国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

客員研究員の紹介

サムテン・ギェンツェン・カルメイさん
Samten Gyaltsen Karmay

【招聘期間:2003.7.3~2004.6.30】
紹介者:長野泰彦(民族学研究開発センター)
規則正しい生活と厳格な研究態度

サムテン・ギェンツェン・カルメイさんはチベット、アムド地方出身のフランス人である。民族としてはチベット人、国籍はフランスという意味である。1936年2月、現在の中国、四川省松潘近郊ケツァル村で出生。当時は学校などなかったから、村の私塾で読み書きの手ほどきを受けた後、11歳の時、ポン教のナテン寺で儀礼実践の訓練とポン教教理の初歩を身につけた。12歳のとき叔父が教僧をしていたキャンツァン寺で出家し、ポン教の教育階梯に沿って7年間研鑽をつみ、1955年ラサのデプン寺に学僧として遊学した。デプン寺はラサの仏教三大寺院のひとつで、ポン教徒が仏教寺院へ勉強に出かけるのは奇異に思われるかもしれないが、ポン教徒の間ではごく普通に行われていた習慣である。ライバル関係にある相手の教理を理解することは自分たちにとってプラスである、という考えである。受け入れる仏教側もポン教徒であることが分かったうえでのことらしい。

チベット動乱でイギリスへ

サムテンさんはデプン寺のソンチュ・カムツェンで勉学にいそしんだが、1959年チベット動乱が勃発し、同じ地方出身で、同じ寺で修行していたサンギェ イ・テンジン師(ルントク テンペイ ニマ=ポン教の本山と看做されているメンリ寺33代座主、現在インド在住)とともに、ネパールを経由してアッサムに逃れた。
チベット動乱を受け、世界各国のチベット学者がイタリアに集まり、亡命したチベット人たちとどのようにチベット学を推進すべきかが論議された。その結果、 各国の研究事情に合わせてチベット人学者を招聘し、それぞれ共同研究を行うことが決議された。ロックフェラー財団はこの計画に5年間21名分の旅費・人件 費を支出することを決め、プロジェクトが動き出した。日本からは財団法人東洋文庫の多田等観師と北村甫氏が会議に出席し、ソナム・ギャツォ師(サキャ派活 仏)、ケツン・サンポ師(ニンマ派学僧)、ツェリン・ドルマ女史(貴族=ツァロン家)の3名を東洋文庫に招くこととなった。 各国の選択を見ていると、それぞれが進めたいと考えている学問傾向が明確に出ていておもしろいが、最もユニークだったのが英国であった。英国からはD. スネルグローヴ教授が代表団長として来ていたが、彼が選んだのは3名のポン教学僧であった。当時(今でもそうかもしれない)チベットといえば仏教だったの だが、同教授はチベット文化の基層はポン教であると考え、敢えてポン教徒3名をロンドンへ招聘したのである。3名とはサムテンさん、上述のサンギェイ・テ ンジン師、ポン教の本山、メンリ寺からネパールへ亡命したテンジン・ナムタク師(カトマンドゥのティテンノルブ寺管長)である。 サムテンさんは英国でその才能を伸ばし、大英博物館研究助手、ロンドン大学研究助手、同大学院を経て、1969年M.Phil.の資格を得た。1970年 フランスのチベット学の泰斗R.-A.スタン教授の招きでパリに移り、CNRS研究員となった。その後、CNRSのLaboratoire d'ethnologie et de sociologie comparative (パリ第10大学とMixed research unitを形成) 教授(部長待遇)となり、昨年定年退官し、現在は同名誉教授である。この間、1997年から2000年秋まで国際チベット学会会長を務めた。
彼の仕事は一貫してポン教を基軸としたチベット文化の歴史であり、ポン教徒としてのフィールド実践を背景とした文献学研究である。最初の著書(博士論 文)The Treasuries of Good Sayings(London 1972; 復刻 Delhi: 2001)、 Secret Visions of the Fifth Dalai Lama(London 1988)、 Arrow and the Spindle(Kathmandu 1999)などは現在チベット学に志す者にとって必読の書とされている。民博には何回も外来研究員として訪れているが、今回は客員教官として2004年6 月まで滞在し、チベットにおけるタントリズムの比較研究に従事し、同時に当館のポン教資料の記述作業を行っている。

日本でのくらし

サムテンさんと筆者の出会いは1975年東洋文庫が外国人研究員として彼を招聘した時であった。当時私はそこの研究員で、東京 蒲田の下町の同じアパート に住み、家内ともどもご夫婦のお世話をしたのである。チベット人の常として最初は魚が一切ダメで往生したが、その後だいぶ改善されたらしい。今では千里中 央のすし屋へ一人で行っているようだ。
彼の生活・研究態度は昔と全く変わっていない。先ず時間をきっちり守って仕事をし、そのペースが乱れない。東洋文庫に出勤時間の制限はないが、朝10時に やってきて、短い休憩を挟んで2時まで与えられた文献目録の作成をし、2時から5時まで自分自身の勉強、と決まっていた。東洋文庫の研究室は大部屋なのだ が、雑音に煩わされることなく、集中していた。民博でも同じで、9時45分に出勤、朝は文献講読、昼飯後タンカの記述、3時から自分の論文執筆、という具 合になっているらしい。また、食事もいたって質素で、朝はチベットのツァンパ(大麦を炒って粉にしたもの:はったい粉に近い)、昼はヨーグルトとサンド イッチ、晩は黒パンとチーズに果物と決まっている。酒・タバコはもちろんやらない。厳格な自制と規則正しい生活はやはりチベットの学僧としてのプライドと いうべきか?我々は彼の爪の垢を煎じて飲むほうがいいかもしれない。

サムテン・ギェンツェン・カルメイ
  • サムテン・ギェンツェン・カルメイ
    Samten Gyaltsen Karmay
  • 1936年生まれ。
  • フランス国立科学研究センター教授。
  • 2003年7月3日から2004年月30日まで国立民族学博物館客員研究部門教授。
    研究テーマは「チベットにおけるタントリズムの基層に関する研究」。
『民博通信』第103号(p.28)より転載