広範な吟遊詩人の世界 したたかに脈々と、地域に
2024年9月1日刊行
川瀬慈(国立民族学博物館教授)
各地を広範に移動し、詩歌を歌い語る吟遊詩人は古代から存在した。一般に吟遊詩人というと、中世ヨーロッパに存在した宮廷楽師や大道芸人をイメージすることが多い。しかしながら地球上の隅々において、吟遊詩人的な存在の歌い手や語り部、芸能者は地域社会に脈々と生きてきた。彼ら、彼女たちは時代の変遷の中でさまざまな役割を担ってきたといえよう。
例えば、王侯貴族の系譜や英雄譚(たん)を語り継ぐ語り部、戦場で兵士を鼓舞する楽師、為政者を揶揄(やゆ)し風刺する批評家、宴席に哄笑(こうしょう)の渦を巻き起こすコメディアン、庶民の意見の代弁者、中央のニュースを地方に伝えるメディア、儀礼の進行を担う司会者、五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する門付け芸人――。霊的な世界と交流する職能者、世界を席巻するヒップホップ音楽の担い手であるラッパーも吟遊詩人の範疇(はんちゅう)に入れて議論することが可能であろう。

アズマリと客による詩のやりとり
=エチオピアのアディスアベバで2022年6月、筆者撮影
閉塞(へいそく)した日常を異化する力を持つ吟遊詩人は畏怖(いふ)の対象とされ、時には社会的周縁に追いやられてきたといえよう。近年はグローバルな消費社会、ポピュラー音楽界、さらにはユネスコの無形文化遺産登録を巡る政治的駆け引きとのつながりの中で、パフォーマンスの様式や表象のあり方を柔軟に変えつつも、人々との豊かなやりとりを重ね、したたかに生き延びてきた。
例えば、エチオピアの諸都市には、弦楽器を弾き語る楽師「アズマリ」の歌を楽しめる吟遊詩人酒場が存在する。ここでは、客が即興で詩を創作し、アズマリに投げかける。アズマリは詩を一字一句復唱して、客を楽しませるのだ。男女の恋愛に関わる詩から、死生観に関する内容まで聴くことができるが、近年は新型コロナウイルスの世界的な蔓延(まんえん)、巨大ダムの建設をめぐるエチオピアとエジプト、スーダン間の外交摩擦、そしてエチオピア内での紛争についての詩が、歌い手と客の間で好んでやりとりされている。
そんな中、国立民族学博物館では、秋に特別展『吟遊詩人の世界』を開催する(9月19日~12月10日)。本展は、吟遊詩人を詩歌の歌い語りに基づき、「ここ」とは異なる空間を顕現させ、世界を豊饒(ほうじょう)に読み替える存在として捉える。長い年月をかけて各国でフィールドワークを行ってきた8人の研究者が展示構成に関わる。エチオピアのアズマリ、インド、バングラデシュの民族音楽を奏でる「バウル」、日本の盲目の旅芸人「瞽女(ごぜ)」、ラッパーをはじめ、アジア、アフリカの吟遊詩人の活動を紹介し、これらを育んできた地域社会の息吹を伝えようと試みる。展示に関わる各国の吟遊詩人についての映画上映、レクチャー、パフォーマンスに加え、地域やパフォーマンスの様式を超越した、吟遊詩人同士によるジャムセッションも予定している。ぜひご覧いただきたい。