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意外に身近な客家 思いがけない日本との縁

2024年10月7日刊行
奈良雅史(国立民族学博物館准教授)

三つの話題を続けて記したい。

阪急大阪梅田駅の近くに阪急東通商店街というアーケード街がある。関西にお住まいの方であれば、一度は通ったことがあるのではないだろうか。

秦の始皇帝の命を受けて不老不死の霊薬を探しに東方へと旅立った徐福という人物の伝説が、和歌山県新宮市をはじめ日本各地に伝えられている。徐福は漫画やゲームなどでも取り上げられてきたので耳にしたことがある方も多いかもしれない。

中国福建省には、数百人が居住可能な「福建土楼」と呼ばれる円形の巨大な集合住宅がある。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産にも登録されているため、観光に行ったことがある方もいるだろう。

阪急大阪梅田駅近くにある阪急東通商店街=大阪市北区で、筆者撮影
阪急大阪梅田駅近くにある阪急東通商店街
=大阪市北区で、筆者撮影

一見すると無関係にみえるこれらの話題をつなぐ存在がある。「客家」と呼ばれる人々だ。

客家は、中国東南部の山岳地帯を主要な居住地とする漢民族の一系統で、古代より戦乱を逃れるために世代を超えて中原からの移住を繰り返してきたと言われる。やがて台湾や香港、東南アジアなどにも移り住み、世界各地に暮らす華僑・華人の重要な一部をなしてもきた。人口は1億人にもなるとされる。土楼が客家の代表的な文化として有名だ。

こう説明しても、客家は東通商店街とも、徐福伝説とも縁遠いようにみえるかもしれないが、それらは深くつながっている。それを知るヒントは、客家と日本の関係にある。

客家は清朝末期以降、日本との関係を深めてきた。広東や福建の客家たちが外交官や留学生、商人などとして来日した。さらに、日本による台湾の植民地統治で関係は一層深まり、台湾から日本へ移住する客家も増加した。こうした客家たちは、第二次世界大戦後、各地で客家団体を組織し、団結して戦後日本の混乱を生き抜いてきた。

東通商店街は戦後の闇市から発展した。日本に移住した客家たちは、他の台湾系華僑と共に、東通商店街の開発に携わってきた。

また日本の客家の間で、徐福は日本初の客家とみなされている。それは14世紀、元の時代に活躍した文人が客家と徐福の関係をうかがわせる詩を残したことに由来する。特に関西の客家団体は、徐福を在日客家のシンボルとみなし、新宮市にある徐福の墓への参拝を続けてきた。

こうしてみると客家は日本社会にも意外に身近な存在と言える。国立民族学博物館では、12月3日まで企画展「客家と日本――華僑華人がつむぐ、もうひとつの東アジア関係史」を開催している。その名の通り、客家と日本との関係を紹介するもので、日本社会の多様性や思いがけないつながりに満ちた東アジアのあり方に気づけるはずだ。ぜひ足をお運びいただきたい。