ヤスィン谷などの方言)に関しては、今年に入ってから外務省の危険度レベルが引き下げられているが、今目指している記述文法に盛り込むことは考えず、調査可能であってもデータの蓄積をする程度とする。目標に掲げている両対象言語に関しては、文法記述に耐えるだけのデータの蓄積が既にあるので、物語収集といった継続的なデータ集め以外には、大掛かりな文法調査などを行わない。寧ろ、原稿執筆に注力する。場合によっては、ブルシャスキー語の細かな点に関して、日本国内の母語話者に調査協力を仰ぐ可能性もある。
上記の二言語と並行するかたちで、インド側カシミールのスリナガル市における(ブルシャスキー語と)カシミーリー語の調査、並びに、パキスタン北西のカイバル・パクトゥンクヮー州におけるカティ語、カラーシャ語の調査も、原稿の進捗と相談しつつ、可能な範囲内で進める。これらの言語に関しては、まだ文法事項の確認が済んでいない部分も多く、一次データも不足しているので、文法調査をしつつデータを増やす方向性で調査を進めることとする。他の仕事や気候との兼ね合いもあるが、インド側カシミールとアフガニスタン北東部やパキスタン西部の政情とも相談しつつ、前者を夏、後者を晩秋辺りに実施する予定である。但し飽くまでも、今年度は文法執筆を中心にし、現地調査を必要以上に精力的に行うことは避ける。

2017年度活動報告

本年度は現地調査を6月(パキスタン北東部ギルギット・バルティスタン自治州フンザ・ナゲル県フンザ谷;①②)と、7月(インド北西部ジャンムー・カシミール州スリナガル市;③④)の計2度実施し、主に以下の内容で調査成果を挙げた。①ブルシャスキー語フンザ方言の語彙・物語収集を行った。②ドマーキ語の語彙・物語収集を行った。③ブルシャスキー語スリナガル方言の文法調査、語彙・物語収集を行った。④カシミーリー語の文法調査を行った。
①ブルシャスキー語フンザ方言に関しては、物語、歴史語りの録音、録画を中心に、発話データを増やすことを目指した。前年度のスリナガル調査の際に聞き取った歴史語りと同じ史実について語って貰い、両側の歴史観の対比を試みようと考えたのだが、いずれも聞き及んだ記憶に頼っているわけではなく、台本となる歴史書が手許にあるらしく、大差はなかった。
②ドマーキ語も発話データを増やすつもりで、物語の録音、録画を中心に進めた。10年振りくらいでナゲル谷のドマーキ語話者の元へも訪れ、物語を収集したが、同行していたフンザ方言話者に聞かせても半分ほどしか分からなかったとのことなので、方言差は予期していたよりも大きそうである。但し、ナゲル方言の男性話者は残り1名しかおらず、宗教的理由から女性話者とは会えないため、今後の調査の方針を早く、よく練らないと、ナゲル方言の詳細調査は難しいであろう。
③スリナガル市のブルシャスキー語調査は前年度の続きであった。新たな発見としては、若年層が名詞クラスのシステムを大幅に違えていることの発見である。本来の体系の中の、「具象物」・「抽象物」という2クラスを、「動物」・「具象物」・「抽象物」という3クラスに再編していることが判明した。
④カシミーリー語に関しては、節連結表現の調査を中心とした。成果公開は、国際学会で1回、国内学会・シンポジウムで2回口頭発表をした。

2016年度活動報告

本研究は、パキスタンのギルギット・バルティスタン自治州フンザ・ナゲル県モミナバード村などで話されている、危機言語であるドマーキ語を中心にしつつ、周辺言語も併せて、現地調査によって得られたデータを基に言語記述をしていくことを目的としている。
本年は現地調査を夏(インド北西部ジャンムー・カシミール州スリナガル市;①②)と秋(パキスタン北西部カイバル・パクトゥンクヮー州;③)の計二度実施し、主に以下の内容で調査成果を挙げた。①ブルシャスキー語のスリナガル市内での話者集団の所在を探り当て、基礎語彙・物語の収集などを行った。②カシミーリー語の基礎語彙の収集をした。③カティ語ならびにカラーシャ語の文法調査、談話データ収集、語彙・例文収集を行った。ドマーキ語などの調査は、初春にパキスタン北東部へ行く予定であったが、政情の乱れがあったため見送った。
①スリナガル市のブルシャスキー語に関しては、先行研究で存在は示されていたが、具体的な居住区画の記述がなかったため、現地へ赴いて実際の話者を見付け、調査を開始した。先行研究での記述も少なく、研究代表者のこれまでに調査をして来た方言との比較対照を今後進めて行くことで、新たな発見が期待される。
②カシミーリー語は、先行研究はそれなりにあるが、ドマーキ語の周辺を包囲しているインド・ヨーロッパ系統の言語と同系の言語の中で、最大の話者数を持った言語であるため、調査によって知識を持つことは対照言語学的に大切なことである。
③カティ語(インド・イラン語派ヌーリスタン語派)とカラーシャ語(インド・イラン語派インド語派)の調査は、前回(2008年)の調査の続きとして、主に反響語の調査と調査票からの例文収集を行った。所謂ダルド語群の東端が②のカシミーリー語、西端が③のカラーシャ語に当たる。
成果公開は、国際学会で2回、国内学会で1回口頭発表をしたほか、英語で論文を執筆した。

2015年度活動報告

本研究は、ギルギット・バルティスタン自治州フンザ・ナゲル県モミナバード村などで話されている、消滅の危機にある言語であるドマーキ語を中心にしつつ、ブルシャスキー語、シナー語といった周辺言語も併せて、現地調査によって得られたデータを基に言語記述をしていくことを目的としている。
本年は現地調査を夏に一度実施し、主に以下の内容で調査成果を上げた。①ドマーキ語:フンザ方言の物語(約20分)の文字起こし作業の完了。日用品、色彩語彙を中心とした語彙調査も進めた。②ブルシャスキー語フンザ方言の(借用語ではない)固有語の動詞に関する語彙調査で、20年前の研究との意味的ずれ、語彙の不使用などを確認した。③シナー語ギルギット方言の語彙・諺などの収集、語形変化の確認などをした。
①のドマーキ語に関しては、先行研究に文法スケッチ程度のものはあるが、語彙集やテキスト集といったものは管見の及ぶ限りでは存在していない。現地調査で収集したテキストの文字起こしは、これで2本目が終わったところである。文字起こし作業は数少ない現地協力者にも大変な苦労をかけるため、ペースを上げることができていないが、追々公開していくためにも毎年倦むことなく進めて行く必要性がある。
②のブルシャスキー語は、博士論文(文法書)の改稿をするに充分なデータがそろそろ揃ったかと思う。出版へ向けての改稿を始める。
③のシナー語については、依然として優良な協力者が見付けられていないが、調査地域の目処が立って来たところである。次年度、市街地を避けて、村落の中で協力者探しを継続する。
成果の公開という点では、5月にムザッファラバード(パキスタン)での国際学会、6月と9月に別々の国内学会、12月にプネー(インド)での国際ワークショップにて、それぞれ異なるテーマで研究発表を行った。これらは逐次、論文にまとめて公表して行く予定である。