国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

現代イランにおける長期的紛争介入構造をめぐる殉教概念の変容と政治言説化の研究(2018-2020)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究 代表者 黒田賢治

研究プロジェクト一覧

目的・内容

本研究は、イスラーム的理念に基づく政治社会運営の実施を標榜するイラン・イスラーム 共和国における殉教概念の社会・政治的変容について実証研究を行い、同国による周辺国の 紛争介入をめぐる社会的合意形成メカニズムについて明らかにし、中東地域における長期化する紛争構造の理解のための説明モデルを構築する。具体的には(1) イラン・イラク戦争の戦没者の記憶継承活動に焦点を当て、殉教概念の生活/社会空間への埋め込みを明らかにするとともに、(2)殉教概念の通時的な分析と半構造化インタビューを通じて、紛争状況の変化 に応じながら紛争を語るイデオムとして殉教がどのように政治言説化されてきたのかを明らかにする。そして(3)これらの実証研究結果を統合し、紛争介入を不可避とする社会的合意形成メカニズムを明らかにする。

活動内容

助成事業期間中の実施計画

中東の大国イランでは、近年国家が積極的に周辺国の紛争に介入する例が見られる。隣国イラクとの1988年までの約8年間にわたる戦争経験をし、近年においてなおも退役軍人・戦没者遺族の支援、DNA鑑定による遺体特定などを通じて社会的に共有されてきたこと、民主的政治制度が一定の機能を果たしてきたことを鑑みれば、どのようなメカニズムによってイラン国家による紛争介入を可能としてきたのかが重要な問いとして浮かび上がってくる。本研究では、紛争介入を不可避とするような国内世論を形成する言説構造の存在を仮定し、その実態について殉教言説に着目し検討する。
殉教はイスラーム一般で宗教的重要性があるものの、イランの宗教的多数派であるシーア派では、より重要な宗教的意味がある。さらに1979年の革命後にシーア 派の政治理論に基づいた国家が建設されたことで、殉教は新たに社会政治的に重要な意味を持つようになった。そこで殉教言説がどのような伸縮性のある展開してきたのか、またどのようにして殉教言説が生活空間に埋め込まれてきたのかを検討し、戦争と犠牲の社会的合意形成メカニズムを三つのフェーズから明らかにする。
初年度:殉教をめぐる90年代前半までの概念的変遷を明らかにすることを目的に、イラン・イラク戦争を題材としたドキュメンタリー映画を撮りつづけたモルテザー・アーヴィーニーの作品に焦点をあて、80年代前半~90年代前半までの戦中・戦後の変化を意識しながら殉教概念の変遷について検討する。また殉教概念がどのようにして生活空間に埋め込まれてきたのかを、テヘラン市内の殉教者博物館の活動に着目し、フィールド調査によってその実態と同博物館周辺の戦没者墓地を訪れる住民と博物館との関係、さらには類似の博物館との関係について明らかにする。
第二年度:戦没者の記憶継承活動がどのようなイラン社会の政治経済的ネットワークに埋め込まれてきたのかを、イラン・イラク戦争後の戦没者遺族財団の政治経済的な展開を中心に政軍関係の先行研究に基づいて整理する。また90年代後半以降の殉教概念の変遷について戦没者の回顧録・伝記などの文献資料に基づいて検討する。さらに殉教者博物館の活動内容を中心に調査過程を記録撮影し、映像作品を制作する。
最終年度:資料分析として、イラン・イラク戦争の戦場特集や戦没者の回顧録についての特集や中東諸国の紛争記事を中心に編集されている雑誌等資料において、近年の周辺国の紛争における戦没者表象と殉教との関係について分析する。また殉教博物館で公開されている戦没者の墓を訪れる遺族・親類とのインタビュー動画をもとに、戦没者に対する語りについて分析する。

2018年度活動報告

 本年度においては、隣地調査と文献調査を基軸とした研究活動を実施するとともに、小規模な研究会において率先して報告を行った。
より具体的に言うと、隣地調査についてはイランのテヘラン市の殉教者博物館(イラン・イラク戦争の戦没者を対象とした博物館)や共同墓地の殉教者区画で、博物館関係者や博物館を運営する財団関係者を対象に展示物の収集や展示の意図、さらには展示方法について聞き取り調査を行った。また共同墓地で殉教者区画に参る遺族や親類、さらには「参詣者」についての聞き取り調査を行った。他方、文献調査については、隣地調査時に収集したイラン・イラク戦争の回想録や殉教者の回想録の読解を進めた。さらにそれらの回想録がどのように消費されるのかという側面についても調査を進めた。
 また【現在までの進捗状況】で述べるように博物館の網羅的調査も含め、その都度実施している本研究に関連した研究活動について報告を行い、進めている研究内容について漸次ブラッシュアップを図るとともに、研究の方向性を再帰的に検討することができた。さらに本研究の対象が一連のイラン社会特有の事象である一方で、それらをイスラーム特有の言説、あるいは分派特有の言説として本質主義的な理解を図るのではなく、あくまで社会的な諸アクターの関係性のなかで言説として構築されてきたということを分析しているということを明らかにするために、一般向けの新書および研究者を志す可能性のある市民に向けた書籍の刊行を行った。